第百十八話 いつか握った手
自分がどこで落下しているのか、理解するのは簡単だった。
肌に触れる水飛沫と、すぐ側から聞こえる滝の音。アシュリーは今、滝を落ちている。
(まだそれなりに距離があったはずなのに、幻惑の影響!?)
霧のせいで地面までの距離が分からないが、早く落下を止めなければ、地面に打ち付けられて死ぬ。
魔法で落下を止めようとしたアシュリーの右足首に、何かが巻き付いた。
それはツタだった。ツタは凄まじい力で、アシュリーを地面に手繰り寄せる。
「《風刃・浮遊》」
風の刃でツタを切り離した。風魔法で落下の勢いを殺し、ゆっくりと着地する。
足元は平坦な岩場だった。おそらく、ここに自分を攻撃した相手がいる。
「《結界・空間把握》」
体表に結界を展開しながら、気流や温度から周囲の状況を把握する。
自分を囲むように、周囲に何かが点在している。姿までは分からないが、五十体以上はいる。
(ん、霧のせいで敵が見えない……ムカつく)
周囲に鎧を纏う兵を展開する。
盾と槍を装備した重兵士で自身の守りを固め、攻撃用に軽装の兵を顕現させた。
「「フアアァァァァァッ!!」」
蛇のような鳴き声を上げながら、何かが突っ込んできた。
ツタだ。だが今度はただのツタではない。先端に鋭利な牙が生えそろった口がある。アシュリーを喰うつもりだ。
「切り伏せて」
指示に従い、軽装の兵が迎撃に動く。上や横から迫るツタを、兵は的確に切り落とした。
アシュリーの生成物は独自の意識を持って動いている。そのためか、アシュリーは自身の生成物と思考を共有することができる。
魔法で探り当てた敵の位置や攻撃の方向をアシュリーは兵に共有し、兵はその情報から敵を切っていた。
攻撃の波は一度では終わらない。何度も様々な方向からツタが襲いくる。兵は一本も逃すことなく、全ての攻撃を斬り続けた。
(まずは様子見、可能なら倒しきる。多分、アランたちの所に兵が残ってるから、その内、兵がアランたちを連れてきてくれるはず)
何度迎撃しても、ツタの数が減る気配は無い。
単純に群れとして動いているのか、それとも本体がどこかにいるのか。
「「フアアアァァァァァッ!!」」
ツタが奇声を上げながら、口から何かを吐き出した。
吐き出された物は無色だった。この霧の中では、尚更何が起こったか分からない。
故に対応が遅れた。
「っ……!?」
前のめりに体が傾く。突然、体から力が抜けた。
(まさか、毒!?)
直接、攻撃は受けていない。毒を取り込むタイミングがあるとすれば、大気から取り込む可能性しかない。
既に周囲の大気には、毒が蔓延している。屋外なので、何もせずとも大気中の毒は薄まるだろうが、このまま取り込めばどうなるか分からない。
「「ファァァァァァァァァァッ!!」」
策を行使する間を与えず、容赦なく攻撃が続く。
アシュリーは今まで通り、兵に情報を共有して迎撃を任せる。だが兵の攻撃は当たらなかった。
兵の攻撃は全く見当違いの箇所を狙っていた。目の前まで迫ったツタを、寸前で周囲の重兵士が弾き返す。
(外れた?どういうこと?)
