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感情の爆発

 陛下に、こちらの状況をわかってもらうためのお手紙を書いてみたところ、即レスが届いてしまった件。

 

 私、葛方或架くずかたありかはカリンさんに戻るなり手渡された書状を片手に少しばかり困惑していた。

 手紙を届けたら戻ってくると思っていたカリンさんが戻るまでに少し時間がかかっていたので、何かあったのかと思っていたのだけれども……まさかそのまま折り返し返事が届いてしまうとは思っていなかったのだ。

 先ほど受け取った書状よりも、見た目からして簡略化された小さな手紙。

 一国の王が他国の王族に送るもの、としては問題があるのかもしれないが、私としてはこれぐらいの方が気が楽だ。

 ほっと息を吐いて、手紙を開いてみる。

 そして、思わず笑みが零れた。






『先ほどは形式ばった書状を送ってすまなかった。

貴方への言葉は貴方に直接届けたい。

わかりやすい言葉を心掛ける。

わからなかったらわからないと言ってくれ。


元気か?』







 先ほどと変わらず、丁寧で、それでいて力強い書体。

 けれど、その内容はすんなりと理解できた。

 陛下が私が読みやすいようにと、一文を短く切ってくれているからだろう。

 短くまとめられた文面からも、陛下のそんな気遣いが感じられて嬉しくなった。とてもじゃないが、あんな殺気を振りまいている人の書く文章ではない、とまで思ってしまって苦笑した。


 ……陛下は殺気を振りまいたり、私を怖がらせようなんて思っていないはずだ。

 

 私が勝手に怯えて、怖がってしまっているだけだ。

 こうして文面を見ていると、とても優しい人のように思える。

 早く、ちゃんと顏を見て言葉を交わせるようになったら良いな、と思った。

 私は喉を傷めてるので喋れないが、それでも。


「エストーネ様」


 カリンさんに名前を呼ばれて顏をあげる。

 この名前で呼ばれることにも、随分と慣れてしまった。

 私のものではない、「彼女」の名前。

 私の中にいる、別の誰かの名前。

 

「御返事はどうなさいますか?」


 ……おおう。

 どうしよう。

 私としても、せっかくなので返事を書いてしまいたい気はしている。

 だが、私が返事を書いたならば、カリンさんは再び陛下の元までお使いに行かなくてはいけなくなってしまう。

 短い文章でやりとりをする、ということは、その分回数が増えるということだ。

 それは、手紙を届けるカリンさんの負担にはならないだろうか。カリンさんには私たちのやりとりを配達することの他にもいろいろとやらなければならない仕事があるはずだ。私はシーウェイ先生の診察とリハビリぐらいしかやることがないので暇なので良いのだけど。

