四十三話
いつの間にか、自分の好きなものじゃなくて、誰かの好きなもの、が、自分の好きなものになっていた。
友達の好きなスポーツ。
友達のおすすめ雑誌。
友達のお気に入りアーティスト。
友達の……。
誰かの同意や推薦がないと不安に感じるように。誰かの、いいね。が、ないと不安に感じるように。
あたしはどう思うか、とか、そんな自分の意思を後回しにした。
それでも、そこにはあたしの〝ホント〟もあったはず。きっと、あったはずなんだ。
ホントのあたし……。
どこかで言われた言葉。どこかで聞いた言葉。誰かの価値観。そんなものがあたしの居場所を追いやる。
「好きの根っこ」友達に言われた言葉がずっとユラユラしてる。
根っこはあるんだ。でも、知らないところから生えた葉っぱで前が見えない。どこからか伸びてくる枝があたしを通さない。
『そんなこと』『そんなこと』『そんなこと』……。
そんな言葉が怖い。誰かの言葉が怖い。
ホントのあたしを否定されるのが怖い。
だから、動けなくなる。
そうやってホントのあたしはだんだん小さくなっていく。
ホントの「夢」がどんどん小さく、小さくなっていく。
わからない、なんて言葉で自分を誤魔化してきた。
ホントは全部わかってた。わかってたんだ。
不安が膨らむと、あたしはますます隠れていく。
無意識に自分じゃない誰かの気持ちを探し回るようになる。
また、あたしから遠ざかる。
わかってた。わかってたんだ。
だから、羨んだ。羨ましい。羨ましくて仕方なかった。
どうしようもないくらいに嫉妬した。
ホントを持っている人たち、自分の中のホントを口にできる人たち、そんな人たちを見ていると自分のダメさが嫌になった。
何にもなれそうにない。何もできそうにない。そう、思ってしまうんだ。
そんな後ろめたさがあたしを隠す。
そんな自分は見せたくない。見られたくない。
あたしのホントはそうやって誰かの言葉を盾にまた隠れようとする。
でも、それでも、って。あたしの中のあたしは、まだ、どこか諦めきれずに、足掻こうと……。
何かを変えたい。自分を変えたい。どうにかしたいって。
動き出せないあたしは水面に石を投げる。
変えたい、はずなのに……変わらないって安心に石を投げる。投げてしまう。
そういう、苛立ちや自分の否定を繰り返してきた。ずっと、ずっと。
いつからか、気持ちが歪んだりもするんだ。
羨み。だったものが、恨みに。
ほんの少しずつ。少しずつ。
気付いたときには、もう歪になっていた。
ホントの「夢」を持ってる人が羨ましい。
たぶん、それがあたしのホント、……だと思う。
でも、そんなあたしを認めてしまったら、……何もないあたしが否定されたような、そんな気になってしまう。
だから、思った。思ってしまったんだ。
――『そんなの叶うわけない』――って。
そう、叶わないでほしい、って。
ホントのあたしが縮こまってしまった言葉の一つ。
誰に言ったとかじゃない。誰かに向けたつもりもない。と、思う。
一人のとき、独り言みたいに、そう思ってしまった。
自分に対してなのかもしれない。友達を羨んで思った言葉なのかもしれない。
わからない。
どれがホントなのかわからない。
自分以外の世界がどうしようもなくまぶしい。目が眩んでしまうくらい。
目を向けるのが辛い。
目を開けるのが辛い。
だから、自分の中にあったはずのホントも見えなくなって……。
あたしの中のホントが歪んでいく。
そして、また――こぼれた。
友達の話す〝夢〟や〝やりたいこと〟そんなキラキラした話がどこか居心地悪くて、認めたくなくて、否定した。
どうしようもない身勝手な嫉妬が言葉に変わってたんだ。
「難しいよ」「よく考えな」とか、何もわからないクセに、わかっているフリだけをして、言葉にして。
「他の選択肢も考えな」とか、責任を負わない言葉に逃げながら、中身の無いあたしの言葉が、自分のホントを話してくれている友達に向かう。
