第九十七話 慈悲なき狂海
「封印、ですか」
「そうだ。なにも俺たちはリヴァイアサンを絶対に討伐しなければいけない訳ではない。封印して半永久的に無力化することも俺たちにとっては勝利と言える。そうだろう?」
彼らが全力を出せば、もしかしたらリヴァイアサンを殺せるかもしれない。
だが確実に言えることがある。リヴァイアサンを殺すつもりで全力など出せば、間違いなく皇都に被害が及ぶ。最も安全かつ勝率の高い手段は『封印』しかない。
「そうですね。ではその通りに伝え──」
「オォォォォォォォォォォォォッ!!」
咆哮、リヴァイアサンが再び動き出す。
空間が揺れる。また転移させるつもりだと、いち早く察したのはシエルだった。
「《空間凍結》!」
シエルはアランとアリシアに手を伸ばす。だがその時、アリシアもまた叫んでいた。
「逆ですシエル・グレイシア!これは貴方を──」
「え!?」
次の瞬間、シエルが二人の前から消失する。
シエルが転移させられた。なら次に狙われるのは残りの二人。理解してすぐアランも行動に出る。
「原始回帰・崩壊───なっ!?」
だが間に合わない。詠唱が完了するより早く、アランは別の場所に転移させられていた。
(また空間構造が変わったか!)
アランは空中に投げ出された。下を見れば、とんでもない大きさの水流の渦が竜巻のように巻き上がっている。離脱する暇もなくアランは渦に囲まれた。
これがただの海水なら離脱は容易だった。すぐにアランは離脱を試みるが、手を止める。
(なるほど、空間遮断か。竜巻の内側と外側は全く別の世界だな)
外側の気配を一切感じられない。外界と完璧に断絶されている。リヴァイアサンは自身の能力世界の中なら本当に自由自 在らしい。流石にアランも内心驚いた。
とは言え、やるべき事は決まっている。今すぐ空間を破壊する。そうしてアランが魔法術式を組んだ瞬間。
「───ッ!!」
奇妙な声が聞こえる。竜巻の中から巨大な魚が飛び出してきた。
全長は十五メートルほど。口の中に凶悪な牙が並んでいる。飲み込まれれば即死は必至だ。
「邪魔だ!」
一瞬で魚の背部に回り、剣を薙ぎ払う。今の彼の身体能力ならこの程度の敵は豆腐を切るように両断できる。
一振りで魚を斬り殺す。だがその時には別の方向から十体の巨大魚が渦から飛び出してきた。それらも殺すが、その時には百、次は千、万と、次々に数が増えていく。空間を壊すどころの話ではない。
「《砲則術式一型・天地砲宮覇王光域》」
直接屠っていてはキリがない。自動追尾の全方位射撃で強引に敵を捩じ伏せる。
「《魔人飾彩・BLUE PRIDE》」
さらに盤石を期すべく、重ねて周囲に防御を展開する。彼の瞳が青く染まり、同じく青い結晶が彼を覆う。光線を抜けた巨大魚が激突しても、結晶には傷一つ付かなかった。
(場は整えた。あとは空間を壊す!)
手元に黒い輝きが宿る。同時にアランは気付いた。
竜巻の内側が急激に狭くなっている。
三十秒以内にこの空間は潰れるだろう。そして空間の体積が小さくなるほど攻撃の密度が上がる。
既に毎秒に受けている魚の特攻は数千発。厄介なことにこれらの巨大魚は全てリヴァイアサンの創造物だ。攻撃に概念性が宿っている。これではこの結晶も十五秒が耐久の限界だ。
静かにアランは焦る。そこへ追い打ちをかけるように、彼の頭上が煌めく。空から空間を埋め尽くすほどの光線が降ってきた。
「どんな空間構造してやがる!」
毒吐きながら耐える。あと耐えられるのは五秒程度だろうか。思わず意識を無駄に削いでしまった。
己の失態を自戒する暇はない。アランは瞳を再び黒く染め、速攻で組み上げた術式を解き放つ。
「《魔人飾彩・BLACK END》!」
拡散する漆黒の衝撃波。その本質は対象の『強制終了』。
攻撃範囲内の全てが一瞬で無に帰す。竜巻も消滅した。内界と外界が接続され、アランは元の空間に戻る。
そして、
「───馬鹿な」
アランへ超高速で接近してくる敵影。それは鋼の鎧に身を包み、手には大剣を持った鋼の怪物。
すぐに理解した。これは魔鎧騎士と同系統の存在だと。
(俺を別空間に隔離してたのは魔鎧騎士を作る時間稼ぎか!)