何度か試すが、兵の攻撃は空振り続ける。
体が弱っているとは言え、魔法で敵と攻撃の方向は分かっている。しかしアシュリーの情報は間違っていた。
敵が行動を変えたのではない。変わったのはアシュリーだ。
その変化の原因は、取り込まされた毒としか考えられない。
(そうか、毒で感覚を狂わされてたのか)
最初、アシュリーは魔法生物が見せた幻惑の類によって、ここまで連れてこられた。これも似たような現象だ。
相手は感覚を狂わせる手段を持っている。まず、周囲と体内の毒を解決しなければ戦えない。
「任せたよ、皆」
アシュリーは兵との思考の共有を切った。兵たちは独断で動き、ツタを迎撃していく。
彼女の生成物は灰で作られている。内臓も血液も神経も無い生成物には、如何なる状態異常も通じない。
環境が視覚と魔力探知を妨げているため、攻撃の精度はどうしても下がるが、時間稼ぎはできる。
アシュリーの聖装具から灰が飛び出る。灰から体高一メートル程の蛙のような生成物が、五体現れた。
ソレらは大口を開き、凄まじい力で大気を吸引する。蔓延していた毒が次々に取り込まれていく。
「《回復》」
並行してアシュリーは自身を治療した。受けた毒の構成要素を知識から予想し、解毒を試す。ほぼ万全の状態まで回復できた。
(様子見はもういいや。ちょっと試してみよう)
大量の灰が巻き上がる。灰が形成したのは、全長十メートル程の灰色の龍。
龍は口から毒々しい緑色の気体を吐き出した。気体が周囲に蔓延し、周囲を緑で染めた。
「《爆撃》」
自衛用の重兵士を残し、他の生成物を全て送還させる。次いで火球を放った。
火球が空気中で爆ぜた瞬間、連鎖して大気が大爆発を起こした。辺りは敵ごと爆発に呑まれていく。
「けほっけほっ……《風波動》」
煙にむせながら、風魔法で煙を吹き飛ばす。
煙は飛ばせても、エインガナの影響で生まれた霧までは消えない。相変わらず視界は悪いが、《空間把握》によって敵が全滅した事は分かる。
(これで相手がどう動くか……)
「「フアアァァァァァァァッ!!」」
雄叫びが上がる。また先端に口が付いたツタが現れた。
数は今までと同程度だが、ツタの太さが違う。先程のツタの倍は太い。
(終わらないって事は、どこかに本体がいるパターンか)
《空間把握》で周囲の温度や気流を探るが、本体がなかなか見つからない。余程遠くにいるのだろう。
霧のせいで姿も見えない。本体の魔力反応を探ろうとしても、魔力濃度が非常に高い大気が探知を妨害する。
環境が悪すぎる。できれば逃げたいが、霧の中では退路は見つからない。
「はぁ……面倒、最悪、ウザすぎる」
定期合宿はまだまだ続く。なるべく余力を残したかったが、中途半端にやって勝てる状況ではない。
ツタが高く振り上げられ、地面を叩く。地面に身を削がれても、何度も止まらず叩き続ける。
アシュリーには、その意図が読めなかった。叩かれる度に地面が揺れ、次第に揺れが強まったところで、ようやく意味を理解する。
「くそっ」
咄嗟に先程の龍を形成しようとするが、間に合わなかった。衝撃に耐えきれなくなった地面が先に崩壊した。
アシュリーが立っていた場所は、岩肌から横に作られた足場だった。さらに下にある足場に向けて落下するアシュリーを、空中でツタが包囲する。
焦りから表情が歪んだ。その瞬間、空から熱線が降り注いだ。
「アシュリー!!」
聞き慣れた声が響く。熱線と共に、上空からアランが降ってきた。
熱線がツタを払い除け、包囲に道を作る。アランはアシュリーに追いつくと、彼女を右腕で抱えた。右手には棒状の何かを握っている。
「アラン!?」
「《電磁着》」
驚くアシュリーに構わず、アランは付近の岩肌に向けて引力を発生させ、接近した。
土魔法で岩肌に横穴を作り、そのまま横穴に滑り込む。再び土魔法で穴を閉じ、横穴の中に身を潜めた。
