第百十七話 霧中を這う狂気
翌朝の午前四時頃。
第二中継地点の休憩所の床で生徒たちが眠っている中、アランは目を覚ました。
(……暗いな)
使っていたブランケットを『虚空の手』に収納しながら、周りを眺める。
リオたちはまだ寝ている。他の生徒たちも起きる気配は無い。
慣れていない山道で過酷な目に遭った彼らの体には、かなりの疲労が溜まっているはずだ。それは一眠りで全回復できるものではない。
(少し外の様子を見てくるか)
第二中継地点の出入り口に向かう。外に出ると、霧に包まれた薄暗い山道が広がっていた。
日が出るまで、もう少し時間がかかる。霧の中で、暗い道を進むのは危険だが、先着報酬を狙うなら、ある程度のリスクは妥協しなければならない。
(……そろそろリオたちを起こすか)
アランは出入り口に足を向ける。
その時だった。
「おや、これは意外だ。君もリフレッシュしに来たのかい?」
何者かが後ろから声をかけた。
聞き覚えのある声だった。アランが振り向くと、そこには一人の少年がいた。
年齢はアランと同じくらい。少し伸ばした灰色の髪を三つ編みで束ねている。
「意外なのは俺の方だ。まさかお前が居るとは思わなかったよ、ミハイル」
ミハイル・ラッドマーク。それが彼の名だ。
学年は二年生。その学年実力序列はアランに次ぐ第三位。
アランたちに並ぶ傑物であり、エルデカ王国トップ5の聖装士と名高い学園最高戦力者の一人である。同時に『万色の聖奏者』の異名で知られている。
「そもそもお前、定期合宿に来てたのかよ。今回もサボってると思ったんだが」
「定期合宿くらいは来るさ。ちゃんと去年だって来てたんだぞ?」
「ホントかよ……」
彼は学生であると同時に芸術家だ。普段は学業そっちのけで、とある音楽団で指揮者を務めている。
そんな彼が真面目に学園行事に参加しているというのは、アランには意外な事だった。
「君の方はどうなんだい?順調に攻略できているのかな」
「今は順調だが、これから少しづつボロが出るだろうな。リオたちはまだ疲れてる。無理のない事だが、まだ四分の一も進んでない。先のことを考えると嫌になる」
憂鬱そうに、アランはため息を吐いた。
「逆にお前はどうなんだ。つーか、お前一緒に攻略する仲間とかいるのか?」
「僕はグレイシアと一緒に攻略中さ。ちゃんと協力しながら攻略しているよ」
「マジかよお前ら……学園最高戦力者二人組でやってんのかよ」
もはや反則級の所業である。
「もちろん、全てが楽に済むわけじゃない。この山脈はとても不安定な環境だ。至る所でエインガナの幻想が作用している。グレイシアや僕の聖装能力をもってしても、限界があるらしい。おかげで地道に山道を歩くことになってしまった」
「まぁそうだよな。シエルなら空間接続でゴールまで転移すれば終わりだもんな。流石の超技術でも、そこまで上手くいかないか」
アランはミハイルに背を向けた。
「戻るのかい?」
「ああ。リオたちを起こして、攻略を再開しなくちゃいけないからな」
「なら頑張ってくれ。僕はもう少し、ここで山の空気を感じていよう。ここは良い場所だ。とても想像力を刺激してくれる」
「つくづく芸術家だな。お前は」
アランは第二中継地点の中に入っていく。
ミハイルは空を見上げて呟いた。
「本当に…………君は悲しい人だな、アートノルト」
霧で霞んだ空には、まだ夜の気配が残っていた。
***
リオたちを起こした後、アランたちは攻略を再開した。
昨日と同じく、道中では魔法生物の襲撃や異常現象に見舞われた。
ただでさえ薄暗い山道に霧が張っている。日が昇るまでの間は特に攻略が難航した。
「アラン、本当にこっちで合ってるの?景色が変わらなさ過ぎて怖くなってきた」
「地図上は合ってる……でも、こんなに広い森じゃないはずなんだけどな」
「もう一時間は森を歩いてるわね。また異常現象で地形が変わったんじゃないの?」
「地図上では正しく進んでる確信があるのに、視覚情報にここまで混乱させられるなんてね……」
「マジで中継地点の場所くらいしか当てにならないな。この地図」
広大かつ平坦な森林地帯を抜けた時には日が昇っていた。
時間は午前七時前。第二中継地点を出発してから三時間が経った。
「この先はまた登り道か……全員、転けないように気を付けるんだぞー。ここからは岩場だから、足を外せば急転直下だ」
「怖いこと言わないでくれ」
次にアランたちの前に現れたのは過酷な岩場。段差のように岩が連なり、登り道を形成している。
岩を踏み越えながら、少しづつアランたちは登っていく。踏み越えるために毎回足を高く上げなければならないため、ただの登り道よりずっと足が疲れた。
もちろん、こんな場所でも魔法生物は出現する。この辺りに生息している魔法生物たちは、アランたちより遥かに岩場での移動に慣れている。
