二十七話
「年齢や外見が近い記憶に触れたようですね、感情が呑み込まれたわけではなく、無意識につられて同調してしまったのでしょう」
そっか……。あの記憶は……あの感情は私の、じゃないんだ。変な感じがする。確かに私が、見て、触れて、感じたはずの感情。それが他人のものだなんて、頭では理解できる。でも、まだ全然気持ちが整理しきれていない。ただただ、あの温かさが名残惜しい……。
でも、見つけられた! だから、見つけられた!
奥さんの思い込みを変えさせる方法! 言葉を折る方法!
「わたしも間接的に記憶を拝見しましたが、めぼしい手掛かりがあったようには見受けられませんでした。やはり、直接否定の記憶をどうにかしなければいけないようですね……」
「ビーフシチュー」
「はい?」
「ビーフシチューです!!!」
「お腹が減ったのですか? ですが今は……」
「ち! が! い! ま! す! 奥さんの言葉を折る方法です!」
「深く同調したからこそ、何かに気付くことができた、ということですか?」
「そこまで大層なことじゃないんですけど、きっかけは掴めると思います! でも、それには旦那さんの協力が必要なんで……」
「奥さんの状況の説明、わたしたちの説明、――少々難しいですね」
「それでもちゃんと説明すべきだと思うんです。何もわからないまま大切の人が苦しんでる、そんなこと、きっと旦那さんは耐えられない」
奥さんだけじゃない。旦那さんも苦しんでいる。だからこそ二人には気付いてほしい。自分の思う自分じゃなくても互いにはもう替えのない存在なのだと。
変えるんだ。二人の『私が』『僕が』そんな〝こうあるべき〟なんて思い込み。
「そうですか……。わかりました、協力すると言った以上、わたしも最後まで付き合います」
「じゃあ、さっそくなんですが……口入屋さんって、われびと? を戻せるんですよね? 私を元の体に戻してもらえませんか?」
旦那さんに伝える為にはまず肉体である〝私〟に戻らないといけない。
「わたしが何かしなくても今のあなたなら戻れるはずですよ」
今なら戻れる? どういうこと? 今までは〝迷惑をかけてはいけない〟って思いが戻れるきっかけになっていたと思う。でも、さっきはそれができなかった。ますますわからないことだらけだ。
半信半疑でトイレに戻るとそのまま〝私〟に戻れた。
「今までの苦労は何だったの……」
そんなことよりも、旦那さんに説明しなきゃ。
店内へ戻ると口入屋と名乗ったあやしい女性の姿はなく、カウンター奥で互いにもたれるように眠っている二人に巻き付いていた楓の木もなくなっていた。
いや、見えないだけで、今もある。
「やっぱり見えないか……」
――『少し待っていてください』――
口入屋さんの声がした。居る場所が特定できないほど遠い声。見えないけど、たぶん近くにいる。
――『紙を……出して……ください』――
幻聴のような声は不確かに、さらに遠くなっていくような。
紙? 用途がわからなかったがバックに入れてきた手帳を取り出し、メモ用のページを開いた。
すると、何もない白紙ページから文字が浮かび、文字が綴られる。
――今から起こしますので、ご説明の方お願いします――、と。
そうだ、目的を忘れてはいけない。まず、旦那さんが起きたら、二人を縛り付けているものを説明する。それから旦那さんにやってもらいたいことの説明。
到底信じてもらえるような話ではない、それでも言葉を尽くそう、尽くすべきだ。
私は気持ちを切り替え、何から伝えるべきか考えた。一番に伝えるべきは奥さんのことだと思った、次にその対処方法だろう、と。でも、これは私の都合の話、私がやろうとしていることの最低限の伝達であり、相手の動揺を誘うことで優位的位置に立とうとしているだけだ。
順序が違う。言葉を尽くすなら、相手に伝えたいなら、言いたいことを話すのではなく、わかる言葉、伝わる言葉で最初からがいい。
程なくすると旦那さんが起き上がった。
「ん、ん……僕は、一体……急に眠気が……っ! おい! 大丈夫か!」
旦那さんは目覚めると、すぐに奥さんに気付き取り乱した。
「あの、奥さんは大丈夫です! 眠ってるだけなんで」
「眠ってる? ……そ、そう、ですか……よかった……」