 現代日本的に、Eメールが使えたならば便利なのに、としみじみ思う。

 私は机の上に置かれていた紙を引き寄せ、ペンを滑らせる。


『カリンさんが大変じゃない?』

「滅相もございません。陛下とエストーネ様のお役にたてることでしたら、喜んでさせていただきますとも」

『もし忙しいようだったら、他の用事や仕事を優先してくれても大丈夫だから』

「お気遣い、ありがとうございます」


 カリンさんが私へと深々と頭を下げる。

 私のように声が出せず、さらには足も不自由な相手に仕えるとなると、普通の相手に仕えるよりもカリンさんの気苦労は多いような気がする。

 そんな中で、本当によくしてくれるカリンさんにだからこそ、あまり余計な手間をかけさせてしまいたくないというのが本音だ。

 が、なんとなくカリンさんからもお手紙はまだですか、というオーラを感じる。

 きっと、因縁のある一族である花兎からやってきた花嫁である私が、琥狼の王である陛下と親しくしてくれることを歓迎しているのだろう。

 それなら……その言葉に甘えて陛下へとお返事を書くとしよう。




『お気遣い、ありがとうございます。

陛下の心配りのおかげで、穏やかに暮らすことが出来ています。

元気です。

陛下はお元気ですか?』




 なんだろう。

 ものすごく、英会話初期を彷彿とする会話になってしまった。


「How are you ?」

「I'm fine.Thank you.And you?」


 的な。

 実際、異文化コミュニケーションまっただ中ではあるので、間違ってはいない。

 書きあげた手紙の、インクが乾くのを待ってから丁寧に畳む。そして、封蝋を押してからカリンさんへと託した。


 本当は、陛下に話さなければいけないことはたくさんある。

 陛下も、私に聞きたいことはたくさんあるだろう。

 最初に受け取った書状の文章量は、形式に乗っ取ったからという理由だけではないはずだ。

 それでも、私たちはお互いに確信に触れられずにいる。

 大事なことなので、出来ることならば顏を見てきちんと言葉を伝えたい。文字だけでは誤解が起きることも多い。実際、私はどうやら陛下のことを嫌っている、という誤解を陛下に与えてしまっていたようだし。

 相手の顔を見て、感情の揺らぎやリアクションを見ながら生の会話できちんと伝えたい。

 だが……正直それがいつになるのかが現状見えない。

 私は本能的な問題故に陛下が怖くて仕方がないし、それでもせめて同じ部屋にいられるならまだ何とか頑張りようがあるのだが、恐怖のあまり気絶してしまうというかよわさだ。

 昔ネットで、猫に襲われた兎が、傷一つないのにショック死してしまった、という記事を見かけたことがあったが、どうやら兎というのは私が思っていた以上に繊細な生き物であるらしい。

 

 なるべく早く、本当のことを伝えたい。

 けれど、大事なことだからこそちゃんと顔を見て伝えたい。


 相反した二つの希望を天秤にかけて、私はうーんうーんと唸るばかりだ。

 一応、陛下が手配してくれたおかげで、少しずつ上位種と呼ばれる種族に対する耐性もついてきている……ような気はしている。先日は夜狐やこという種族の子供と同じ部屋で過ごすことが出来た。今度は、夜狐のもう少し年長の男の子、その次は夜狐の大人の女性、といった形で少しずつランクをあげて慣れていくことになるらしい。夜狐の大人の男性と同じ部屋で過ごせるようになったら、今度は琥狼ころうの人と一緒に過ごせるように練習することになるそうだ。

 頑張りたいところだが、あんまり無理をすると余計に怖くなってしまうらしいので、焦りは禁物だとカリンさんが教えてくれた。


 少しずつ、少しずつ。


 そう思うのに、謎の焦燥に胸が焼ける。

 早く、早く、と思ってしまう。

 私は何を焦っているんだろうか。

 

 

 

 

 

★☆★

 

 

 

 

 

 カリンさんは、やっぱりしばらくしてから陛下からの返事と共に戻ってきてくれた。封蝋を丁寧に剥して、開く。





『私も元気にしている。お気遣いをありがとう』





 やっぱり頭の中で中学一年生向けの英語の教科書がよぎっていった。





『こんなことを聞くと怒らせてしまいそうだが……。

貴方は家に帰りたいと思うか?

もしそう思うなら、もうしばらく辛抱して貰えないだろうか。

貴方の身柄は悪いようにはしない。

多少時間はかかっても、貴方の望むようにしたい』





 どくり、と。

 その文面を読んだとたんに、頭が真っ白になった。

 心臓がばくばくと脈打つのがわかる。


 家。

 私の、家。

 

 その言葉を改めて認識したとたんに、これまで直視しないようにと閉じ込めてきた感情が溢れだす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰りたい。

 ただひたすらに、家族の元に帰りたいとそう思う。

 家族はこんな姿になってしまった私を見て、どう思うだろうか。

 きっと両親は泣いてしまうだろう。

 これまで私を慈しみ、育てあげてくれた両親にとって、私のこんな姿は何よりも辛いはずだ。私以上に私のことを考えてくれる両親。

 これまで大事に育ててもらった。

 そして、これからはひとりで頑張って、それでも何かあったらいくらでも頼りなさいと言って送り出されて一人暮らしを始めた。

 それなのに、私は今こんな見知らぬ世界の見知らぬ場所で、とんでもない目にあってしまっている。

 それはどれほどに親不孝なことなのか。

 胸が軋むように痛んだ。

 

 父さん、母さん、ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。会いたい。おうちに帰りたい。

 

 言葉にならない感情が轟々と私の胸の内で渦巻く。

 発露は、ぽろりと零れた涙だった。

 花兎や琥狼の事情や、この世界に適応しなくては、なんていう理性的な思考がこれまで無意識に圧縮して忘れようとしていた感情を「家に帰りたいと思うか」なんて言葉が揺り動かしてしまった。

 

 帰りたいと思うか、だと?

