第九十七話 慈悲なき狂海
リヴァイアサンを封印する。アランの方針は、アリシアとシエルが考えていた選択肢にも既にあった。
「俺たちはリヴァイアサンを絶対に討伐しなければいけない訳ではない。封印して半永久的に無力化することも、俺たちにとっては勝利と言える」
彼らが全力を出せば、もしかしたらリヴァイアサンを殺せるかもしれない。
だが確実に言えることがある。リヴァイアサンを殺すつもりで全力など出せば、間違いなく皇都に被害が及ぶ。
最も安全かつ勝率の高い手段は『封印』しかない。
「そうですね。ではその通りに伝え──」
「オォォォォォォォォォォォォッ!!」
アリシアが皇都にいる天使に意思疎通を図った瞬間、リヴァイアサンが動き出した。
海面から再び水製の騎士が現れる。
今度は先程より数が多い。一体ごとの実力も上がっているように感じる。
前方だけでなく、彼らを囲むように大量の騎士が配置されている。
「数が増えたね。ギアが上がったと言うより、本調子に戻りつつあるってことかぁな」
「ならこの後はもっとエゲツない技が飛んでくるってことか」
リヴァイアサンはまだ封印から復活して間もない。
眠りから覚めたばかりの人間が最高のパフォーマンスを発揮できないように、リヴァイアサンはまだ本調子ではなかった。戦いの中で、調子を上げ続けている。
「予知の奇跡を貴方たちに付与しておきます。私から離れすぎると効果が途切れますが、それまでは利用してください」
騎士たちが迫る最中、アランとシエルの視界に光の線が現れる。先程、光線を避けた時に見たものと同じものだ。
彼らは互いに距離を取りすぎないよう注意しながら、付近の騎士を薙ぎ倒していく。相手の方が圧倒的に多い状況で、仲間と距離を取るのは危険と判断した。
「オオォォォォォォォォァァァァァッ!!」
だが、リヴァイアサンはそれを許さない。
今も上がりつつある出力を存分に発揮し、周囲から大量の光線が放った。
リヴァイアサンの操作によって、光線は空中で方向を不規則に変えた。騎士の群れを突っ切り、多方向からアランたちに迫る。
「クソッ、容赦無いなッ!」
予知の奇跡に従い、彼らは光線を回避する。
かなりギリギリの状況だ。騎士たちの相手をしながら、高火力な光線を受け止める余裕は彼らにはない。
光線を躱しながら騎士を倒す。だが動いている内に、彼らは互いに距離を離しつつあった。
一度距離を取らされては、再び近づくのは難しい。アランはその場を切り抜けることに注力した。
「《刃則術式二型・乖那抜殺」
振り向きながら後方に斬撃を放つ。
さらなる強化が施されたとはいえ、それでも騎士たちの力はアランたちには及ばない。この一振りで付近の
騎士を一掃できる想定だった。
だが、
「なッ!?」
剣は何者かによって受け止められた。
それは鋼の鎧に身を包み、手には大剣を持った鋼の怪物。
オルレアが作った魔鎧騎士と同じものだ。
「_q]o,` rq:;23/p@1!!」
魔鎧騎士が剣を振り抜いた。
アランは凄まじい勢いで突き飛ばされた。騎士の群れを突っ切りながら吹き飛ぶアランへ、さらに魔鎧騎士は刺突を放つ。
剣を盾にして受け止めるが、勢いは殺せない。そのまま群れの外まで突き飛ばされた。
(外見はオルレアたちが作った魔鎧騎士と同じ。だが、なんだこれは……!)