「_q]o,` rq:;23/p@1!!」
突進してきた魔鎧騎士と剣を交える。
一合で理解できた。アランが戦ったものより、魔鎧騎士の膂力が上がっている。
オルレアたち魔装士が作った兵器ではなく、リヴァイアサンが作った新たな生命体。一つの存在として革新的な進化を遂げた時点で、この魔鎧騎士はアランの知るものとは別格の存在になった。
(これはオルレアたちが作った魔鎧騎士とはワケが違う。同じ手法が通用するか怪しい。だが……!)
選択肢が決まらない。『崩剣』を使ってもいいが、まだ早い。リヴァイアサンの封印のためになるべく余力は残したい。
だがこのまま時間をかければ何が起きるか分からない。二体目、三体目と魔鎧騎士がさらに生成される可能性もある。そうなると流石に対処できない。
苦難に表情を曇らせながら、アランは魔鎧騎士と激突を続けた。
****
アランと同じく、アリシアも別の場所に飛ばされていた。
呼吸ができない。視界もほぼ闇一色。肌の濡れた感覚がなければ、ここが海の中だと悟るのは難しかっただろう。
辺りを確認してまず目に映ったのは自身が呼び出した六体の天使。《至高七天》が分断されていなかったことは幸いだ。
皇都に派遣した天使には既にリヴァイアサンの封印について伝わっている。酸素も奇跡でどうにかなる。窒息死の心配はないが、外の状況が分からない。すぐに海上に出なければならない。
(ラファエル、ミカエル、この空間を──)
その時、視界に青い光が映った。
足元一帯が淡く輝いている。攻撃だと思い、アリシアは構えた。
だが、
(あれは………人!?)
それらはただの光ではなかった。人間が体から淡い光を放っている。それが無数にいた。
武器は持っていない。敵意も見えない。幻覚かと思ったが違う。そもそも精神干渉の類はアリシアの奇跡の前では自動的に無効化される。故に効くはずがない。
正体不明の群衆に困惑している内に、相手がアリシアに近づいて来た。
『人だ!助けが来たぞ!』
男の姿をした者が声を上げる。何故か彼らは喜んでいる様子だ。アリシアはすっかり状況に置いていかれている。
『あぁ……やっと助けが……どれだけここにいた事か』
『なんて温かい光……ようやく救われるのね……!』
歓喜の声は明らかにアリシアに向けられていた。
何かが人の姿に化けている可能性もある。奇跡を用いて改めてアリシアは観察するが、やはり敵意や殺意は微塵もない。内面は至極普通の人間だ。
おそらく彼らは言葉が通じる。アリシアは試しに声をかけた。
「すみません、状況が理解できないのですが……貴方たちは一体……」
『ああ、すみません。そうですよね、急に喜ばれても分かりませんよね』
『私たちはずっとここにいたの。冷たくて暗いところに、もう何年も。気がおかしくなりそうだった』
『どうか我々を助けてください!早く家に帰って家族に会いたいのです!』
『僕も帰らないといけないんです!だからどうか──!』
「わ、分かりました。私が出来る限りのことは尽くします。ですから落ち着いてください」
半ば勢いに流されてアリシアは承諾してしまった。
彼らが助けを求めてることは分かった。如何なる理屈と経緯があったのか不明だが、彼らは歴とした人間だ。救いを求める者を無視できるアリシアではない。
「恐らくここは海の中です。まずは海上に出ましょう。海上では今、強力な魔法生物が暴れているので安全とは言えませんが───」
そこでアリシアは言葉を止めた。その理由は二つ。
一つは自分の発言と現状の矛盾に気付いたからだ。ここは海の中。そしてこの者たちは『ずっとここにいた』と言っていた。
人間が海の中にい続けられるはずがない。体温低下と酸欠で確実に死ぬ。魔法や聖裝能力を使ってもいつかは魔力切れして効果が絶える。数時間で死ぬはずだ。
つまりただの人間がずっと海中にいられるはずがない。それが一つ目の理由。
そして二つ目は、
(…………何、この未来)
アリシアの目に映った未来予知で、彼女は心臓を貫かれていたからだ。
「ラファエル!」
『────ッ!』
すぐに周囲に結界を展開する。直後、結界に刃が突き立てられた。
その刃の根元にいるのは、
『そ、そんな……』
一人の男。彼は驚愕に満ちた表情で、刃に変形した自分の右手をみている。様子からして、意図してアリシアを攻撃したわけではないのだろう。
