三十二話
言葉による影響、そんなことを私は最近間近で体験した。
目には見えない影響、その一つ、思い込み。それは一度決めつけてしまうと変えることが難しい自己暗示、呪いの様なもの。他人や自分を否定してしまう、強い言葉。
気付きづらいことなのかもしれない。私たちは言葉をそれほど当たり前に、当然に、口に出し、使っている。
言った言葉はあまり覚えていない、言われた言葉はずっと忘れない。そんな無責任も少なくない。
言葉とは自覚の無い場所でも影響力を放つ、自分は被害者であったとしても、加害者にはならないと思っていたりもする。痛いのは知ることはできる、でも誰かが痛いのはわからない。自分が持っているのは自分だけの痛覚。
私の言葉はどれだけの誰かに影響を与えているのだろうか。
割れ人になってしまった人にこの場所はどう映るのだろうか、不意にそんな疑問と興味が湧いた。
様々な言葉で綴られた本たちは〝見える世界〟で、どんな葉を付け、どんな木になるのだろうか、はたまた、木ではない何か別の姿を映し出すのか。本を求める人たちはその言の葉にどんな影響を受けるのだろうか。
好奇心が連鎖していく――また、あの世界を見てみたい。
「見えないから無いわけじゃない……か、きっと今もあるんだ。でも、やっぱり見えないとわからないな」
「――そうですよね」
独りの言葉が溢れてしまっていた。店員さんがまだ近くにいるのに考えていたことがそのまま言葉に出ていた。
「ごめんなさい、独り言です」
「それって〝言葉〟ですよね?」
「へ?」
店員さんの思わぬ返しに声が裏返ってしまう。慌てて体裁を取り繕うが恥ずかしさが思考を纏めさせない。距離を保とうと何歩か後ずさる。
「今は見えなくても、確かにそこにある。あるんです。だから、……あっ、ごめんなさい! 変なこと言っちゃって!」
店員さんの言葉は変なことなんかではなく、私の突飛な独り言を完全に理解していた。何かを言いかけた、店員さんの少し曇った顔がつい最近見た顔と重なってしまう。
「あの、割れ人に……なったことがあるんですか?」
「われ、びと? 何ですかそれ? よくわからないですけど、あたし見たんです。普段何もない所に木が生えているの。触ったら、そしたら物語の一節、本とかを読んでるみたいな感覚になって、んー、ごめんなさい、上手く説明できません。ただ夢を見ただけだったのかもしれないです。――こんな話、おかしいですね」
「ううん、可笑しくなんてない。本のような言葉か、見てみたいな。私もあるんだ、それは大切な思い出だったけどね」
人に話したことのない体験の共有。突然ではあったが、そんなことがなんだか嬉しく感じた。自分も見た、共有が自分だけだった不確かな平面を立体化させてくれる。何かを理解されたような、気付くと後ずさった距離を自分から詰めていた。
「ホントですか? よかったぁ! 友達に話しても信じてもらえないし、そのうち自分でも夢だったんじゃないかって思うようになったり……」
「うん、わかる。自分だけの感覚って、本当にあったのかなって、不安に思ったりするよね」
「SNSで検索しても何も出て来ないし。あと、変な白い人見ちゃったんですよ! ユウレイ? だったのかな? 怖くて逃げましたけど」
「変な白いユウレイ? それって、顔を隠した給仕服姿でストールぐるぐるの?」
「きゅうじふく? ってなんですか? セーラーでしたよ。セーラー服に、マフラー。顔はどうだったかなー、なるべく見ないようにして逃げたんでよく見ませんでした」
「そ、そうなんだ」
〝口入屋〟そう名乗った謎の人物は自分から剥がれてしまった人を割れ人と呼んでいた、そんな人たちを助けることが仕事と言っていた。あの人も、どこかで割れてしまった一人なのだろうか。
「あそこはいいですよね! あたしを見る人は誰もいない、誰の目も気にしなくていい、何も言われない。何も気にしなくていい場所。あの変な幽霊さえいなければもっと居たかったな……。夢じゃないかとか言いながら、自分だけの特別な場所みたいで気に入ってたんです」
店員さんは一度見せた曇り顔をどこかへ忘れさせるはしゃいだ子供のような表情で思いを語ってくれた。楽しい遊び場をみつけた、自分の居場所を見つけた、そんな思いだろうか。
その思いに、私も心当たりがある。何かからの解放、そんな気にさえなった。物事を純粋に見た気がした、灰色に見えていた世界がはじめて色づいたのだ。
口入屋さんは危ないと何度も忠告していたけれど、もう一度行ってみたいという感情を拭い去れない、私の中では好奇心が疼いている。
「あっ! そうだ! お姉さんこれから時間ありますか? よかったら一緒に行きません?」
「えっ、これから? どこに?」
「あたし、あとちょっとでバイト終わるんで、それまで待っててもらえますか?ホントあとちょっとなんで――」
そういうと店員さんは回収したポップと本を持って書店の奥へ行ってしまった。




