四十二話
あたしにだって興味があること、やってみたいこと、そんなことくらいある。
ホントは、あったんだ。
あたしは絵を描くのが好き。空想が好き。ファンタジーな世界が好き。
空飛ぶクジラ、喋る猫、ちょっとした魔法。どこかの世界に通じる扉。
そういう当たり前から少し離れた世界が好き。そんな世界に触れていたい。浸っていたい。
でも、それがどう将来になるのか、全然わからない。
ただの現実逃避でしかないのかも。
それでも、少しずつ世界が広がってきたりすると、ああこんな職業があるんだ。へえこんな世界があるんだ。なんて知ってしまって、どこか期待みたいなものも湧いてきたりする。
何を勉強すればいいのか、資格は必要なのか、どういう職業があるのか、考えることが増えてくると、少しは何かに近付いた気にもなって嬉しくなったりもした。
そんなときだ。どこからか聞こえてくる。――顔のない声。
「そんなのなれやしない」「そんなのでは生活できない」「そんなの一握りだ」「そんなの叶うわけない」って。
突き付けられるんだ。「いつまで夢を見ているんだ」「現実を見ろ」――って。
あたしの夢は誰も知らない。誰にも言っていない。……誰にも言えなかった。
どんな目を向けられるか想像できたから。
なのに……顔のない声がよけいにあたしを圧し潰す。
いろんなアイコンの声。顔の見えない声。誰かの声。匿名の声。
どこにでもある言葉。誰かが言われた言葉。知った風な言葉。
そんな言葉たちがこの世界を作ってる。
これが普通なんだと思った。
どこか息苦しい。どこか居場所がない。当たり前の世界。
それが今のあたしの世界。
好きなことをやってみる。それがどうしようもなく難しい。
やり方を知らないから。なり方を知らないから。そもそもあたしの日常にはないから。
身近にそんな人がいない。親や親戚、友達や知り合い、そういう所にそんな人がいない。
自分と夢との距離の測り方が全くわからない。
だから空想や、〝夢〟みたいなもの、で終わってしまう。
そんな霞を掴むような実態のないもの。どうすればいいの。あたしは体のどこに力を入れたらいいの。
わからない。わからない。わからない。
誰かの目が怖い。誰かの声が怖い。
そんなことしかわからなかった。
だから、何もしてないのに諦めようと思った、のかな。
聞いたことのあるような当たり前に説得された気になって、諦めた、のかな。
それが当然だって。それがあたしだって。
――いつの間にか自分を隠すようになったんだ。
……なんで、そうなったんだっけ。いつから、だっけ。
自分の好きなことに自信が持てなくなったのって。
自分の思っていることを素直に口にできなくなったのって。
誰かの声が気になって。
自分の声が不安になって。
昔は、そんなことなかった……はず。
小さい頃、家族と河原でキャンプをしたとき、綺麗な石を見つけた。
きっと宝石に違いないって思ったあたしは、すぐにお母さんに自慢しに行ったんだ。
お母さんは「すごいね」って褒めてくれて、お父さんはなんで石がそんな風になるかを教えてくれたのをよく覚えてる。
ごつごつした普通の石がこんな風になるなんてって、最初は信じられなかったけど、あたしはそれを綺麗だと思った。
それから、綺麗な石、変わった模様の石、変わった色の石、すべすべした石、そういう石をクッキーの入っていたお気に入りのお菓子の缶に集めるようになった。
こんな綺麗なもの、やっぱり宝石に違いない。って、そう思ってたんだ。
あたしの宝石箱。
でも、――いつからか、石なんて探さなくなった。
宝石なんかじゃないって、知っちゃったからかな。
「そんなもの、集めてどうするの」って、言われたからかな。
誰にとって価値があるから、集めてたのかな。
誰かにとって価値があるから、集めてたのかな。
今はもう、よく思い出せないや。
何かを知る。当たり前を知る。そんなことに居心地の悪さを感じるようになった頃、不思議な世界や日常から少し離れた世界に興味を持つようになっていた。
あたしが空想やファンタジーを好きになったのはそんな頃。
最初は絵本だった、そしてアニメや漫画。そんな当たり前から少し離れた世界にあたしはどんどん惹かれていった。
そして、小学校の高学年になるくらいに言われたんだ。
「いつまでそんなの見てるの」「そんなの見てないで勉強しなさい」って。
どこの家にもある言葉。当たり前のような言葉。そんな言葉。
勉強だって、嫌いってわけじゃなかった。嫌いじゃなかった。けど、苦手になっていったんだ。
国語の時間。次の段落までを立って読まされる音読。
いつもちゃんと下読みをしていたし。緊張はするけど、とくに苦手なことでもなかった。
いつもと同じ。自分に回ってくる順番を予想して、頭の中で文章を音にする。
そのときも何も変わらなかった。
あたしの名前が呼ばれ、席を立つ。さっきまで黙読していた場所をもう一度確認してから声に出す。
最初の声は少し掠れて出た。
緊張が高まり、取り繕うとした咳払いも上手く出せなかった。
それでも、早く読まなければいけないって思いに焦らされ、目に入る文字を声に出した。
声に出してるのに、文章の内容が全く入ってこない。目が泳ぐ。
そして、躓いた。
難しい漢字はなかったはず。それなのに、あたしはその漢字を読むことができなかった。
先生が「これは読めるだろ」なんて、冗談じみた声で読み方を補足する。
なんてことはない簡単な訓読みの漢字。文字をただ声にしていたせいで音読みでしか変換できず、送り仮名のあるその漢字に混乱してしまったのだ。
緊張が恥ずかしさに変わる前、教室のどこかから「え、そんなのも読めないの」って声が聞こえた。
算数の時間。黒板に書かれた複数の問題を数人が選ばれ前に出て解答した。確認問題だった。
できて当然。そんな問題。
なんの不安もなく、すでに解き終わっていたノートの答えをそのまま黒板に書いた。
単純な計算ミス。確認すれば気付けたような間違い。
たくさんのマルの中、あたしの解答にだけバツが付いた。
そして、また、聞こえる「そんなのもできないの」って声。
次の算数の時間、初めてズル休みをした。
それからずっと苦手。苦手のまま。
誰かの目が怖い。誰かの声が怖い。
あたしの好きなものは「そんなもの」。
あたしの苦手なものは「そんなもの」。
あたしの持ってるものはどれも「そんなもの」。
そんなものの「〝夢〟」ってなんだろう。