安堵したあと、奥さんを車椅子に運ぶとブランケットを膝にかけた。
「あの……」
「……あっ! すみません! お客さんがいるのに寝てしまうなんて……寝不足だったせいでしょうか……自己管理がなっていなくてお恥ずかしい……」
奥さんに気を取られていた旦那さんは、再度声をかけるまで私の存在を忘れていたという様子。慌てて謝罪の言葉を向けられたが、一連の眠らせた理由を知っている身としては素直に受け取れない言葉。
とりあえず説明をしよう。
「あの、お話いいですか?」
「本当に申し訳ありません……。お話? ですか? なんでしょう」
「昨日の夜のことを説明させてください。それから旦那さんと奥さんのことについて、私が知っているお話を」
私は自身が割れ人という幽体のようになってしまうこと、その状態で昨晩喫茶店に侵入したこと、そこで旦那さんに会ったことを順を追って最初から話した。そして今日また、ここでその状態になり、偶
然とはいえ旦那さんや奥さんの記憶に触れたこと、二人の過去、辛い出来事を知ってしまったこと全てを話した。ゆっくりと間を取って、伝える努力を怠らずに。
始めは私がからかっているものと思ったのか、耳半分といった感じで、それでもぞんざいにすることはなく、静かに聞いてくれていた。しかし、二人の記憶に触れたという話と事故の話、二人を縛る言葉を耳にした途端、旦那さんの顔色は変わり、信じられないと、驚きと混乱を隠し切れない様子で狼狽えた。
……無理もない。幽体だのと虚言じみた話の相手ならいざ知らず、自分自身に関わる記憶や過去を知っているなどと話されて冷静でいられるはずがない。
「勝手にお二人の記憶に踏み込んでしまいました……ごめんなさい」
私は謝罪した。最初は偶然でも、そのあとは好奇心に駆られた故意だったからだ。次の話をする前にちゃんと言わなくちゃいけないと思った。
「何と言っていいか……信じられないな……でも、……事実のようだ……」
到底信じられない話。しかし、私が知るはずない二人の記憶や言葉は信じざるを得ないと裏付けさせているよう。
「信じ難い話ではあると思いますが……もう一つ」
旦那さんの反応を見つつ、ゆっくりと、わかるように。
「お二人には木のようなものが巻き付いていて、特に奥さんはひどく締め付けられた状態でした。これは二人が自分を責める言葉から生まれたものらしいく、このままでは奥さんに悪い影響を及ぼすかもしれません」
「そんな……妻ばかりなんで……なんで……」
「その木を、言葉を折る手伝いを私にさせてください」
「どういうことですか……」
「人の記憶を勝手に覗いてしまった罪滅ぼしと言いますか……、ただの私の自己満足かもしれません、いまさら蒸し返されたくない話だってこともわかってるつもりです、他人がとやかく言える話じゃないことも。それでも、言葉が自分を責めるだけになるなんて、辛いです……」
「ありがとう……。僕も何かできるものならどうにかしたい。でも、彼女にしてやれることなんて僕には……」
「そんなことないです! 旦那さんは知っているはずです! 奥さんの言葉を折る方法!」
「え……僕が、ですか?」
「そうです! 旦那さんだからできることです!」
「それは一体……何をすれば……」
「ビーフシチューです! ビーフシチューを作りましょう!!!」
「ビーフ、シチュー、ですか?」
「はい! 奥さんの好物ですよね?」
「ええ、そうですが……今はそんな……」
「今、だからです。お二人に思い出してほしい記憶があります。忘れないでほしい言葉があります」
忘れるはずのない記憶。ただ、心の奥底、辛い記憶や日常の些事が言葉を隠してしまっているだけ。
「私、材料を買いに行きますね」
「買い物なら僕が行きます。お客さんにそんなことさせられません」
「え、でも」
「ビーフシチュー、ですよね。材料はわかっていますから」
旦那さんは「財布を取ってきます」と奥へ下がったあとエプロンを外して戻ってきた。
「今日はもう店を閉めるのでお客さんは来ないと思いますが、もし入って来てしまう人がいたらお手数ですがその旨を伝えてもらえますか?」
「はい、わかりました」
「それと、少しの間妻をよろしくお願いします。では、行ってきます」