「キィィィィィッ!!」
カマキリのような体型をした十本足の魔法生物たちが下から迫ってきた。三メートルほどの体格でありながら、多くの足を活かして凄まじい速度で移動している。
「出番だよ、妨害して」
アシュリーが呼び出した兵たちが特攻を仕掛けた。
彼女の兵はいくらでも復活が効く。危険地帯でも構わず突貫してくる兵たちは、確実に魔法生物を妨害していた。その間にリオが放った水製の槍が魔法生物たちを射抜いた。
「こっちはこれで全部か。フィアラ、そっちはどうだい?」
「あとちょっとよ。レオン、しっかり誘導してね」
「ああ、《風波動・爆雷》!」
レオンの魔法により、空中で衝撃波と雷撃が炸裂する。その衝撃から逃れるように、鳥型の魔法生物たちが空を飛んでいた。
レオンの誘導により、ある程度、魔法生物たちの動きが制限された。そこをフィアラが射抜く。
「《火王穹・焼裂の劫矢》」
放った矢が空中で分裂した。数十発の炎の矢が空中の魔法生物を次々に貫き、最後には全ての魔法生物が地に落ちた。
「終わったわ。解いて良いわよ、アラン」
「おっけー」
岩場でもリオたちが安定して戦えるように、発動していた風魔法や土魔法をアランは解いた。
「今のところ、他に魔法生物の気配は無い。進んでいいと思う」
「じゃあ行こうか。もう少しで峠だぞ〜」
再び登り始めてから十分後、アランたちは峠にたどり着いた。
峠には平地が広がっている。下り坂に入るまで、少し距離があるようだ。
「凄い水の音が聞こえるね。近くに滝でもあるのかな?」
「地図にはそう書いてるな。ここから東に百メートルくらいの場所に大きな滝がある。霧で周りが見えないのが惜しまれるな。実際に見れたら絶景だったろうに」
平地とはいえ、足元は凹凸が激しい。躓かないよう注意しながら進んでいると、ある異変が起きた。
「霧が濃くなってきたな。また周りが見えなくなってきた」
「一気に変わり過ぎじゃない?どんどん濃くなってるわよ。これもエインガナの影響かしら」
突然、周囲の霧の濃さが増した。
今は視界のほぼ全てが霧で埋まりつつある。アランたちは一度足を止めた。
「フィアラ、霧を晴らしてくれ。一旦状況を確認したい」
「分かったわ、《木王穹・回生清穢の命歌》」
フィアラは聖装能力を霧に作用させた。
霧が聖装能力に反応して消えていく。半径十メートルほどの視界は確保できた。
「敵影は無いね。環境も変わってない。このまま進んでも大丈夫そうだけど、霧が問題だね」
「そうだな……アシュリー、兵の様子に変わりはないか?」
アランはアシュリーに尋ねる。
だが、声は返ってこなかった。
「アシュリー?」
不審に思ったアランは周りを見回す。
そして気付いた。
霧が晴れる直前までいたはずのアシュリーは、彼らの周囲から消えていた。
***
その頃、アシュリーは変わらず峠を進んでいた。
足元に注意しながら、少しづつ下り坂に近づいていく。進むにつれて、より豪快な水の音が聞こえるようになっていた。音は滝の方向からだ。
「そう言えばアラン、この峠ってどれくらい続くの?」
「あと十分もすれば、下り坂に入ると思うぞ。このまま南に下り続ければ、また森林地帯だ」
「へぇ〜」
適当に返事しながら、アランを追って歩く。
定期合宿が始まってから、道案内はほぼアランに任せている。夢幻山脈は地図があっても攻略が難航するような場所だが、アシュリーは彼の判断を疑ったことはなかった。
山に慣れている上に賢いアランなら、方向を間違えることは無い。実際、ここまでの道のりは困難こそあれど、道に迷う事はなかった。
(…………何か、変)
そんなアシュリーが今、違和感を抱いていた。
また水の音が大きくなっている。さらに滝に近づいているということだ。
数分前、アランは言っていた。滝は東の方向にあると。滝に近づいている以上、彼らは東に向かっているはずだ。
だがアランが言ったように、彼らは今、南に向かっているつもりだ。
方角が違う。今更、アランが方角を間違えるとは思えない。つまり、これは意図的な判断ということになる。
少しでも時間短縮を狙うアランが、意図的にミスする理由は無い。
ならば───。
(私が付いて行ってるのは……本当にアラン?)
なぜ滝に向かおうとしているのかは分からないが、音の大きさからして、まだ距離がある。引き返す余地はある。
アシュリーは静かに攻撃を備える。本物のアランなら多少本気で攻撃しても、どうにでもなる。加減は考えなくていい。
霧の中で生成した兵たちを、アシュリーはアランに突撃させ、
「え?」
何かがアシュリーの背を叩いた。押されてアシュリーは前に出た。
体勢を立て直そうとするが、足は何も踏まない。体を強風と浮遊感が襲う。
アシュリーは今、どこかで落下していた。




