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四十四話

 ようやく自意識が鮮明さを取り戻した頃。すうっと、暗がりに輪状の波が広がった。


 目の前で少し揺れたあと、薄闇が少女を映し出す。


 私は私、あなたじゃない。あなたはあなた、私じゃない。


 一人だけど、一人だけじゃない。


 自分じゃない誰かの中にも、どこか、自分みたいな部分がある。


 そんな小さなことがようやくわかった。

 

 自分だけだって、私だけだって、そう頭の中で思ってしまうと、言葉になってしまうと、どんどん絡められてしまう。


 世界がどんどん閉じていく。何も見えず、見ることすらやめて、自分の中へ埋没してしまう。


 そこは本当に一人だ。


 自分でそう決めてしまうのだから。――私、だけ、と。


 もし、この世界が何かの物語なら、私はどんな存在なのだろう。


 そんな疑問をはじめて持ったのは小学校一年生の頃だった。

 何かの主人公、そういうものとの比較だったと思う。

 私は、「たぶん、主人公じゃない」そう、思ったのを覚えている。

 何か、上手くいかなかったから。何も、上手くできそうにないから。

  きっかけも、理由も、よく思い出せない。

 教室を窓の外から眺めていたとき、そう思ったことだけ覚えている。

 校舎の一番端、一階の教室。アサガオのプランターが並んだベランダから、四角い窓越しに見た教室は何かの物語だった。

 その中に私は、たぶん「いない」って、そう思ったんだ。

 一つだけ育ちが悪い、私の名前を刺したプランターに水をやりながらそんなことを思ったんだ。


 昔から何かが不安だった。

 自信の持てるものも何かあったはず、それでも、できない不安の方が大きかったように感じる。

 何か特別な出来事があったわけじゃない。

 私にとって、〝できる〟を知る前に〝できない〟を感じることは日常だった。

 私ができるようになる頃、それは〝当たり前〟に変わっている。そんな日常。

 どこかで視線を下げるようになっていたんだと思う。

 見えるはずのものが目に入らなくなった。

 無意識に行動や思いを制限するように、闇雲な不安だけが大きくなっていた。


 彼女もそうなんだ。きっかけや理由が同じってわけじゃない。

 自分しか知らない私たちは周りや外を見ることで価値観や自分を形成していく。その中でどこか自分を否定してしまっただけ。

 自分しか知らないから〝当たり前〟を突き付けられたとき、自分が退いてしまった、それだけ。

 世界は、私に、私たちに面しているのに、ずっと俯いたまま。

 〝ままならない〟という感情に晒されているだけ。

 慣れてしまったのかもしれない。そういう〝だけ〟なんて言葉を使って、何でもないと、自分はそんなものだと、無駄に自分を下げて、言い訳を作って。

 きっと、この世界は誰かの物語で、主人公みたいなキラキラした人たちの物語なんだって、思い込むことにしたんだ。

 都合のいい、言い訳。

 できそうにない、できない、と、いつからか、やらない言い訳を探していたんだ。


 〝できそうにないからやらない〟それは〝できなかった〟とは全く違う。


 私は、私たちは、自信の無さから〝できない自分〟に慣れてしまっていた。


 不安は怖い。怖いからやらない。やらないから変わらない。


 〝変わりたい〟と望みながら〝慣れ〟に埋もれていく。


 変化を求めながらも、どこか、変わらない安心を手放せないでいた。

 変わらない〝慣れ〟に安心を感じながら。


 水面に投げた石、自分を映した水鏡を揺らした彼女。

 何かになりたいのに、ただ名札を求めた私。


 ――割れてしまった、私たち。


 自分を嫌って、否定して、でも、どこか根拠のない打算や期待なんかもあったりした。目の前のことが片付かないまま、いつもままならない。そんな日常。

 自分しか知らないことが、たまらなく不安で、怖い。

 〝普通〟や〝当たり前〟に追いつけない自分を知ったとき。自分とは違う価値観を向けられたとき。過ぎた時間が後悔や焦りに変わったとき。

 その、時々にすらどこか慣れてしまったんだ。

 わからなかった。気付かなかった。見ようとしなかった。

 〝私だけ〟なんて言葉が〝当たり前〟になって、私たちを吞み込んだ。


 薄闇に映された少女の対面に歩み寄り、言葉をかける。


「一人じゃないよ。でも、わからないから、自分しか知らないから、そう思っちゃうよね」


 対面の少女に手を伸ばした。木の枝のように、葉を広げるように、手を。


 人は〝自分しか知らない〟その狭い視界に入る世界しかしらない。そして比べるんだ。自分とその他を、その他から見られる自分を。


それが〝自分〟なのだと認識する。


 でも、その認識がただの思い込みや決め付けだとしたら。そこで終わってしまう〝自分だけ〟の〝一人〟の世界だとしたら。


 正解なんてわからない。私も、私の目に入ったものしか知らないし、これまでそういうものと判断していた。


 自分から離れてしまった世界。言葉が形を持つ世界。こんな知らない世界で、他の、他人の、自分以外の物語を見るまではそう思っていた。


 一人だけど、一人だけじゃない。そんな、単純な実感を今まで得たことがなかった。そんな、単純でどこかホッとする安心を実感したことがなかった。


 だから、伝えよう。


「私の言の葉――あまりいい思いもなかったけど、悪いことばかりでもなかったよ」


 私の記憶、言の葉の思い出たち、私が少しでも伝わればいいと思った。


自分だけじゃないと、伝わればいいと思った。



 ――『あなた、だから』――

 優しい言葉も、少しでも伝わればいい。


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