三十話
再びテーブルへ戻ると二人の表情はどこか影が抜けたような、穏やかな面持ちで談笑していた。
「いつも話しているのに相手の思っていることなんて意外にわからないものね」
「ああ、相手や自分をわかってるつもりになって、勝手な思い込みをしてしまっている。言葉にしないと伝わらないことは多いみたいだ」
あまりにも和やかな会話の雰囲気に入るタイミングを探っていると、旦那さんが私に気付き声をかけてくれた。
「気を遣わせてしまったようですね。すみません」
「いえ、お気になさらず……」
急にトイレに籠ったことを体調が悪いとか変な風に誤解されなくてよかった。体裁とはいえ、嘘を吐くのは苦手だ。
そのあとも穏やかで温かい時間が流れた。ビーフシチューは少し冷めてしまったけど変わらぬおいしさだった。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。妻も、僕もどこか溜まっていた澱が晴れたような気がします。ありがとう」
「いえ、私は特に何もしてません。本当、何も」
奥さんを落ち着かせたのも、旦那さんの心の内を吐き出させたのも私ではない。お礼を言われるべきは口入屋さんだ。私がやったことと言えば、ただ他人の記憶を覗き見して、何かしようとそんな気になっていただけ。
結局、私がいなくても口入屋さんが上手くやったはずだ。
「この人から聞きました。あなたが思い出させてくれたのね。私はまた勝手な思い込みに囚われていたみたい」
「本当、私は何もできなくて」
「前にもこんな話をしましたが、僕は誰かに思われるからこそ自分があるんだと思います。今回あなたが思ってくれたからこそ、僕や妻がいるんですよ」
「そんな……私なんか……」
「〝あなた、だから〟です」
「ええ、本当ありがとう」
二人に伝えたかった言葉が私にも……返ってきた。言葉が、――返って来た。
「また、来てくださいね。今度はお団子も用意しときますから」
「お、お団子ですか?」
「嫌いではないんでしょ? 買い物カゴに大切そうに入れてましたもんね。ふふふ」
そんな所を見られていたのか。恥ずかしい。でも、お団子はおいしい。ここでもおいしいお団子を食べられる。それはいいこと。
「コーヒーにはこのお菓子。なんて勝手な決め付けや思い込みに縛られて、私はまた形ばかり気にしていたのね。もっといろんなお菓子を試してみるわ」
「コーヒーとお団子、合うと思います! 特に、こしあんなんかがおいしいと思います!」
「こしあんね、わかったわ」
思わず漏れ出た心の声で催促してしまった。慌てて取り繕おうとしたが奥さんの快い返事で上手い言葉が見つからなくなる。
「今日は本当にありがとうございます」
「お団子楽しみにしててね」
「は、はい! 楽しみです!」
「暗いですからお気をつけて」
「はい、ごちそうさまでした」
――カランカラン――
外は暗くも街灯や隣家から漏れ出る明かりで意外にも明るい。
帰りがけ、口入屋さんにも挨拶しようと喫茶店の店内を探したが見つけることはできなかった。メモ帳に話しかけている所を奥さんに見られ「今は手帳も音声入力なのかしら」と言われて恥ずかしい思いをした。
言われるがままに織った紙飛行機の疑問はトイレに戻る前に教えてもらった。あれは口入屋さんが旦那さんの記憶の中で見たものらしい。奥さんへの思いを伝えあぐねて何度も恋文を認めては、渡せずに飛行機にしていたのだとか。
少し冷えた風が先ほどまで居た喫茶店の温もりを恋しがらせる。誰かと食事を共にするなんて本当に久しぶりだった。それに、互いを思いやる二人の側はなんだか心地がよかった。本音や気遣った言葉が気持ちよかった。
〝あなた、だから〟――そんな言葉に私も甘えていいのだろうか……。
何かになろう、ならなければ、私もそう思っていた。
だから焦っているんだ。今の私には恐ろしいほど耳触りの良い言葉。
自分のままでいいという、どうにもできない甘え。
――――私、少しは何かになれたのだろうか。