『なんで俺の腕がこんな……ああ、ぁぁぁぁァァァ!!』
変化はそれだけではない。男の体から次々に刃が突出し、四肢が刃に生まれ変わる。男は苦痛に絶叫していた。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いィィィァァァァァッ!!』
体の制御が効かなくなった男は、再び刃をアリシアに叩き付ける。結界に攻撃を阻まれようと、何度も続けて。瞳から苦痛で涙をこぼしながら。
『助けてェェ助けぇぇぇぇぇァァァァァァッ!』
『嫌っ……なんで私の体がこんな……ギい、ァアァガカァァァァァァァ』
次々に人々の体が変形する。刃が突き出た者、皮膚を千切りながらゴムのように体を慎重させられた者、腹が裂けて中から大量の牙と舌を覗かせる者、鋭利に尖った骨が全身から突き出ている者。
凶器的な姿に変えられた者たちが次々にアリシアの結界に叩き付けられる。結界に叩き付けられるたびに彼らは痛みで絶叫していた。
『痛いッ、やだ、やめてぇェェェァ゙ァァァぁぁぁぁ』
「…………ッ」
思わず絶句する。悲鳴の飛び交う地獄のような光景。だがいつまでも呆気に取られている余裕はなかった。
突然、結界にヒビが入った。
「なっ!?」
彼らの特攻は見た目は凶悪だが攻撃力は大した事がない。少なくともアリシアの奇跡を破るには遠く及ばないはずだ。そんな攻撃が今、確実にアリシアの防御を突破しつつあった。
(どういう事!?これは………まさか!)
ようやく察する。自分がリヴァイアサンの思い通りの行動をしていたことを。
これらの人間に似た者たちはリヴァイアサンが用意した凶器だった。たとえ個々が脆弱でも、それならアリシアの命にも届き得る。
つまり彼女は今、処刑台に立たされている状態だ。
これ以上躊躇う必要はない。すぐにコレらを破壊し、アランたちの下に戻らなければならない。
そう考えるが、しかし。
『助けてくれないの……?』
「ッ───!」
潰れかけの顔面で少年だった者が言う。
『どうして……見てる、の?見てるだけなの?』
『早く助けてよ、お願ァ゙、ァァァァァ』
『助けてくれるんですよね!?だがらぁ、ここに来て……くれてぇぁがかあきぎぎがぁァァァァァ』
「それは……!」
放とうとしていた攻撃を止める。
分かった。分かってしまった。彼らの正体が。
これはただの凶器ではない。人間でもない。正確には人間だったもの。
この海で死した人間たちの残響だ。
ここで攻撃することは、ただでさえ死した者にさらなる苦痛を与えることに他ならない。それはアリシアには絶対に出来ない行為だ。彼女のような心優しい少女には、絶対に。
だがこのままでは自分が殺される。同時に彼らを苦しめ続けることになる。
偶然か、それとも必然か。リヴァイアサンが選んだ手法はアリシアの欠陥を完璧に突いていた
(……これが、中途半端の報いですか)
先日、アランが言っていた。『悪意を絶やすのは必ずしも正義や善意ではない、時には悪意が求められる』と。その意味をアリシアは痛感させられた。
戦闘とは元より醜悪な行為に他ならない。理由がどうあれ、身体的、もしくは精神的に他者を傷つける事こそ戦闘の本質。それが非道な行為でなければ何と言う。
戦闘者とは得てして罪人であり、道徳の離反者だ。故に求められるのは自身を罪に穢し、他者を踏み躙る覚悟。
それを自覚していなかった訳では無い。アリシアはその上で理想に徹していたつもりだ。
自身を罪に穢す覚悟は十分にあった。いつか報いを受けるのだとしたら、甘んじて自身を殺す覚悟はあった。
不足しているのは他者を踏み躙る覚悟の方。その『他者』の認識を、あくまで自身が敵対する存在に限定していた。その中途半端な覚悟と認識が、今アリシアの首を絞めている。
「…………ッ」
どれほど結界に攻撃を受けても、反撃の手が上がらない。絶叫の飛び交う地獄にて、アリシアは歯を食いしばる事しか出来なかった。
***
「……ありゃりゃ、離されたか」
シエルは今もリヴァイアサンと対峙していた。
リヴァイアサンに転移させられた直後、アランとアリシアの気配も消えた。気配は薄いが感じられる。かなり遠い場所、もしくは別の空間に飛ばされたようだ。
「意外と賢いじゃん。大厄災は頭も回るんだぁね」