今の二撃で理解できた。
アランが戦ったものより、魔鎧騎士の膂力が上がっている。既に剣の刃に亀裂が入っていた。
「p2:3zk7:0〆*a々!」
再び魔鎧騎士が突っ込んでくる。両者は互いの矛を激突させた。
不幸中の幸いか、新たに魔鎧騎士が現れる気配は無い。
まだ量産はできないのか、もしくは生成に時間がかかるのか。
アランには分からないが、一体だけでも十分過ぎる脅威だ。アランは魔鎧騎士の相手をするだけで手一杯になっていた。
この魔鎧騎士はオルレアたちが作ったものとは訳が違う。ただの兵器ではなく、リヴァイアサンが新たに創造した生物だ。先程と同じ手が通じるか怪しい。
苦難に表情を曇らせながら、アランは魔鎧騎士と激突を続けた。
****
アランが魔鎧騎士の相手をしている間に、アリシアたちはほぼ全ての騎士たちを掃討していた。
「アラン君っ!?」
すぐにアリシアはアランが危機に陥っていることに気づく。彼に助勢しなければならない。
「ラファエル、彼を!」
『───ッ!』
天使の内の一体をアランのもとに向かわせようとするが、彼女たちの目の前に高波が現れた。
黒く濁った莫大な海水が、アリシアたちに覆い被さろうとしている。アリシアの視界には、もはやこの高波しか映っていない。
しかし、この状況もアリシアには見えている。
「カマエル、ザドキエル!」
二体の天使たちが既に構えていた。
高波の壁に穴を開けるべく、天使たちは砲撃を放った。
だが、
「─────ッ!?」
次の瞬間、アリシアたちの全身を圧迫感が襲った。
視界に映る光景はほぼ変わらない。黒く濁った海水で満ちている。
肌の濡れた感覚から、ここが海中だとアリシアは理解した。
(これは、空間転移ですか……やられましたね。未来予知の弱点が、ここで足を引くとは)
アリシアの未来予知は数秒後に自分が見る光景が見える。故に、現在と数秒後の未来で得られる視覚情報が似ていると、同じ場所にいると錯覚してしまう事がある。今回はその弱点が足を引いた。
(焦ってはいけない。まず状況を把握しなければ)
自分を落ち着かせ、辺りを確認する。
まず目に映ったのは自身が呼び出した六体の天使たち。《至高七天》が分断されていなかったことは幸いだ。
皇都に派遣した天使には、既にリヴァイアサンの封印について伝わっている。酸素も奇跡でどうにかなる。窒息死の心配はないが、外の状況が分からない。すぐに海上に出なければならない。
その時、視界に青い光が映った。
足元一帯が淡く輝いている。リヴァイアサンの攻撃だと思い、アリシアは構えた。
だが、
(あれは………人!?)
それらはただの光ではなかった。人間が体から淡い光を放っている。それが無数にいた。
彼らは武器の類を持っていない。敵意も見えない。幻覚かと思ったが違う。そもそも精神干渉の類は、アリシアの奇跡の前では自動的に無効化される。効くはずがない。
正体不明の群衆に困惑している内に、相手がアリシアに近づいて来た。
『人だ!助けが来たぞ!』
男の姿をした者が声を上げる。なぜか彼らは喜んでいた。アリシアはすっかり状況に置いていかれている。
『あぁ…やっと助けが……どれだけここにいた事か』
『なんて温かい光……ようやく救われるのね……!』
歓喜の声は、明らかにアリシアに向けられていた。
何かが人の姿に化けている可能性もある。奇跡を用いて改めてアリシアは観察するが、やはり敵意や殺意は微塵もない。内面は至極普通の人間だ。
おそらく彼らは言葉が通じる。アリシアは試しに声をかけた。
「すみません、状況が理解できないのですが…貴方たちは一体……」
『ああ、すみません。そうですよね、急に喜ばれても分かりませんよね』
『私たち、ずっとここにいたの。冷たくて暗いところに、もう何年も。気がおかしくなりそうだった』
『どうか我々を助けてください!早く家に帰って家族に会いたいのです!』
『僕も帰らないといけないんです!だからどうか──!』
「わ、分かりました。出来る限りのことは尽くします。ですから落ち着いてください」
半ば勢いに流されて、アリシアは言ってしまった。
彼女の性格上、救いを求める者を無視することはできない。
「ここは海の中です。まずは海上に出ましょう。海上では今、強力な魔法生物が暴れているので、安全とは言えませんが……」
