第九十三話 命懸けの時間稼ぎ
「……む?」
その時、シリノアは仕事の手を止めた。
彼女は今日もエルデカ王国立聖装士学園の学園長室で働いていた。今手を止めたのは、遥か遠くから強大な気配を感じたからだ。
大聖者として、シリノアは過去に『十二死天の大厄災』と戦った経験もある。この気配はその時感じたものと似ている。
(この方角はリフレイム皇国か……確かあそこにはリヴァイアサンの本体があったな。ということは……)
リフレイム皇国でリヴァイアサンが復活している。それもこの莫大な気配からして、完全な復活を果たしたのだろう。
シリノアは迷った。今からリフレイム皇国に行くべきかと。
完全な状態の『十二死天』の実力はシリノアをしても『強い』と感じた程だ。大聖者並みの力がなければ相手にもならない。このまま放置すれば、翌朝にはリフレイム皇国は海の底に沈められているだろう。
「はぁ……行くしかないか」
面倒だが仕方ない。シリノアはため息を吐きながら椅子から腰を上げ、
「……いや、待てよ?」
やっぱり椅子に座り直す。
思い出した。確か数日前から、アランとアリシアがリフレイム皇国に滞在していたはずだ。
彼らは共にエルデカ王国が誇る最高戦力者。その実力はシリノアもよく知っている。彼らなら大厄災が相手でもそれなりに戦えるはずだ。
(最悪■■が何とかする……いや、それは無いか。■■は表に出るのを嫌っているからな。人助けとなれば尚更、アランに全部丸投げするだろうな)
色々考えてみるが、この状況は悪くない。
今頃アランたちは絶望しているのだろうが、それも経験であり、一つの試練だ。
絶望的なまでの格上を相手にどう立ち回るか。今こそ最高戦力者としての真価が問われる時だ。
「励めよ、若き強者たち」
そうしてシリノアはまた、何事もなかったかのように仕事を再開した。
***
「悪いけど少し付き合ってもらうよ、リヴァイアサン。アランたちが戻るまで!」
啖呵を切ったは良いものの、リオは内心で焦っていた。
本当は海礼祭に参加するためにアシュリーたちと旅行に来ただけのはずだが、なぜ『十二死天の大厄災』と戦うことになっているのか。
(大丈夫かな……三人とも)
今頃、アシュリーたちもこちらに向かっているだろう。
リヴァイアサンの出現にもちろん四人は気付いていた。彼らの中で一番速いリオは三人を置いて、一人でここまで駆け付けていた。
結果、それがアリシアたちを救うことになったので、判断としては正解だった。だが、これは自分には重すぎる大役だ。
(まぁここまで来た以上、やるしかないんだけど)
──相手は僕の遥か格上の存在。出し惜しみして良い相手じゃない。
あくまで僕は時間稼ぎだ。アランたちが来れば何とかなる。
後の事は気にしなくていい!ここで出し切れ、一秒でも長くリヴァイアサンを食い止めるために!
「《海神の矛・真髄解放》!」
彼の足元の海が巻き上がった。リオは竜巻のように荒れ狂う海水に覆われる。
それは真の達人にのみ許された御業。リオが三又槍を薙ぎ払うと、彼を覆う竜巻は発散して吹き飛んだ。
彼の装いは変わっていた。荘厳さを感じさせる紺色を基調とした服装は、高貴さと品位を感じさせる。
首から下げたマントを暴風に靡かせながら、荒れ狂う海に凛と立つ姿は、まさに『海の王者』という言葉が相応しい。
「君からすれば僕なんて虫けら同然だろうけど、これでも同じ海を象徴とする能力の使い手だ。簡単にやられると思うなよ!」
槍を海面に突き立てた瞬間、海が激しく揺れ動いた。
海面から放たれたのは無数の槍。万単位で放たれ続ける槍の数々が、リヴァイアサンの巨大を襲った。
槍一本当たりの威力は、巨岩すら容易に粉砕する程のものだ。それほどの攻撃を毎秒十万本以上受けている。並の魔法生物なら既に消し飛んでいただろう。
だが、彼が相手にしているのは『十二死天の大厄災』の一柱。この世の全てを超越した強靭すぎる肉体には、この無数の槍を受けても傷一つ付く気配すら無い。
「さすが海帝龍、この程度じゃ気に留める必要すらないか……」
リオはもはや驚きすらしなかった。
リヴァイアサンからすれば、リオなど道端に落ちている小石のようなものだ。
道端の小石を気に留める者などいない。それ同じく、リオの存在はリヴァイアサンの意識の内にすら入っていなかった。
このままリオが注意を引くことが出来なければ、リヴァイアサンの進行を許してしまう。より高威力な技でリヴァイアサンの気を引かなければならない。
「─天よ、大海よ、我が命に従え!─」
矛先を掲げながらリオは叫ぶ。
荒れ狂う大海から無数の手がリヴァイアサンへ伸び、リヴァイアサンの体を掴んで拘束した。
リヴァイアサンがいるのは高度百メートル以上の上空。リオは矛先を引き寄せ、リヴァイアサンを引きずり下ろそうとした。
しかし案の定、リヴァイアサンの高度が下がる気配は全く無い。如何なる原理か、リヴァイアサンは悠然と宙を泳いでいる。
「だったら、これでどうだ!!」
曇天に覆われた空が煌めく。空から巨大な雷の柱が降り注いだ。
巨体が閃光に呑み込まれる。その時、初めてリヴァイアサンの動きが止まった。
効いている。あのリヴァイアサンが間違いなくリオの攻撃の影響を受けている。
上手く行った。リオはさらに攻撃を激化させようとする。
だが、
「グゥゥゥゥオォォォォアァァァッ!!!」
リヴァイアサンが吠える。その声は莫大な質量の衝撃波となって周囲に轟いた。
海から伸びる手が弾け飛び、雷撃が掻き消される。リオは全身に伸し掛かる衝撃から、膝を曲げてしまった。
(なんて威力!ただ吠えただけなのに!)
