四十一話
私は彼女の目線で記憶をただ眺めただけ。あそこで感じた感情のようなものも当然、記憶を見ている私の主観的なものに過ぎない。
もっと、……もっと、もっと深く――言葉を――
――『それ以上はいけません!』――
前にそんなこと言われたっけ。喫茶店での出来事。あのときは自己犠牲、だった、と思う。何もできないなら、せめて、誰かのため、とか。そんな気持ちだった。誰かを思いながらも、自分には投げやりで。
でも、今は、少し……知りたいんだと思う。自分しか知らない自分のこと。そういうもの。他の人はどう考えていたのか、とか。自分にもあって、当然、他の人にもあるであろう、そういうもの。
心、っていうのかな。
それらがどういうところで曇ってしまうのか、とか。
将来をただ「わからない」と言った彼女にはどんな思いがあったのか、とか。
知りたい。何が彼女の膝を抱えさせたのか、知りたい。当然、自分とどこか似ているかも、なんて勝手な想像も含まれている。
池で膝を抱え、水面に石を投げつけていた彼女の姿が頭から離れない。私の知っている彼女、記憶の中で見た彼女、それらとは印象がまるで違った。
明るく、活発な子。そんな子でも、落ち込むし、悩みもする。当然だ。そんなの当たり前。でも、ただの苛立ちや落ち込んでいる姿、というにはどこか、寄る辺の無さを感じた。一過性のものではない感情。行場のわからない感情。どうしていいのかわからない。どうにかしたい。でも、どうにもできない。そんな連続。崩れてしまいそう、なのに、何も変わらない。変えられない
そういう感情、私は知っている。私もそう、そうだった。
同じ……じゃない。わかってる。……だけど。
そう割り切りながらも都合のいい仲間意識がところ構わず、図々しく覗いてくる。
自分だけじゃない。そんなことが、思考とは別のところで妙な安心を感じさせる。それだけ私は不安だった、怖かった、のかな。
誰かをどうにかしたい。そんな行動の中でも自分の不安定さ、誰かの弱さに自身の肯定材料を探してしまう卑怯さ。自己嫌悪は静かに心を波立てた。
再び戻ってきた暗がりは静かだった。雨の音も、波立てる石の音もない。
私は、池の水面に映った彼女の姿を思い返しながら問いかけた。
向かう相手に話すように、そこに彼女がいるように、想像して。
「聞かせて、あなたのこと。教えて、どうしたらいいかわからないこと。上手く言葉にならなくてもいいから……」
けれど、そんな言葉に返るものは何もなかった。
あのときの彼女の気持ちを知りたい。
伸びた言の葉はどこか刺々しく、でも、少し頼りない細枝。葉はあるものの、疎らな若芽。幹は見えず、枝のみが四方八方に伸びていた。歩道沿いでよく見かける低木に似ている。葉のないときの低木。
針の筵。そんな言葉が頭に浮かんだ。
何があったか、何が原因か、そんなことあまり重要じゃないのかもしれない。
私だって自分が嫌になるような、否定してしまいたくなるようなとき、一から十まで全てを言葉になんてできない。
当の本人である自分にだって原因がわからないことだってある。
どんな言葉があったか、どうしてその言葉に囚われてしまったか、それを知ったところで私のつまらない好奇心が満足するだけだ。
言ったら楽になるはず、なんて、無責任の考えること。他人の思い上がり。
口にして、認識してしまうことで生まれる躓きだってある。
原因があるからそれを悩む。それは当然。
原因に対して、どうにもできない。どうしていいかわからない。
わからないから踏み出せない。わからないから対処できない。
そのうち動けなくなる。
固まってしまう心がどうしようもなく辛い。
彼女は石を投げていた。水面に映る自分に。私にはそう見えた。
水面を揺らすだけでも、どうにかしたくて、何かしたくて。
どうしていいかわからない。でも、どうにかしたい。そんな思いがあったんじゃないか。
記憶の中の彼女。進路や将来に悩みを持つのは当然として、その中に、何か特別があったようには感じなかった。それでも「わからない」と言った言葉がどこか、私の中の言葉を揺らす。
……あれ?
違和感はすぐに気付いた。
――当然として? 今、そう思ったの?
〝当然〟の〝悩み〟って、――なに?
私はなんでそんな風に思ったの? なんでそんな風に思ってしまったの?
〝当たり前〟の悩み?
だから〝特別〟辛いわけない。――みんなそうだと――そう思った、の?
……私が?
馬鹿!!! 大馬鹿!!!
自分がそうであったはずだ。人から見ればそんなこと、多かれ少なかれ誰にだってあるような、そんなものに躓いた。そんな悩みが辛くて、耐えられなくて、蹲って、自分まで嫌って。
ただ、人から見られる自分と自分の認識している自分の差異に折り合いがつけられなかっただけ、そんな自意識に絡まっただけ、特別な出来事のない、ありふれた悩み、それがただただ辛かった、だけ。
そんな私がなんで気付けない。
行場の無さ、居所の無さ、現実的な居場所だけじゃない。精神的な居場所。
どこに自分を置けばいいかわからない、そもそも自分がわからない。
何がわからないのかわからない。
そんな〝当たり前〟にあった悩みがただ耐え難かったはずだ。
私はそんなとき、どうしてほしかった?
理解されたかった? 話を聞いてほしかった? 慰めてほしかった?
違う。
ほしかったもの。それは――答えであり、変化。
固まって動けなくなってしまった心を動かす、そういう変化。
たった一歩でいい。
昨日、変わらなかったものが変わる何かがほしかった。
明日とか未来じゃない。辛いのは〝今〟だから。
今日を、今を、変えるために自分を踏み出すための。
そんな、一歩。
――ちゃぽん。――ちゃぽん。――ちゃぽん。
何も、わからない、じゃない。どうすればいいか、が、わからない。
何も、かわらない、じゃない。どうかわればいいか、が、わからない。
それでも、どうにかしたくて、どうにもならないものに。
あたしは、
――石を投げた。
将来。進路。そんなもの。
いつもは遠くにあるくせに、数年周期で迫ってくる。
「やりたいことは?」「なりたいものは?」って、そんなことを飴のようにチラつかせながら脅迫してくるんだ。
選ばせてなんてもらえないのに。「何がいい?」「どれがいい?」って。
みんな知ってる。そんなものにはなれはしないって。なれるわけないって。
だから、期待なんてしない顔で、賢くなったつもりで、一番を選ばないように、妥協できるようなものを一番って思い込む。
あたしは〝現実〟を知っている。そんな気になって、掲げても笑われないもの、それらしいもの、そんなもの。
いつの間にかそういうものを〝夢〟って、言ってたんだ。
誰かに笑われるのは嫌だから。
どうせなら笑う方でいたいから。
そう、思って。
そう思って、わかっているフリをしていた。
……「〝夢〟」ってなんだろ。