そこでアリシアは言葉を止めた。その理由は二つ。
一つは自分の発言と現状の矛盾に気付いたからだ。
ここは海の中。そしてこの者たちは『ずっとここにいた』と言っていた。
人間が海の中にい続けられるはずがない。体温低下と酸欠で死ぬ。魔法や聖裝能力を使ってもいつかは魔力切れで効果が絶える。
つまり、ただの人間がずっと海中にいられるはずがない。
そして二つ目は──。
(……何、この未来)
アリシアの目に映った未来予知で、彼女は心臓を貫かれていたからだ。
「ラファエル!」
『────ッ!』
周囲に結界を展開した直後、結界に刃が突き立てられた。
『そ、そんな……』
その刃の根元にいるのは、一人の男。彼は驚愕に満ちた表情で、刃に変形した自分の右手をみている。
様子からして、意図してアリシアを攻撃したわけではないのだろう。
『なんで俺の腕がこんな……ああ、ぁぁぁぁァァァ!!』
変化はそれだけではない。男の体から次々に刃が突出し、四肢が刃に変わる。男は苦痛に絶叫していた。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いィィィァァァァァッ!!』
体の制御が効かなくなった男は、再び刃をアリシアに叩き付ける。結界に攻撃を阻まれようと、瞳から苦痛で涙をこぼしながら、何度も叩きつけた。
『助けてェェ助けぇぇぇぇぇァァァァァァッ!』
『嫌っ……なんで私の体がこんな……ギい、ァアァガカァァァァァァァ』
次々に人々の体が変形する。
体の部位を刃に変えた者、皮膚を千切りながらゴムのように体を慎重させられた者、腹が裂けて中から大量の牙と舌を覗かせる者、鋭利に尖った骨が全身から突き出ている者。
凶器に変えられた者たちが次々にアリシアの結界に叩き付けられる。結界に叩き付けられるたびに、彼らは痛みで絶叫していた。
『痛いッ、やだ、やめてぇェェェァ゙ァァァぁぁぁぁ』
「………ッ」
アリシアは絶句した。
悲鳴が飛び交う地獄のような光景。だが、いつまでも呆気に取られている余裕はなかった。
突然、結界にヒビが入った。
「なっ!?」
彼らの特攻は見た目は凶悪だが、威力は大した事がない。アリシアの奇跡を破るには遠く及ばないはずだ。
そんな攻撃が今、確実にアリシアの防御を突破しつつあった。
(どういう事!?これは……まさか!)
ようやくアリシアは察した。自分がリヴァイアサンの思い通りの行動をしていたことを。
これらの人間に似た者たちは、リヴァイアサンが用意した凶器だった。リヴァイアサンの力が宿っているなら、アリシアの防御を存在ごと崩壊させることもできる。
これ以上、躊躇う必要はない。すぐにコレらを破壊し、アランたちのもとに戻らなければならない。
そう考えるが、しかし。
『助けてくれないの……?』
「ッ───!」
潰れかけの顔面で少年だった者が言う。
『どうして……見てる、の?見てるだけなの?』
『早く助けてよ、お願ァ゙、ァァァァァ』
『助けてくれるんですよね!?だがらぁ、ここに来て……くれてぇぁがかあきぎぎがぁァァァァァ』
「それは……!」
アリシアは放とうとしていた攻撃を止める。
分かった。分かってしまった。彼らの正体が。
これはただの凶器ではない。人間でもない。正確には人間だったもの。
この海で死した人間たちの残響だ。
ここで攻撃することは、ただでさえ死した者にさらなる苦痛を与えることに他ならない。
それはアリシアには絶対に出来ない行為だ。彼女のような心優しい少女には、絶対に。
だが、このままではアリシアが殺される。同時に彼らを苦しめ続けることになる。
偶然か、必然か。リヴァイアサンが選んだ手法は、アリシアの欠陥を突いていた
(……これが、中途半端の報いですか)
先日、アランが言っていた。『悪意を絶やすのは必ずしも正義や善意ではない、時には悪意が求められる』と。その意味をアリシアは痛感させられた。
戦闘とは元より非道な行為だ。理由がどうあれ、身体的、もしくは精神的に他者を傷つける事こそ戦闘の本質。まさに道徳や倫理に反する悪行である。
アリシアはそれを分かっていた。その上で理想に徹していたつもりだ。
自身を罪に穢す覚悟は十分にあった。いつか報いを受けるのだとしたら、甘んじて自身を殺す覚悟はあった。