超大型の鉄球でも降ってきたのかと錯覚しそうになる。
リヴァイアサンは視線をリオに向けた。リヴァイアサンはこの時、ようやくリオという存在を認知したのだ。
「………ッ」
リオは動けなかった。動くという思考すら湧かなかった。ただ見られるだけで、全神経を恐怖が支配する。
これが『十二死天の大厄災』。天才と謳われた戦士ですら、挑むことさえ許されない絶対的領域の存在。
「ははっ……本当に、強さっていうのは、果てが無いな……」
──震えが止まらない。神経から細胞に至るまで、僕の全てが『逃げろ』と警告してくる。
本当なら逃げたいさ。何が悲しくてこんな化け物と一人で戦わないといけないんだ。
正直、もう後悔してる。囮役なんて買って出なければ良かったと。
きっと僕ではリヴァイアサンの吐息一つすら耐えられない。こんな役割、分不相応も良いところだ。
ただ、それでも。
「それは……それだけは、出来ないんだよ!」
たとえ相手が格上だろうと、自分に一切勝ち目が無かろうと、ここで諦めるようでは自分は前に進めない。
いつか抱いた『憧れ』を頼りに、リオは心を奮い立たせる。
ただでさえ実力では完全に劣っているのだ。根性論でも痩せ我慢でもなんでも良い。精神面で折れるわけにはいかない。
「来いよリヴァイアサン!僕はまだまだやれるぞ!」
***
一方、皇都にて。
「シエル・グレイシア……貴方が言う『助っ人』とは彼女のことでしたか。学園長を呼んだのかと思いましたよ」
「呼べたら良かったが、あの人が来ることはあり得ない。シエルですら学園からリヴァイアサンに気付けたんだ。あの人が気付いてないはずがない。それでも来ないのは……」
「私たちに解決させるつもりだから、ですか。無理難題もいい所ですね」
「仮にも俺たちはエルデカ王国の最高戦力。その肩書きを背負うからには、これくらいの厄災は自力で乗り越えろと言いたいんだろうな」
アランは知っている。シリノアが戦いに於いては特に厳格であることを。
彼女は戦闘中に何が起きても受け入れる人間だ。誰かが死んだり、悲劇に見舞われても構わない。むしろシリノアはそこに介入することを嫌っている。それが本来あるべき世界だからだ。
たった一人の人間に世界の法則や出来事が左右されるようでは、世界のバランスが保たれない。故にシリノアは余程の事態でない限り、何事にも傍観を貫き通すと決めているのだ。
「だが学園長を除けば、戦力を追加するのは俺たちの自由だ。出来ればグレイとミハイルも呼びたかったが」
「それについてはぁちょっと待ってくれなぁい?」
「は?」
「多分もうちょいでぇ、来るはぁず……」
シエルが何もない空間を見ていると、再び空間に異常が生じた。
先程、シエルが空間を繋げて移動してきた時と同じく、そこに別空間からの入り口があった。その中から出できたのは二人。
「よぉし、連れてぇ来たよぉ」
片方はシエル。正しくはシエルが聖裝能力で生成した、シエルを模した自律型機械人形。
さらに、その後ろから茶髪の少年が現れた。高身長かつ筋肉質な体付きはまさに戦士そのものである。
彼こそが学年実力序列第五位、天譴の執行者、グレイ・フォーリダント。
アランたちと同じ学園最高戦力者の一角。その実力は間違いなくエルデカ王国最高峰に位置する。
「遅れてすまない。事情は聞かせてもらった。俺もこの戦いに加勢する──」
まずグレイが見たのはアランだった。
一気に彼に不機嫌な気配が漂う。アランも同じく睨み返した。
「アラン……なぜお前がいる。お前は一番人助けから縁遠い人間だろ」
「ローヴェン国王に聞け。命令されてなかったら俺もここにはいない」
今が緊急事態でなければ、アランもグレイも今すぐ愚痴を山程吐いてやりたいところだった。それ程に彼らの仲は険悪なのである。