リヴァイアサンがシエルを先に転移させたのはアランとアリシアに転移の妨害効果を付与させないためだ。今までアリシアとアランを重点的に転移させようとしていたことから、シエルは転移対象を勘違いしてしまった。
「…………ッ」
リヴァイアサンは静かにシエルを睨みつける。この場にシエルを残した理由は単純。シエルを一対一で確実に殺すため。
全てを解析して適応する力。この戦いの均衡を支えているのは彼女の聖裝能力だ。それをまず潰す。
「光栄だぁね。大厄災にご指名されるぅなんて」
虚勢を張りながら指輪を煌めかせる。
一対一では確実に負ける。アランたちが戻ってくるまで時間を稼ぎつつ、封印に備えてリヴァイアサンの情報を集めるしかない。
「《制限解除・機神鋼冠・彩析瞳》」
頭上に銀の輪が現れた。同時に瞳が青く光り出す。聖装具をさらに開放したのだ。
シエル・グレイシアの聖装具は極めて特殊だ。彼女の聖装具はアリシアやリオのような『単一』の武具ではなく、『一揃え』。今彼女が出現させた『銀の輪』と『瞳』はもちろん、背部の『翼』も手元の『棒鍵』も『指輪』も、全て彼女の聖装具の一つである。
「《構築・適合・浮遊式光線砲台》」
数千台のフロートガンを生成。照準を合わせ、リヴァイアサンの巨体を全方向から狙い撃つ。
光線が弾かれることはなかった。確実にリヴァイサンの鱗を焼いている。戦闘中に集めたリヴァイアサンのデータを利用し、リヴァイサンの防御を貫通するよう攻撃性質を適応させた効果が出ていた。
だがダメージは大したことは無い。鱗が少しずつ焼け落ちているだけだ。さらに威力を上げる必要がある。
「千でダメなら今度は万だぁよ!」
さらに台数を増やしにかかるが、リヴァイアサンが先手を撃つ。
自身を起点に全方向へ衝撃波を放った。小隕石並みの衝撃波の表面には海水が超高速回転している。触れたものは例外なく木っ端微塵だ。
一瞬で砲台が砕け散る。シエルは再び自動展開した防御魔法で耐え凌いだ。
(くそッ、この全方位拡散攻撃が本当にウザい。私が構築した物質が悉く破壊される。概念防御でも抑えきれずにダメージ受けるし!)
不可視必中かつ防御貫通のリヴァイアサンの概念攻撃。これは単純な防御力が意味をなさない。砲台全てに概念防御を施すことは可能だが、数が増えるほど一台当たりの防御性は低下する。
そして単純な防御力に於いてもシエルの物質の硬度はリヴァイアサンの攻撃力に及ばない。そのために集めたデータから適応し、攻撃だけでなく生成する物質にも改良を加えているが、防ぎ切るにはまだ遠い。
「だったら……!」
質で無理なら量で押す。破壊されたなら何度も作り直し、その度に改良していけばいい。シエルは自動的に毎秒万単位の砲台を生成しては砲撃を放ち、破壊されてはまた作り直していく。
こうしている内はリヴァイアサンは思うように動けない。さらに攻撃しながら集めたデータから、シエルは攻撃の威力を上げていく。
「《増築・機関拡張・適合》──《抑制施錠》」
攻撃に並行して、何度も力の抑制や魔力の散乱を行い、リヴァイアサンに能力低下効果をかけていた。
防御力も最初と比べれば落ちた方だ。シエルの攻撃がさらに効果を見せている。既に砲撃で肉が抉れ始めている。この状況が続けばシエルの砲撃がリヴァイアサンを貫く可能性もあったかもしれない。
だが、
「うッぐ…ゥ…!」
肩が抉れた。脚に穴が空いた。爪が吹き飛び、指が折れる。リヴァイアサン以上にシエルはダメージを受けていた。
いくら多数の技を並行して扱えるとは言え、彼女の容量には限度がある。攻撃と適応に能力の大半を注いだことで防御能力と回復能力が低下していた。
今は最低限の回復と痛覚緩和しか施していない。両者ともにダメージを受け続ける戦況。我慢比べの状況だ。
そうなれば戦況を分けるのは両者の身体的強さになる。どれだけ長く負傷に耐えながら攻撃できるか。
その勝負に於いて、人間であるシエルがリヴァイアサンに敵う要素は一部たりとも存在しない。
「ぐッアぁぁぁッ!!」
右目が潰れ、視界が血に濡れる。
視界の損傷は大きな欠損だ。途端にシエルの聖装能力の操作精度や攻撃が低下する。
リヴァイアサンは当然、その隙を狙って動いた。
「オォォォォォォガァァァァァッ!!!」
砲撃、衝撃波、雷撃、水流。指向性を宿した人知を超えた天災がシエルに向けて放たれる。
受ければ即死。回避も防御も間に合わない。シエルは自身の死を静かに悟った。