 帰りたいに決まってる!

 

 陛下に対する八つ当たりめいた暴言が喉奥までこみ上げる。

 代わりに零れたのは熱っぽい嗚咽だ。

 掠れた、吐息混じりの嗚咽。

 

 家に帰りたい。家に帰りたい。元の世界に、元の生活に、家族の元に帰りたい。

 これまで当たり前のようにあった私の人生を返して欲しい。誰かどうにかして私を助けて欲しい。家にかえりたい。いえに……。

 

 ぐしゃり、と陛下からの手紙を握る。

 頭の中はめちゃくちゃだ。

 制御できない感情だけが轟々と燃え盛る。


「エストーネ様……?」


 カリンさんがおそるおそるといったように私を呼ぶ。

 でも、それは私の名前じゃないんだ。私の名前じゃない。


「(私は、葛方或架くずかたありかなの……!!!

やめてよ知らない人の名前で私を呼ばないでよ……!)」


 喉を傷めて声を失っている、という現実も、だから声を出そうとしても無駄なのだと、そんな冷静な判断ですらどこかに行ってしまった。

 箍の外れた衝動のままに私は泣き叫ぶ。

 当然それは音にはならず、ヒュウヒュウと掠れた音だけが周囲に響く。

 それが余計に自分への憐憫を煽って、余計に泣ける。

 

 別に大した声じゃなかった。

 美声ってわけじゃなかったし、歌が特別うまいってわけじゃなかった。学生時代の合唱コンクールでは、声は大きいのに音を外すことが多いせいで、よく友達にからかわれた。電話で母親と声を間違えられた。私は父親似で、でも声だけはお母さんによく似てる、なんて言われてたのに。私の喉はもう音を出せない。もう、そんなことも起きない。友達とした長電話。他愛もない話で、何時間もファミレスやファーストフードで時間を潰したこともあった。それも、もう出来ない。何もかも、私からは奪われてしまった。


 返して。

 帰して。

 私から奪ったものを返して。

 私を元の世界に帰して。

 

 掠れた嗚咽で泣き叫ぶ私に、カリンさんが青ざめて踵を返すのがわかった。

 誰か人を呼ぶ気なのだろう。きっと、シーウェイ先生だ。

 駆け去るカリンさんを見送って、私はぼんやりと思う。

 

 

 

 家に、帰ろう。

 

 

 

 足が動かないのがなんだ。

 声が出ないのがなんだ。

 私は家に帰るんだ。

 家に帰って、家族にあって、酷い目にあったね、って親を泣かしてしまうことに胸を痛めながらも、そんな痛みをやり過ごして、家族と一緒に乗り越えて、私はまた日常を過ごすんだ。


 かけられていた羽布団を腕で跳ねのけ、私は足を下ろす。

 素足の裏に感じる、柔らかな絨毯。

 足の腱が切られてしまっているとはいえ、何も感じないわけではない。

 むしろ、動かそうと思えば足の指だって動くし、こうして座っている分にはそんなに違和感は感じない。

 だから、きっと立てるはず。

 だから、きっと歩けるはず。

 ゆっくりと、立ち上がる。

 ほら、立てたじゃないか。

 次は一歩を踏み出して、歩く。

 

 ずる、り。

 