不足しているのは他者を踏み躙る覚悟の方だ。その『他者』の認識を、あくまで自身が敵対する存在に限定していた。その中途半端な覚悟と認識が、今アリシアの首を絞めている。
「………ッ」
どれほど結界に攻撃を受けても、反撃の手は上がらない。絶叫の飛び交う地獄にて、アリシアは歯を食いしばる事しか出来なかった。
***
「《浮遊式光線砲台・全機発射》!!」
大量の砲撃が空中を走る。ようやく騎士の群れを掃討し切った。
「綺麗サッパリ。これで落ち着いて一息、とはいかないかぁ」
アランとアリシアの姿が無い。リヴァイアサンに引き離されたようだ。
「意外と賢いじゃん。大厄災は頭も回るんだぁね」
リヴァイアサンは攻撃を止め、静かにシエルを睨みつける。
シエルを一対一で確実に殺そうとしている。全てを解析して適応する彼女の力を、リヴァイアサンは最も警戒していた。
「光栄だぁね。大厄災にご指名されるぅなんて」
虚勢を張りながら指輪を煌めかせる。
一対一では確実に負ける。アランたちが戻ってくるまで時間を稼ぎつつ、封印に備えてリヴァイアサンの情報を集めるしかない。
「《制限解除・機神鋼冠・彩析瞳》」
頭上に銀の輪が現れた。同時に瞳が青く光り出す。聖装具をさらに開放したのだ。
シエル・グレイシアの聖装具は極めて特殊だ。彼女の聖装具はアリシアやリオのような単一の武具ではなく、一揃え。
今、出現させた『銀の輪』と『瞳』だけでなく、背部の『翼』や手元の『棒鍵』、右手の『指輪』も、全て彼女の聖装具の一つである。
「《構築・適合・浮遊式光線砲台》」
シエルは一瞬で数千台のフロートガンを生成した。照準を合わせ、リヴァイアサンの巨体を全方向から狙い撃つ。
光線が弾かれることはなかった。僅かにリヴァイサンの鱗を焼いている。戦闘中に集めたリヴァイアサンのデータを利用し、リヴァイサンの防御を貫通するよう攻撃性質を適応させた効果が出ていた。
だがダメージは決定打には到底ならない。さらに威力を上げる必要がある。
「千でダメなら今度は万だぁよ!」
さらに台数を増やそうとするが、リヴァイアサンが先手を撃つ。
自身を起点に全方向へ衝撃波や光線を放った。触れたものは存在ごとリヴァイアサンの概念に塗り潰され、消し飛ぶことになる。
一瞬で砲台が砕け散った。シエルは自動展開した防御魔法で耐え凌ぐ。
(くそッ、これウザいなぁ。私の構築物質が悉く破壊される。概念防御でも抑えきれずにダメージ受けるし!)
今もリヴァイアサンの概念領域による不可視必中防御貫通の攻撃は続いている。衝撃波と光線と並行して防御するとなると、流石に防ぎ切れない。少しづつシエルの皮膚に傷が付いていた。
「こうなったら……!」
破壊されたなら何度も作り直し、その度に改良していけばいい。
シエルは自動的に毎秒万単位の砲台を生成しては砲撃を放ち、破壊されてはまた作り直していく。
こうしている内は、リヴァイアサンを食い止められる。さらに攻撃しながら集めたデータから、シエルは攻撃の威力を上げていく。
「《増築・機関拡張・適合》──《抑制施錠》」
攻撃に並行して、何度も力の抑制をリヴァイアサンにかけた。
シエルの攻撃が少しづつ通用し始めた。既に砲撃で肉が抉れている。
この状況が続けば、シエルの砲撃がリヴァイアサンを貫く可能性もあったかもしれない。
だが、
「うッぐ…ゥ…!」
肩が抉れた。脚に穴が空いた。爪が吹き飛び、指が折れる。
リヴァイアサン以上に、シエルはダメージを受けていた。
いくら多数の技を並行して扱えるとは言え、彼女の容量には限度がある。攻撃と適応に能力の大半を注いだことで、防御能力と回復能力が低下していた。
両者共に傷を負い続ける。我慢比べの状況だ。
そうなれば、戦況を分けるのは両者の身体的強さになる。
どれだけ長く負傷に耐えながら攻撃できるか。その勝負に於いて、人間であるシエルがリヴァイアサンに敵う要素は一部たりとも存在しない。
「ぐッアぁぁぁッ!!」
右目が潰れ、視界が血に濡れる。
視界の損傷は大きな欠損だ。途端にシエルの聖装能力の操作精度が低下した。
リヴァイアサンは当然、その隙に畳み掛けた。
「オォォォォォォガァァァァァッ!!!」
砲撃、衝撃波、雷撃、水流。指向性を宿した人知を超えた天災が、シエルに向けて放たれる。
受ければ即死。回避も防御も間に合わない。シエルは自身の死を静かに悟った。