「グレッチは学園にはいなかったぁけど、どうせ王家直属聖裝士団の訓練場にいると思ったぁから、私の人形に連れてこさぁせたんだぁ。あ、もう帰っていいよぉ」
「はぁ〜い」
シエルが言うと、シエルを模した機械人形が消滅した。
何とも言えないやり取りである。アランたちは見ていて微妙な気持ちになった。
「ミハッチも連れてきたかったけぇど、流石にミハッチの居場所は知らないから諦めたぁの」
「こればかりは仕方ないな。だがこれで最高戦力者が四人。戦力としては悪くないな。良くもないが」
リヴァイアサンはアランたちにとっても格上の強敵だ。同等の実力者が四人揃ったところで、勝てるとはとても言い難い。
それでも、一切勝機が無かった先程よりはマシだ。
「改めて計画を話すぞ。俺たちに足りないのは戦力と環境。リヴァイアサンを皇都に近づけずに討伐するために、戦線を維持する備えがいる。だから回復やバフが可能な後方支援を担う奴、それとリヴァイアサンと戦える……最低でも《真髄解放》を使える聖裝士が欲しい。あと万が一、皇都に戦火が及びそうになった時や戦力の不足に備えて、予備の聖装士も控えさせておきたい」
「分かりました。では私がリフレイムの要人の方々に交渉しに行きましょう。その間にアラン君たちでリヴァイアサンの相手を──」
「いいえ、貴方も三人と一緒に行って、アリシア・エルデカ」
また新たな声がした。そこにいたのはフィーネだった。
「フィーネ!?なんでまだここにいる。早くここから離れろ。すぐにここも危険地帯になる」
「後でそうさせてもらうわ。でも私も皇女よ、少しくらいは仕事させて。特にアリシア・エルデカに任せようとしていた戦力の交渉は私向きだわ。確か皇族や関係者は皆、街に避難させているのよね?ならすぐに街に行って話を付けてくる。こんな事態だし、皇族や皇国騎士団も慌ててるでしょうから、難しくはないはずよ」
「だが、お前は大丈夫なのか?」
それは彼女の周囲の人物との関係を考慮した言葉だった。
フィーネはこれまで周りに失望されてきた。皇族のような皇国の要人との人間関係は良くないはずだ。フィーネにも辛い記憶があるだろう。
彼女に交渉を任せるのは、フィーネには酷だとアランは思った。
だが、
「そこも含めて問題無いわ。リヴァイアサンは貴方たちからしても格上。こんな事で大事な戦力を削いだらダメよ。分かったらさっさと行きなさい!」
フィーネはもはやそんな事など気に掛けていなかった。再び全てと向き合うと決心した彼女の覚悟は固い。
「……分かった。お前を信じる。行くぞお前ら……って、何を呆けてる」
「いや……」
「ただ、少し……」
「うん、面白いなぁって」
「訳の分からない事言ってないでさっさと行くぞ。今もリオが戦ってる」
先んじてアランは駆け出し、リヴァイアサンのもとへ向かう。
アリシアはフィーネに振り返った。
「フィーネさん、任せましたよ」
「ええ、任されたわ」
この時、アリシアは理解した。アランの内面に起きた変化の原因が、フィーネにあることを。
「さぁ、私たちも行きますよ」
「はい、《正義の天譴》!」
グレイの手に現れたのは、彼の聖装具である大剣だ。太陽のような橙色の刃の縁には、焦げ跡のような黒色が見える。
蒼と黒が混ざった色取りの柄を握り締め、グレイは自身の身長より大きな大剣を担ぎ上げる。
「はぁい……(帰りたいなぁ)」
気怠そうにしながら、シエルは右手の人差し指に付けた『指輪』を輝かせる。
これはシエル・グレイシアの聖装具の『一部』だ。各々準備を整えると、三人はアランの後を追った。
「頑張って……皆」
アランたちの無事を祈りながら、フィーネもまた街に向かって走り出した。




