二十四話
《――君のせいじゃない》
次に聞こえたのは旦那さんの静かな声。目の前には桜の木の下で笑顔を向ける男の子の写真。お菓子やジュースが供えられた祭壇。小さな白い箱。
《――私が……あの子の手を……ちゃんと……私が、もっとちゃんと……》
泣き擦れた声が言葉にならない。
その先は見ずに葉から離れた。人の過去を勝手に覗いたことへの後悔が遅れて押し寄せてくる。理性がそんな勝手が許されるわけがないと責め立てる。
私は何をやってるいんだ! 好奇心? ふざけるな!
「最低だ!」
自身の勝手さをさらに責めた。
実体がない〝今〟をいいことに自分勝手になっていた。相手との間に自分がいなければ行動を顧みなくてもいいのか、きっとそれは違う。違うはずだ。
旦那さんが言った『僕らには子供はいませんから――』、という話は最初からいなかった訳ではなかった。二人には子供がいたのだ。奥さんの足が悪いというのも、きっと事故の後遺症か何かなのだろう。
……事故。二人を今も縛る忘れられない記憶。悲しい記憶。
改めてこの異様な木を見つめた。木が記憶なのだとしたら、なぜ私には同じようなものが無いのだろうか、通りを行き交う人にもあるようには見えない。
記憶、と思われる木は、なぜか奥さんの方に多くの枝を絡みつけているように見える。足から体、頭の辺りを圧迫している様はどこか痛々しい。記憶といっても悲しいことばかりが記憶じゃないはず。
木は今も尚、唸りを上げながら二人にとぐろを巻くように絡みつく。
「何なのこの木は……」
「枝が葉を付けるのではありません。幹が枝を伸ばすのではありません。根が幹を育てるのではありません」
私はその気配に全く気付けなかった。意識を向けていなかったせいか声が聞こえるまですぐ隣に現れた存在を認識できなかった。
えっ、――いつの間に、……それに、一体何を言って……。
突然隣に現れた人物は私が見ているものと同じものへ言葉を向けているよう。
白と黒のモダンな給仕服の女性。露出の少ないロングスカート。そして服装に不似合いな長いストールを肩先まで巻き、顔の上半を布のような面で隠している。
店員さん……、そんなわけないか、こんな怪しすぎる店員さんいない。何かのコスプレだろうか。
「葉が枝を伸ばすのですよ。〝言葉〟の〝葉〟が、ね」
「あの、……お店の人、ですか?」
謎の人物におもわず声をかけてしまった。すると、予想外にも私の方に体を向けながら「一応、――
〝お店〟の人です。『口入屋』というお店ですが」
彼女はそう言った。
意味がわからない。それより、何より、この人に私が見えているということに驚いた。見えないはずの私が見られている。
「えっ、私のこと見えてるんですか?」
「ええ、見えていますよ。あなたも、そして、あの木も」
「あの木は一体何なんですか!? 何か知ってるんですか!?」
「あれは言の葉、つまり、人の言葉です。そして葉は年月や反唱を重ねて成長する、その結果があの姿……」
「コトノハ?」
「待ってください、その説明の前に……」
彼女は徐に二人に近付くと、筆のようなものを取り出し、二人に向かって「少し、おやすみください」、と言いながら筆で空を切らせた。
途端――二人は互いにもたれるように脱力して崩れる。先ほどまで活発に唸りを上げ、葉を揺らしていた禍々しい木もいつの間にか鳴りを潜めた。
「二人に何をっ!?」
「危害を加えたわけではありません。ただ、このままではよくない結果しかありませんから、今は眠ってもらいました」
含みのある言葉に疑問ばかりが募る。そもそもこの人は何者なのだろうか。二人に何をしたのか。なぜ私が見えるのか。
「二人にはある言葉を送りました。――あなたは、眠れない夜に羊を数えたことはありますか?」
「何ですか急に、……はい……何度か……」
「あれは、羊が一匹、羊が二匹、と数えるのではなく、one sheep,two sheep,と数え、その発音が自然な呼吸を促すという話なのです。ですが、もう一つ、羊を表すsheepと睡眠を表すsleepが似てるという言葉遊びが由来とも言われています。後者は少しいい加減な話に聞こえますが、その実、理に適っていて、言葉の力によるものなのですよ。自己暗示の一種と言ってしまえばまたいい加減さが増してしまいますが……ね」
謎の人物は先の行動の説明と補足をしてくれているようだが全然わからない。
「ごめんなさい、何言ってるのか、全然わからないんですけど。それと、なんで私が見えるんですか?」
兎に角、わからないことが多すぎる。この人も幽体離脱なのだろうか。
「そうですね、ちゃんと説明しましょうか、言葉は伝えられてこそ、ですからね。それに、知っていてもらった方がよさそうだ」
言ったあと、謎の人物は私に対して体を正面に向き直り。
「――わたしは〝口入屋〟と申します」
そう告げ、女性は話しを始めた。
――〝口入屋〟とは何なのか、この植物に溢れた異質のない異常な世界は何なのか、今の私のような状態を〝割れ人〟ということ、など。それらの説明をしてくれた。
つまり、私のような何らかの原因で元の体から離れてしまった人を割れ人と言い、そんな不確かな存在になった人を助けるのが口入屋と名乗る彼女の生業、らしい。
次に、現実には存在を認識できなかったあの謎の植物たちは人の生み出した言葉だという、人の感情や強い思いなどが言葉としてより明確になることで形を持つもの、らしい。姿が植物なのは単に性質が近いからとかどうとか……。
説明を受けても納得や理解できる話しではなかった。しかし、その言葉の端々にはどこか既視感があった。なぜだか知っているような、そんな。
結果、わからない、という結論のまま、保留にすることにした。
不思議と物事や説明内容を受け入れている自分がいる、納得や理解がある、それなのに理由や根拠が不明瞭な感じで少し気持ちが悪い。
「あの木についてもお話しましょう。先ほど申し上げた通り、あれは〝言葉〟なのです。〝言の葉〟なんて聞いたことはありませんか?」
〝言の葉〟……言葉をものに例えた飾った言い回し。比喩表現だ。確か、古今和歌集の序文かなんかで、心を〝種〟そこから生み出される和歌、つまりは〝ことば〟を〝葉〟に例えたもの。




