四十六話
神社からカラオケ店に戻ってからが大変で。
退室予定時間が過ぎても連絡に出ない私たちの部屋に店員さんが確認に来たところ、二人とも倒れている状況だったので、慌てた店員さんが『救急車だ』『警察だ』と早とちりをしてしまったらしい。
騒然の中、急いで元の体に戻って、眠ってしまっただけと何度も事件性がないこと、体調不良でもないことを説明して大事になる前に事なきを得て解放されたのだ。
あやかとはカラオケ店を出たあと、近くの公園で少し話をした。
スマホを覗いたことを謝罪してから『ごめんなさい』と書かれた未送信のメールについて聞いてみると、あれは夢を否定してしまった友達になんて謝ろうかメモ帳代わりに試書きしていたものだったということがわかった。
そのあとは、あやかから「ごめんなさい」と「ありがとうございます」を交互に言われた。気付いときにはもう雨は上がっていて、その日は連絡先を交換して別れた。
次の日にはあの喫茶店でお茶の約束をして、何度か喫茶店でお茶をしながらいろいろな話をした。
高校生に、就活の悩みや弱音を真面目に話してる自分ってなんだろ、って思いながらも、あやかはちゃんと聞いてくれて、自分の言葉で返してくれた。
あやかも自身の進路の悩みや弱音を私に話してくれて、私も知る限りの情報や助言をした。
聞いてほしいこと、そうでもないこと、何気ないこと。
私の話を聞いてほしい、相手の話を聞いてみたい、そんな風に思えたのはいつ以来だろう。報告だったり、確認だったり、共有だったり、理解だったり、なかなか伝わらない気持ちを言葉にするのがなんだか楽しくてしかたなかった。
あやかに出会ってよかった。
そんなことを思ったとき、あやかが私と出会えてよかった、なんて言うものだから、思わず涙ぐんでから笑ってしまった。
自分のことしか知らない。ままならなさ、不安を自分以外も抱えている。そんなことを知っただけで、どこか伏せ気味になっていた目線を上げることができる。
依存や身勝手な仲間意識じゃない。無駄に下げていた〝自分だけ〟という気持ちを変えるきっかけ。ちゃんと自分に向き合うきっかけ。
私も、もう〝よけいな言葉〟に振り回されない。
私たちが向き合うのは誰かの言葉じゃない。
私たち自身の言葉だ。