「はぁ……これでもう追われないはず」
アシュリーを下ろすと、アランは息を吐いた。
この霧の中だ。潜伏した者を見つけるのは難しい。彼らが見つかることは無いだろう。
「アラン、大丈夫?」
「俺は問題ねぇよ。お前は?」
「私も問題無し」
「そりゃ良かった。本当に焦ったぞ、急にいなくなるんだから。俺たちの所に残ってたお前の兵が、ここまで案内してくれたけどよ……何があったんだ?」
「知らない間に幻惑をかけられてた。多分、神経毒の類。それで現状を誤認して進んでたら、滝に落ちた」
「幻惑か……厄介な特性だな。今までも面倒な魔法生物はいたけど、ここから先も、そんな奴らがウジャウジャいると思うと嫌になる」
アランは右手にある棒を眺める。棒の片端からは青い糸が伸びていた。
糸は塞がれた横穴の僅かな隙間を通り、横穴の外へ続いている。
「アラン、それ何?」
「二本セットの魔導器だ。それぞれの棒の片端に糸を生成して、棒同士を繋ぐ。糸は棒に魔力を込め続ける限り、いくらでも生成して伸ばすことができる。一本は俺が今持ってるヤツ、もう一本はリオに持たせてる。だからこの糸は、リオの居場所に続いてる。この糸を辿れば、アイツらの所に戻れるってワケだ」
「そんな魔導器まで持ってたんだ……リオたちはどうしてるの?」
「アイツらは上で待機させてる。お前を追ってきたのは俺だけだ。外の魔法生物が離れたら、アイツらの所に戻ろう」
その場に座り、二人は暫く待機していた。
数分もすれば、先程の魔法生物は二人を諦めて、この場から離れるだろう。
「…………また、助けられたね」
待っている最中に、不意にアシュリーが言った。
「覚えてたのか」
「うん。多分、学園の皆覚えてるはず」
「まぁそうだような。あれのせいで、学園の敷地の半分以上がぶっ壊れたし、インパクトは十分か。にしても、あれからもう一年経ってんのか。時の流れってのは早いな」
彼らとっては懐かしい出来事だ。今の二、三年生の記憶にも強く残っているだろう。学園内で起きた生徒同士のトラブルの中では、史上最大級のものだった。
「あの時と比べりゃ、お前もよく喋るようになったよな」
「私は話すのが苦手なわけじゃない。話す気が起きないだけ。相手さえいれば、よく喋る。そもそも、それを言うならアランだって最初はぼっちだった」
「俺は皆に敬遠されてたからなぁ〜。あの頃、俺に好意的に関わろうとしてきたのはリオくらいだ」
隠れ始めてから三分ほど経った時、二人は立ち上がった?
「そろそろ行こう。魔法で壁登るのは面倒だし、アシュリー、なんか飛べる生成物ないのか?」
「あるけど、ここ滝の近くだし……二人乗りでこの場を進める物は限られる」
アランは土魔法で横穴を塞ぐ壁を取り払う。
次の瞬間、彼らが見たのは、穴の外で豪雨が降る光景だった。
「あと、私の生成物は水に弱い。豪雨の中だともっと弱い。灰が濡れて崩される」
「はぁぁぁぁ……」
アランはとんでもなく大きなため息を吐めた。
「結界を併用すれば行けないか?」
「結界が受ける豪雨の衝撃で、進みが悪くなる。二人乗りができるサイズで飛行可能な生成物は、その衝撃を受けながら安定して飛べるほど硬くない。と言うか、それが出来るなら昨日やってる」
アシュリーの生成物には主に弱点が二つある。
一つは水に弱いこと。二つは灰で作られてるため、身体能力がそこまで高くないこと。特に生成物が巨大になるほど、身体能力は低下しやすい。
飛行できる生成物はアシュリーの手札にあるが、そこそこの飛行能力で豪雨の中を進むのは厳しい。
「つまり、登るしかねぇってか」
「魔法生物に悟られにくいし、丁度いい。アラン、担いで」
「嫌に決まってんだろ。自力で登ってくれ」
「ケチ、あの時は助けてくれたのに」
「アレとコレは無縁の話だ」
リオたちと合流するべく、二人は昨日と同じように雨の中で岩肌を登った。




