十三話
アパートに着いたときには辺りはもう暗くなっていた。
いろいろあった。そんな気もするけど、結局何をしに出かけたのかわからないほど何もしていない。
「ただいま……」
六畳間に小さく帰宅を告げる。
鞄と靴を玄関に残し。
スマホをベッドに投げつけ、上着とスカートはアイロン台に放った。
何もしたくない……。
何も考えたくない……。
自身もベッドに投げつけ、思考と行動の終了を宣言する。
「おやすみ……」
次に目が覚めたのは昼過ぎだった。
寝すぎた……。
お風呂にも入らず、メイクもそのままで寝てしまった。
スマホには着信が数件。携帯ショップからの『新生活プランの案内』や、求人サイトからの『新社会人マナー講座』、美容サイトからの、新しい自分『春スタイル特集』など、など。世間の当たり前が胃を締め付ける。
春は、嫌いだ。
最後に、知らない番号からの着信と知らないアドレスから一件。
『――昨日の面接の件でご連絡いたしました。現在選考保留という形をとっております。急な体調不良、諸事情による欠席でしたら対応いたしますので、再度面接を受ける意思がある場合〇〇までにご連絡お願いします。ご連絡がない場合は選考から除外させて頂きます――』
こんなメールをもらったのは初めてだ。
求人サイトを介さず直接履歴書を送った会社だった。面接をすっぽかす。連絡もいれない。どれも社会人としていたらない行い。
そんな私のもしもへの気遣い、少しでも私を見ようとしてくれる配慮、私に宛てられた文章に心が締め付けられた。
今までなかった。こんな連絡。
ただの文章なのに、突きつけるだけの報告や連絡ではないことが嬉しかった。
返事の内容を考えつつ、歯ブラシを咥えお風呂場へ向かう。
アパート選びで一番重視した風呂トイレ別。確かに快適ではあるがお風呂なんてここ数ヶ月入ってないかもしれない。好きだったものがいつからか、ただの習慣、作業になってしまった。
シャワーが時々冷たくなるのにも慣れた。シャンプーとコンディショナーを間違えたときは膝でキープさせる。体は右手から洗う。
バスタオルを二日は乾かして使う。たまに三日……。ドライヤーを使う時間を気にするようになった。
メイクは少し諦めた……よくわからん。あまり変わらん。そんな生活の繰り返し。
今日はパーカーを着よう、今日もパーカーを着よう。
少し大きいサイズが私を包む。
見せたくない私、見られたくない私、そんな私を隠してくれる。
あとはタイツにショーパンでも合わせようかな。
いつもと同じ組み合わせ、足が細くなった気になるから。
お気に入りのスニーカーで出掛けよう。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
アパートの扉を開け、外を少し歩いただけで栄養が足りていないと体からの警告音が鳴る。
昨日から何も食べていない。
また倒れるわけにはいかない。
あっ、そうだ、ちょっと遠いけどスーパーへ買い出しに行ってみよう。冷蔵庫も空腹だ。
薄影な路地から通りに抜けると、黄色の小さな軍団が隊列をコロコロ入れ替えながら元気に行進していた。
近所の小学生の下校。――もうそんな時間か。
一日を無駄にしてしまった気になる。左のお腹が苦しくなる。何もしていない、そんな罪悪感は胃を執拗に責めたてる。私の中の何かが責め立ててくる。痛くて苦しくてどうしていいかわからないもの。
まぁ、こんな日もアリかと、無理矢理に罪悪感を押し込めた。
スーパーでの買い物を終えたあと、和菓子屋さんに足を止められ、好物のお団子を買ってしまった。
外の世界は誘惑が多い。
家路に就こうと信号待ちをしていると品のよさそうな初老の女性に声をかけられた。
「あの――ごめんなさい? 少しお伺いしてもよろしいかしら?」
私と同じ買い物帰りの様子。
「はい? 私、ですか?」
「ええ。最近こちらへ越してきたばかりでね、道がわからなくなってしまったの。小学校の裏側に自宅があるのはわかっているのだけれど、この辺ちょっと入り組んでいるでしょ?」
「この辺の小学校ですか?それなら私の自宅も近いので案内しますよ」
近くはないが帰る方向は同じなので提案してみた。
「よかったぁ、助かるわ。めんどうお掛けしてごめんなさい」
「いえ。お荷物大丈夫ですか? お持ちしましょうか?」
女性は杖こそついていなかったがどうも足を庇うような歩き方をしている。
「お気遣いありがとう。でも平気よ」
そう笑うと世間話に引っ越してきた経緯を話してくれた。
旦那さんが退職後、籠りがちになってしまったので趣味の珈琲を活かして喫茶店でも、と奥さんが薦めたらしい。『そんなに簡単にいくわけないだろ』と批判が多かった旦那さんだったが、試しにと友
人や知人に話してみたところ、都合のいい居抜き物件を紹介され、とんとん拍子に話が進んだのだという。
今日は足の悪い奥さんを気遣って、旦那さんが買い物に行くというのを「あなたは買い物なんてわからないでしょ」と言い、勝手に出掛けてきてしまったのだという。「それで道に迷ってはしょうがな
いわね」と笑って話してくれた。
奥さんの自宅兼喫茶店は小学校の裏手から少し離れた住宅地の中
にあった。
昔からある古い街並みと新しい住宅地とが混在した閑静な場所。
土地勘のない者が入れば迷ってしまいそうなほど複雑な路地。
そんな一角に蔵のような、少々目立つ真っ黒な建物が一軒。
どうやらここらしい。一階が喫茶店、二階が居住スペースなのだろうか。
目立った看板こそ無いが、通りに面した窓から見える内装がお店だと説明している。
リユース物件というものだろう。外壁を塗り直して内装はお店、カフェの装いだが元は蔵造りの古い建物だとわかる。
「本当に、わざわざ、ありがとう。どうぞ中で休んでいってくださ
い」
「いえ、お構いなく……」
店がわかる所まで案内して途中で引き返すつもりが、奥さんに強引に連れて来られてしまった。
「そう言わずに、まだ準備中なので大したおもてなしはできませんが」
「いや、本当に、お気持ちだけで……」
問答をしていると声を聞きつけたのか、旦那さんと思われる緑のエプロン姿の男性が慌てて店先に出てきた。
「すいません、わざわざ」
旦那さんはすぐさま状況を察した様子で続ける。
「どうぞ、中へ」
こちらも強引だった。
「じゃ、じゃあ……少しだけ」