悟ったようなフリをして、嫉妬を言葉に変えて、やわらかく、相手を思ったような口ぶりで、無責任に、――ただ否定をした。
一体、あたしは誰なんだろう。
自分のことが不安で、他人を物差しに世界と関わってきた。――つもり。
それなのに。これからのこと、先の見えないこと、自分で決めなければなれないこと、やらなければならないこと。そういうものたちが急かし立てる。
いつも通りのこと。いつもの、選択の時間。
願ったもの、じゃない。選べるもの。
やりたいこと、じゃない。やるべきこと。
なりたりもの、じゃない。ならなきゃいけないもの。
誰かが、そう言ったもの。
それが「ホント」なんだ。って、〝当たり前〟なんだ。って。
わかってる。知ってる。――そう、つもり。
期限や猶予みたいなのが過ぎるだけ。みんなそうなる。
そうならなきゃいけない。あたしも、ただ、そう。
なのに、わかっていた、あたしが、わからない。
選べるものもたくさんあった。でも、何もしなかった。
やりたいことも少しはあった。でも、何もしなかった。
あたしのなりたいもの。なれればよかったもの。それは、たぶん、わかった気になった、当たり前の、ようなもの。だったのかもしれない。
自分には才能とか何もないから、自分じゃなれない。って、言い訳をして諦めた。
「〝夢〟」なんて叶わないもの。叶わないから願わない。求めない。何もしない。
そう思っていれば、失敗しない。できないって挫折や後悔にあうこともない。
自分が誰かに否定されることもない。
自分の好きなものから否定されるなんて、たぶん耐えられない。
だったら、何もしない方がいい。そう思った、思っていた。
それなのに! なのに!
なんで、あたしは後悔してるんだ!
なんで、あたしは嫉妬してるんだ!
もっともらしい言葉で隠して、よけいな言葉まで吐き出して!
猶予はあった。いくらでも行動できた。そうしなかっただけ……。
余裕がなかった。
心の余裕。
頭でどれだけわかっていても。どれだけ心が焦っていても。
日常や周りの世界に面しているのは常にあたしなわけで、そんな些細な毎日に心はいっぱいだった。
――ままならない。
誰かの言葉を気にしたり、評価を気にしたり、見せたい自分を取り繕ってみたり。
嬉しかったり、悲しかったり、面白かったり、つまらなかったり。
日常には常にあたしが面している。
感情なんて、溢れるまま、沈んだまま、いつもどうにもできないまま眠ってしまう。
もしも、何かのゲームみたいに、あたしもアイコンだけになって、何かを選択できたら、……こんなに苦しくはなかったのかな。
指先一つで自分のステータスを上げたり、誰かと関わったり、好みだけで好感度を上げてみたり、決まった選択肢の中からなりたいものを選んだり、そんな選択ができたら悩まなくていいんだろうな。
そんなことができたら、変わらないものに石なんて投げずにすんだ、のかな。
こんな気持ちに、何て……。
こんなあたし、誰も見てないよ。誰も見たくないよ。
変われ――変われ――消えろ。
いやだ。いやだ。いやだ。
ぽちゃん――。
ぽちゃん――。
ぽちゃん――。
どんなときだって、そこにはあたしが面している。
どんなときだって、そこには私が面している。
とても、とても、――ままならない。
水の音と共に、ゆっくりと、――私の意識が今までの意識から離れる。
それと、同時に、さっきまでの意識が自分のものではないと理解し始める。
今まで彼女として記憶や思いに触れていた、と認識できる。
認識はできても、他人の、彼女の記憶や思いを彼女として感じた。
剥き出された本当の感情に晒された。
感覚が、感情が、まだ、すぐ隣にある。
頭が重い。耳鳴りがする。
閉塞感、焦り、不安、自己嫌悪……。
混濁した感情に酔いながらも一つ一つを思い返しながら整理していく。
これは私。これは彼女……と。




