三十五話
冷たさが指に伝わると私はまたもう一つの世界を見ていた。
「あれほど危険と言いましたよね?」
「やっぱり。なんだか近くにいるような気がしてました……口入屋さん」
「追うのですか? 彼女を」
「わからないことがあるので本人に聞いてみます」
「さっき会ったばかりの他人、どうしてそこまで気に掛けるのですか?」
「自分じゃないからだと思います。自分じゃない他人、でも共通する何かがあった、そこに安心みたいなものがある気がして。弱さ……なのかもしれません」
「その答え、嫌いじゃないですよ」
「ところで、口入屋さんはなんで制服姿なんですか?」
「着てみたかった、ではいけませんか?」
口入屋さんは冗談なのか本気なのかわからない口調でセーラー服の理由をはぐらかした。長袖にロングスカート、首にはマフラー、顔の上半は布で隠されている、相変わらず布地の多い服。
「彼女、どこにいったんですかね、行先に心当たりなんてありますか?」
「憶測ですが、彼女は言葉に魅入られたのではないでしょうか、いくら人目を気にしなくてもいいといっても何か楽しいものがあるわけでもない。なのにあのように楽しげにされているのは……」
「言葉に魅入られる?」
「ええ、共感という言葉が近いのかもしれません。自身との共通点、自分と同じ感覚という安心、あなたが彼女を気に掛ける理由と同じです。ですが、彼女は本当に自分と同じ、を求めているのでしょうか? そこが気になります」
「えっ自分と同じ感覚じゃない共感なんてあるんですか?」
「あります。前提として共感とは自身の感情が元にありますが、割れ人はその自分を否定してしまう防衛反応、矛盾があるのです。その弱った状態は誰かの強い言葉なんかに惹きつけられるのです。自分にはないものに」
「それって共感じゃなくて依存なんじゃ……」
「紙一重なのかもしれませんね」
口入屋さんの言葉は私の中の弱さをざわつかせる。
自分にない言葉、自分を埋めてくれそうな言葉、そんな誰かの何かを探して街を彷徨っていたのは私じゃないか。
「どちらもこの世界では危険です。影響を受け自分の形を歪めてしまうことや、巻き込まれて自分を忘れてしまうことも」
「探しましょう!」
「止めてもじっとはしていませんよね」
口入屋さんは私を理解したのか、諦めたのか、同行を否定はしなかった。
「時間はかけられません、闇雲では埒が明かない。彼女が惹かれそうな言葉に心当たりはありますか?」
彼女が惹かれそうな言葉? 心当たりも何もついさっき知り合ったばかりの女の子。勝手にスマホを覗いてしまったが参考になるものは見当たらなかった。バイト先、友達との会話、好きな有名人、共感……わからない。
「書店ですかね? もし本が好きならそこに共感を求めたのかも」
なんとか絞り出したもっともらしい行先。バイト先を書店に選ぶということは何かしらの思い入れや興味があるはず。私自身あの本の海がどのような形になっているか気になるところではある。
「一理ありますね、ですが言葉というのは思いに強く関係します。単に言葉や共感が人を惹き付けるならこの音に溢れる建物は異世界にでもなっているでしょう」
確かにそうだ。青春、恋愛、失恋、応援、吐き出す歌、等身大の歌、このカラオケなんて場所は共感の歌詞に溢れてるじゃないか。だけど、特に異変や異常さは感じない。
言葉は思い……人の思い……人の、願い? 願い事?
彼女のスクールバックに括りつけられたお守りが目に留まる。
あった!
人の強い思いが集まる場所、前に駅前に行ったとき一か所だけ集中している森を見た。遠近感を狂わせるほどの巨大な木がある場所、駅前の大社。
毎年、大晦日や正月には数多くの参拝客が訪れる。私も過去に友人と初詣に出掛けたが、はぐれたら探すのは困難なほどの人の出入りだった。
そんな願いの集中する場所。
「駅前の大社、あそこかも!」
「なるほど、行ってみる価値はありますね」
決めてからの行動は早かった。「店を出るまで気を抜かず、足を止めないでください」と忠告を受け、連れられて部屋を抜けると、カラオケ店の廊下は異常を極めていた。
各個室からは蛇のような言の葉が溢れ出ていて、ぬらぬらと四方に触手を伸ばしては消えてを繰り返している。
あんな動きを持った植物を見たことがない、動きはそれ俊敏ではないが餌を求める蛇のような動きに体が竦む。
「不安定な存在の我々にとってあのようなものは脅威です、駆け抜けますよ!」
「は、はい!」
這い出る言の葉をかわしながら出口へと向かった。
角を何度か曲がり出口付近に差し掛かったそのとき、気の緩みが交差する通路側への注意を怠り、私の真横には大蛇さながらの言の葉が襲いかかろうとしていた。
「気を抜かないで、と言ったはずです!」
口入屋さんが身を翻し、私を庇うと同時に大蛇を切り伏せた。
「言葉は意思とは無関係に這いよってきます。無用なものは切り捨てるのも大切」
「言葉は刃物にもなると?」
「ええ、危ないものです。でも守るためにも必要なもの」
◇
外は雨が降っていた。気にはならない程度、見えないほどの雨。でも、すぐに濡れてしまいそうな、そんな雨。
私たちに傘はいらない、雨には濡れることはない。
もう一度、彼女のメールの本文に残された『ごめんなさい』の文字を思い出した。誰に伝えたかったのだろう、何を伝えたかったのだろう。
彼女のいう『よけいな言葉』とはなんだろう。
どんな言葉を求めたのだろう。
自分から割れてしまうほどの何に影響されたのだろう。
私と口入屋さんは神社を目指し走った。