 不器用ながら、ちゃんと一歩は踏み出せた。

 歩けないわけじゃない。

 感覚としては、足が痺れて上手く動かないときのぎこちなさによく似ている。

 どこか筋が突っ張っているような鈍い痛みがあるが、そんなものは知らない。

 今は気にしていられないし、気にしたくもない。

 そんなことよりも、私は家に帰りたい。

 一歩一歩足を引きずるようにして歩いて、扉へと向かう。

 カリンさんは私が歩けないと思っているからなのか、それとももとより私を閉じ込めるつもりもないのか扉に鍵をかけてはいない。

 取っ手を握って押しやれば、扉は簡単に開いた。

 これまで、出たことのなかった部屋の外。

 朱塗りの柱と、同じく明るい色合いで塗られた壁が続く廊下が私の目の前に広がっている。

 どこでもいい。

 どこに繋がっていてもいい。

 外に出たい。

 家に帰りたい。

 私は、家に帰るんだ。

 壁に手をつき、体を支えながら一歩一歩、ゆっくりと踏みしめて歩く。

 頭のどこかで、冷静になれ、お前今とんでもないことしてるぞ、と囁く声が聞こえるが、今はもう感情だけが私の身体を突き動かしていた。

 誰にもすれ違わなかったのを良いことに、私は好き勝手に突き進む。

 出口へ。出口へ。

 きっとここを出られたら、家に帰れる。

 

 

 

 

 

 

★☆★

 

 

 

 

 

 どれくらい歩いただろう。

 きっと、そんなに距離は進めていない。

 それでも、私は突き当りの扉にたどり着いていた。

 この扉の向こうが外に繋がってなかったとしても構わない。

 それなら、また歩けばいい。

 きっといつかは外にたどり着ける。

 そしたらきっと、きっと家に帰れる。

 

 全身ですがるようにして、扉を押しあける。

 柔らかな日差しと、ほのかに花の香りを含んだ風が、鼻先を湿った土の匂いが掠めていった。外だ。ようやく、外だ。

 これで。

 これできっと。

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 

 わかってた。

 本当は最初からわかってた。

 いくら部屋の外に出たって、家に帰るすべなんてないってわかってた。

 ただ、そう思いたかっただけだ。

 そう思っていたかっただけだ。

 だから私は部屋から出ようとしなかった。

 だから私は、自分の部屋から窓の外を眺めようとはしなかった。

 だから私は、鏡を見なかった。

 ここが異世界だと、元の世界とは決定的に違う場所なのだと認めたくなくて、現実を認めたくないがために、現状を受け入れているフリをしてた。

 陛下と話して、誤解が解けさえすればきっと家に帰れると自分を誤魔化してた。

 こんなのは一時的なことだけで、自分の身に起こった不幸は、きっとリカバリー可能なことなのだと、そう思っていたかった。

 

 ぺたん、と座り込む。

 湿った土の上に直接座りこむ不快感を一瞬覚えたが、もう頑張れない。

 

 扉の向こうには、楽園のような花園が広がっていた。

 いわゆる空中庭園、と呼ばれる造りになっているのか、花園の向こうには、見知らぬ街が広がっている。

 高層ビルも、空を飛ぶ飛行機も何もない。

 抜けるように蒼く美しい空には、二つの太陽が輝いている。

 色とりどりの花々の匂いに惹き寄せられたように飛び交っているのは、左右2対の翼のある小鳥だった。





 ここは、異世界だ。

 

 

 

 どうしようもないほどに、異世界だ。

 帰れない。

 家には帰れない。

 家族の元には帰れない。

 絶望にこみあげる嗚咽が、ひくひくと喉を震わせる。

 ぼろぼろと零れる涙で顏はぐちゃぐちゃだ。

 ひんひん、と情けなく啜りないていると、少し離れたところで土を踏む音を聞き取った。

 この世界に来てから、私の耳はだいぶ良くなった。

 そんな変化すら煩わしいと思いながらも、花兎としての本能からかその物音を無視することが出来ない。

 ぐいぐいと無造作に目をすりながら顔をあげた先――……少し離れた場所に立つ黒衣の男を見た。

 

 

 

 陛下、だ。

 

 

 

 明るい陽の下でさえ、黒々とした長衣は白んで見えなかった。

 光を呑みこむような漆黒。

 黒銀の髪だけが、かろうじて光を弾いている。

 陛下は、口を堅く結び、両手を体の脇でしっかりと握りしめ、何か強い感情に耐えるようにしながらそこに立ち尽くしていた。

 きっと、それが、私が陛下を怖がらずにすむ距離なのだろう、と思う。

 だから陛下は、それ以上近づかない。

 何かしら行動に出たいだろうに、その衝動に耐えている。

 私を、怖がらせないように。


「……、」


 熱い嗚咽が、ひくりと零れた。

 少しだけ。

 ほんの少しだけ、声が出なくて良かったと思った。

 きっと、わんわん泣きじゃくって、陛下に当たり散らすような暴言を放ってしまったら、きっと私は後から死ぬほど後悔する。

 陛下の見ている前で、私はわんわんと泣きまくった。

 声もなく、音もなく、全身の水分を絞り出すかの勢いで、泣きまくった。

 そして、唐突に虚脱感はやってきた。

 

