十九話
次に気付いたとき、部屋には光が差し込んでいた。
眠ってしまったらしい。
「あれ、いつの間に、こんなとこで……」
そうだ、面接。慌ててスマホを探す。――七時。
まだ朝みたい。予定の時刻には余裕はある。とりあえずの安堵に一息を吐いた。
体が痛い。
ずっと同じ体勢だったのか首と腕が固まっている。あと、昨日のこと、……夢? じゃないよね。うん、しっかりと覚えている。
それより今は、スーツ。シワになったジャケットとスカートにアイロンをかけて、エントリーシートを仕上げなきゃいけない。
アイロンはすぐ終わった。もう慣れた作業。でも、エントリーシートが書けない。未だ慣れない作業。
『論理的な書き方』『良い例、悪い例』そんなサイトをついつい見てしまう。
不安がテンプレートを探してしまう。そして思う。〝私はどこだろう〟と。
未だ慣れない作業。
――〝私〟――を説明する言葉はここには多くない。
――〝私〟――の説明する言葉はここには必要ない。
それだけがわかっていること。
これだけの四角い空白が埋まらない。
いくつかの四角い空白が埋まらない。
〝私〟が埋められない。
「気分、変えよ……」
シャワーでさっぱりさせよう。この絡まった気持ち。多分続く。
また、シャンプーとコンディショナーを間違えた。位置を離して置いているのに学習しない。シャンプーはボディーソープと同じく浴槽のふちに。コンディショナーは下。そこまで離しても間違える。それどころか、たまに、「あれ、今終わったのなんだっけ?」と、なり、頭や体を二度洗うことも少なくない。人の記憶や認識とはこれほど脆いのかと疑いたくなる。
気付くと体を左手から洗ってしまっていた。いつもと違うことをするとなんだか不安になる。不運や幸運をそのことに結び付けてしまうからだ。
日頃の習慣。ルーティンというもの。私はそれをあまり持たないことにしている。
どうしても同じことを繰り返したり、癖のようなものもあるが、決まったこと、決めたこと、それらが成立しない場合、そのあとの出来事を、やはり、幸運や不運などの目には見えないものと結び付けてしまうのだ。そんな不確かな不安に心を埋めるのは馬鹿らしいと思っている。
違ったことをしたから何だというのだ。いくらそう思っても、何かをする前であれば不安は残ってしまう。新しいバスタオルを出そう。それでも前向きに。今日は面接がある。
結局、エントリーシートは後回しにした。前のコピーを参考に埋めてしまおうか、とも思ったけど、変な自分の中にあるルールがそれを許さなかった。嘘は論外。決まった定型文擬きだろうが言葉は尽くすべきだ。――なんて、期日を守れない者がおこがましいにも程がある。
それでも、数少ない自分が誇れる信条。どこにも伝わらない。あまり必要ではない。そんな一つ。
予定があるときに限って時間のスピードが速い。まるで嫌がらせのようだ。
今日受ける企業に送ったエントリーシートのコピー文をファイルホルダーから取り出し確認する。面接の日時が記載されたメール文を何度も確認。電車の時間と面接場所の確認。迷うこと、電車の遅れを想定しつつ出発時間を決める。
「よし、行こう!」
外は変わらない日常。昨日見た景色はどこにもない。通りを歩くと数人と目が合い、すぐに逸らす。そのあとなるべく下を向いて歩いた。いつもの日常。変わらない、いつも。
面接は長引くことなく午前中のうちには終えることができた。しかし、精神的な疲労が次の行動を抑制させる。数十分の言葉のやり取り、それが私に絡みついて離れない。
その原因の一つ『この空白の期間は何を?』という質問。
学歴や職歴、そこに空白、つまり穴が開いている者はその説明をしなければならない。常に何者かでいることが当然の世の中、そこにできてしまう空白は異常と認識され、不利な印象を与えるものでしかない。
今の私を判断するのに、これまでの私がずっと付きまとう。
不出来で、粗悪。それだけで失敗。空いた時間はただの無駄。そう思われているのだと思い知らされる。
それでも、誰かにとっては無駄な時間でも、私にとっては必要だった時間。
私は自身の経緯を話したあとにいつもこう続ける。
――『その時間があったからこそ、今、人の目を見て話せるんです』――と。
必要のない補足、聞かれもしない主張。
躓いたことがない人は笑うだろう。転んだことがない人はわからないだろう。
傷がずっと痛いんじゃない。次が怖いから踏み出せなくなる。
痛みを知るとなんでもなかったもの怖くなる。想像してしまう。
あのときの痛み。そんな怖がりがあの人たちの呼ぶ〝空白〟になってしまう。
瘡蓋をいくらほじられようがもう慣れたこと、乾いたことだ。
でも、空白は今になってぐちゅぐちゅと疼き出す。
ただの質問、それに言い訳なんて必要ないことはわかっている。
わかっている。
それでも、『私には無駄じゃない』そう、ちゃんと言葉にしたい。
もっといい答え方もあると思う。
耳触りのいい答え。体裁のいい答え。整った答え。
でも……この質問は繰り返し聞くうちに、自分が〝空白〟と言われている気持ちになってしまうから。否定されているような気持になってしまうから。
だから、……これでいい。何も間違ってはいない。
これでいい。
夕方に予約なしの企業説明会の予定を入れられたが早々に家に帰って来てしまった。一日一回の行動ターン。これじゃアルバイトをやめて就職活動に専念なんて言えない。
面接を乗り切った自分へのご褒美にとっておきに手を伸ばした。
餡団子、それと牛乳。牛乳は砂糖ひと匙とマグカップに入れて電子レンジで少し温める。――約束された至福の時間。
本日、初めての食べ物がじんわりと気持ちの張りをほぐしていく。結果は兎も角、何かしたという達成感が胃痛を少しだけ忘れさせてくれる。
いい加減な痛みだ。
あっ、昨日みたいにまたできるかなぁ?
気持ちのほぐれがちょっとした好奇心を捉えた。異質のない異常。私の知らない日常。〝私〟がいない世界。人目を気にしないというのは奇妙でありながら、とても興味が引かれる。私たちの使っている『人目を気にしない』という言葉は単に心持ちの話であって、何も気を使わなくてもいいということではなし、人目が無くなるわけでもない。
だけど、その世界は本当に人目を気にしなくていいのだ。気にしないも何も相手の目に映らないのだからその必要自体がない。
〝こうしなければいけない〟〝ああしなければいけない〟
何かに〝ならなければいけない〟大体が自分で作り出す制限。しかし、それは人の中で生まれてしまったもの。そんな当たり前から解放される気がした。
何も、――気にしなくていい世界。
気持ちが逸った。




