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三十四話

 一人でニ時間。


 残りの時間を確認ながら、再び腰を落ち着かせようとソファーに座ろうとしたとき、彼女のスクールバックが落ちていることに気が付いた。


 倒れた拍子に落ちたようで、中身の幾つかが床に散乱していた、ポーチ、ノート、折り畳み式の鏡。……鏡。


 割れ人になるきっかけ、私は鏡だった。彼女はなんだったのだろう。


 自分を否定してしまって起こる防衛反応、そのきっかけ。


 自分の意思でコントロールしていたということは偶然や突発的なものではなく、媒体となっている物があったはずだ。


 彼女が落とした物を拾い上げながら、そのきっかけとなった原因の物を考えた。


 自分の姿を写す鏡や学業関連を想像してノートに目を遣るが、なんだか違うと思った。ポーチも関連性は低いだろう。彼女が倒れたときに手にしていた物、それはスマホ。持っていて不自然はない物、それでもその中には多くの関わりや自分を認識させられるものが入っている。


 割れ人が危険。自分の言葉にしてからその危険性がはじめてわかった、言葉にすることではじめて認識することができた。


 よけいな想像が不確定なもしもを掻き立てる、何かの悪い影響を受けてしまうのではないか、いつかの私のように戻れなくなってしまうのではないか、もしも、もしも……と。


 また私は勝手に他人を覗こうとしている。


 スマホ、この小さな端末には個人の多くの情報が内包されている。数多くの言葉の海、多くの繋がりの窓口であり、自分自身を表すもう一つ、いや多くの顔を持つ自分。けして他人が踏み込んでいいものではない。


 手にしたものの、常識や分別が中を見ることを躊躇わせる。他人のものを心許なく持っていると突然の振動に驚いて手放しそうになった。


 着信一件。


 電話はすぐに切れ、勝手に他人の電話に出てしまう事故は避けられた。が、慌てて持ち直したときに画面をスライドさせてしまいロックのかけられていないスマホは彼女が割れ人になる直前の画面を晒した。


――『ごめんなさい』――


 宛名のないメールの作成画面に短い一文だけが残っていた。


 誰に対しての謝罪なのか。


 不安がまた一つ顔を出す、彼女はもう戻ってこないんじゃないか、そんな根拠のないもの。


 焦りが常識や分別のたがを外させた。


 『今、ラインとツイッター返しちゃうんで――』彼女は割れ人になる前、スマホをいじっていた。割れ人になるきっかけ、何かの問題がわかるかもしれない。


 戻らないことへの裏付けではなく、何でもないという安心がほしい。


 履歴画面をスライドさせてラインを開いた。最も新しいのはFriends(フレンズ)と書かれた記号で装飾された8人グループの投稿。内容は友人の投稿した写真への感想や共感、相槌、遊びの誘い。その次はいつメンと言簡素な名前の3人グループ。学校やバイトの愚痴、短い文章、ひと文字だけのやり取り、次は書店のグループでシフトの変更、仕事中のフォローへの感謝と挨拶。少し時間が離れて2‐Bという名の20数名のクラスグループ。クラス委員らしき人物の事務的な連絡や確認の投稿に了解やありがとうの簡単な返事が続きスタンプや悪乗りに変わって終わっている。


 手がかりになりそうなものはない。個人のラインは時間が少し離れて、内容も当たり障りないものばかりで関係性は低そう。


 次にツイッターを開いた。さっきのグループラインで見たような写真や友人のつぶやきのリツイートやリプライ、有名アイドルの写真投稿のリツイート、彼女自身のつぶやきは昨日で止まっている。


 これも特に手がかりになりそうにない。スマホを見る限り、何かを悩んでいる様子も、誰から何か、いじめのようなことをされている様子もな感じられない。強いて気になるところを挙げるのなら、書店でポップに『よけいな言葉からは生きる力は生まれない』なんて強い主張を自身から発信していた彼女とこれらSNS内の控えめな彼女とのギャップを少しだけ感じた。


 結局、何もわからなかった。


 他人のスマホを理由をつけて覗いた結果、何も得られなかった。


 行動の後悔と自身の無力さを自己嫌悪が押し寄せる。本当に何もないのならそれでいい、でももしも、またその思考に戻る。


 自分が今ここにいる理由がわからなくなり始めていた。彼女は何かを共有したくて私を誘ったはず、彼女に付いていけなかった時点で私のいる理由は無くなっているのだ。


 なんだろう、この感じ。理由がないと不安に、根拠がないと怖く。


 私ってなんだろう……。



 ――『〝何か〟じゃないと、あなたではないのですか?』――


 ――『あなたとこんな風に話してみたかった』――



 そっか。そうだよね。


 また間違えるとこだった。


 私は彼女の持ち物の鏡をテーブルで開いた。


 見えない、わからない、は当然で、だからといって存在しないものでもなくて、見ようとすれば少しだけ見える。


 人の体だってそう、自分の目が届く範囲なんて極僅か、鏡に映したところで全容を捉えることは難しい。


 それでも見ようとすれば見える範囲は広がる。


 一呼吸を置いてから鏡に触れた。

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