 

 

 

 何やってるんだろう、自分。

 

 

 

 

 陛下の言葉をきっかけに、プチっとスイッチが切れてしまったかのようにどこかに言っていた理性が、ようやく戻ってきてくれたような、そんな感覚。

 今さらながら、とんでもないことをしてしまった感に襲われる。

 喉が痛い。

 足も痛い。

 湿った土の上に直接座っているせいで、ぞわぞわと体に這い上がる冷気が気持ち悪い。

 立ち上がろうとするが、ベッドに座っている状態からならなんとか立ち上がれた私も、地面に座っている状態からだとなかなか立ち上がることが出来ない。

 動かないというわけではないのだが、どうも足首のあたりで踏ん張りがきかず、体を支えることが出来ないのだ。

 良いところまで体を浮かしたところでべしゃりと膝から崩れて転んだ。

 土が柔らかい分、痛みはそんなにない。


「……ッ!」


 陛下が息を呑むのがわかる。

 一瞬、陛下が駆け寄ろうとしたのがわかった。

 けれど、陛下はそれを堪えた。

 ぐっと手を握り締めて、ただただそこに立ち尽くして、まるで何かの罰でも受けているかのような面持ちで、私を見つめている。

 その距離が、陛下の優しさだった。

 

 

 

 

 

★☆★

 

 

 

 

 

 しばらくの間、私と陛下はそのまま見つめあっていた。

 そこに駆けつけてくれたのは、カリンさんと、見覚えのない兵士らしき青年だった。怖い、という印象を受けないのは、彼が上位種ではないからなのだろうか。


「失礼いたします。

この者に、お運びさせてもよろしいでしょうか……」


 カリンさんの申し訳なさそうな問いかけに、こっくりとうなずく。

 勝手に部屋から出てきてしまったのは私だし、いつまでもこうしているわけにはいかない。自力で部屋に戻るには、私はもう草臥れすぎてしまっていた。

 泣きすぎて頭が痛い。

 見知らぬ青年の腕に抱かれ、部屋へと運ばれる。

 随分と遠いと思っていたはずの部屋から庭園までの距離は、抱き上げられて運ばれるとあっという間だった。

 柔らかな寝台の上に降ろされ、泣きそうな顔をしたカリンさんが私の足元に跪いて丁寧に泥を拭ってくれる。

 その申し訳なさに、また涙が出てしまいそうになった。

 寝台の上に設置された小さなテーブルの上に乗ったままだったペンを手にとる。


『手間をかけさせてしまって、ごめんなさい』


 私の書いた文字列を見て、カリンさんの顔がくしゃくしゃと歪む。


「どうして、私などに謝りになられるのですか……っ、もっと我儘でも構わないんです、泣いてくださって構わないんです……っ!」


 痛ましげに零れる言葉に、散々泣いたばかりの目元が再びじんわりと熱を持つ。


『ありがとう、カリンさん』


 へにゃり、と浮かべたつもりの笑みはちゃんと笑みの形になっただろうか。

 カリンさんは、俯いてぽたりと涙をこぼす。


『これを、陛下にも渡して欲しいんだけど……』


 そう書いて、少しだけ空白を開けて、ペンを滑らせる。





『私は、エストーネじゃありません。

私の名前は、葛方或架。

違う世界から来ました。

どう説明したらいいのかわからなくて、これまで騙すような形になってしまってごめんなさい』





 その内容に、カリンさんは目を瞠り――……。

 慌てて私の着替え等をすませると、その手紙を持って駆けていった。

 ちゃんと話そうと思っていたはずなのに。

 しっかりと、誤解がないように状況を整えて伝えようと思っていたはずなのに。

 はあ、と深い溜息をつく。

 

 

 

 

 この世界に召喚されて、幾数日。

 その日、私は本当の意味で、その事実を受け入れた。

軽い小ネタ話になるはずが、膨らみすぎて小ネタになりませんでした。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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