第百十一話 踏み入れるは夢幻の境地
翌日の朝、アラン含む二年生の生徒たちは学園の講堂に集まっていた。
鞄を足元に置いて席に座る生徒たちに、壇上に立つ教師は話を始める。
「……さて、二年生が全員いることが分かったところで、そろそろ定期合宿についての話を始めよう」
話しているのは銀の長髪をした女、シリノア・エルヴィス。彼女は学園の学園長であると同時に、アランの入学前までアランを十歳の時から山奥で同居しながら面倒をみてきた。アランの師範にして母親的存在である。
さらにシリノアは歴史上三人しか存在しない聖装士の頂点、大聖者の一人であり、現存する唯一の大聖者という称号を得ている。その実力はアランたちなど比にならない。圧倒的過ぎる実力から『世界最強の聖装士』とさえ呼ばれている程だ。
ちなみに外見は二十代後半にしか見えないか、中身は三百歳超えの老人である。
「まず全員、指定の荷物は持ったな?まぁ荷物と言っても着替えやタオル、衛生用品の類を邪魔にならない程度に鞄に入れるだけだが……今回の定期合宿は五日間に渡る。内容については例年通り、現地で公開だ。よって今から私の聖装能力で全員を現地に転移させる。全員、荷物を持ってその場に立て」
言われた通りにアランたちは鞄を背負ってその場に立つ。そしてシリノアが指を弾いた瞬間だ。
次の瞬間には、アランたちの視界には全く違う景色が映っていた。
周辺は草が生えている平地だが、その向こうは木々が並んでいる。加えて霧が漂っていた。
学園の者以外に人気はない。街中からは遠く離れた場所だと分かる。
(ここは森……いや、山の中か?)
山独特の気温や空気感から、アランはすぐにここが山中だと気付いた。入学前まで山奥で暮らしていただけのことはある。
「転移は完了だ。全員、異常はないな?無ければ本格的に説明を始めよう」
シリノアはその場から少し浮遊すると、生徒たちを見下ろしながら話を始めた。
「まずここは何処かという話だが、この場所の名はおそらく皆、既に知っているだろう」
そうしてシリノアが告げた名は、
「ここは『夢幻山脈』。エルデカ王国とその隣国であるバルディクス王国の国境沿いにある巨大な山脈だ」
その言葉を聞いた瞬間、生徒たちは一気にざわめき出した。
夢幻山脈というのは、彼らも聞いたことのある名であった。誰も実際に行ったことは無いが、様々な話を耳にする。
その中で最も有名な話がこれだ。
この夢幻山脈には史上最強最悪の十二体の魔法生物、『十二死天の大厄災』の一柱、『幻創龍エインガナ』の本体が封印されている。
「知っての通り、ここは『幻創龍エインガナ』の本体が封印されている。エインガナはあらゆる『境界』を司るとされている魔法生物だ。その影響は封印されてなお、この土地に影響を及ぼしている。そのため山脈中の自然環境は極めて不安定だ。ただの平地が突然湖に変わることだってあり得る」
如何に強力な魔法生物と言えども、封印された土地に影響を与えることなど普通は無い。
だが『十二死天の大厄災』は違う。十二死天の魔法生物はこの世のあらゆる生物を遥かに超越した力を持つ。少なくとも人の力では殺しきれない。それ故に人々は魔法生物の力や魂、器などを何分割もした上で、それぞれを封印することでなんとか脅威を抑制できている。
本体はその一部、力や魂を宿す器である。力を分離されている以上、本来なら大した力など器には残っていないはずだが、そのような人の尺度から生まれた常識はアレらには通用しない。
「この出発地点や、後に説明する中継地点は私たちが管理しているから異常は起きないが、ここを離れたら何が起きるか分からない。見ての通り山脈内は霧が張っている。だがここを離れればさらに霧は濃くなるだろう。場合によっては何も見えない時もあるかもしれない。加えてここは大気中の魔力濃度が非常に濃い。魔力探知さえ容易では無いような場所だ。魔力に惹かれて強力な魔法生物が多く集まっている」
つまりこの土地は極めて過酷な場所ということだ。魔力探知も視覚も満足に使えないという制限が付く他に、強力な魔法生物から不安定な自然環境まである。
地獄の恒例行事、定期合宿の開催場所としては相応しい場所だ。生徒たちからすれば嫌な事この上ないが。
「ここが如何に過酷な場所かは理解してもらえただろう。なら次の説明だ。君たちこの夢幻山脈で何をしてもらうのか。それは単純、君たちには期間の五日以内にゴールに辿り着いてもらう。全員、手を前に出してくれ」
言われた通りに生徒たちが手を出した瞬間、彼らの手には地図が握られていた。シリノアが転移させたものだ。
「その地図はこちらで用意した夢幻山脈の大まかな地図だ。とは言えさっきも言った通り、この土地の性質上、あまり地図は当てにならないと思うが……君たちに注目してほしいのは、地図にマークしてある箇所だ」
地図には二種類のマークがあった。
今いる出発地点の反対方向である地図の端に赤い丸でマークされている箇所がある。そしてそのマークに至るまでの道中と思わしき箇所の所々に青い丸のマークが付いている。
地図上に赤のマークは一つだけ、青のマークは全部で八つだ。
「赤色のマークはさっき言ったゴールの場所を表している。君たちには五日以内にここに辿り着いてもらう。だが道のりは長い。いくら君たちに武力があろうとも、休憩や物資無しに辿り着くのは厳しい。そこで中継地点を用意した。青色のマークはその中継地点を表している。中継地点には休憩できる施設や飲食物などの物資が用意されてある。各自ここで物資を補給してもらう手筈だ。ちなみにこの中継地点は必ず通る必要があるという訳では無いから、経由するか否かはその時の状況に応じて各自で決めてくれ」
『…………』
話を聞くにつれて大多数の生徒たちの顔が引きつっていった。
これは去年の定期合宿の比ではない。中継地点や物資の提供があるとは言え、不安定な環境の中で自力で遠く離れた目的地まで行けと言うのだ。しかも地図を見るに、ゴールまでの距離は軽く数百キロメートルはある。これを踏破するのは流石にハード過ぎる。
「ここで全員、ローブの内側のポケットを確認してほしい。今君たちの懐に結晶状の魔導器を転移させた」
生徒たちがポケットを確認すると、いつの間にか懐に何かが入っていた。手のひら程の大きさの紫色の結晶だ。
「その結晶は二つの役割を果たす。一つは現在地の確認を可能にする役割だ。結晶を自分の地図に当ててみてくれ。そうすれば地図に紫色のマークが浮かぶ。そのマークは君たちの居場所を表す。もちろん君たちが移動すれば、移動に合わせて地図上のマークの位置も変わる」
こちらも言われた通りにやってみると、本当に地図に紫色のマークが浮かんだ。
この時、生徒たちは同じ事を思った。『教師たちは一体どれだけの資金と物資をこの定期合宿に費やしたんだ』と。
「ちなみに魔導器や地図、施設などは全て私たちの力で量産した物だから、大した資金はかかってないぞ。流石に物資には資金をかけたがな」
まるで生徒たちの思考を読んだような発言をしたシリノア。伊達に三百年以上生きているわけではない。
「次に二つ目の役割だ。もしこの結晶が砕ければ、その瞬間に我々に信号が送られる。この信号を受け取った場合、我々が結晶の持ち主をすぐに救助する。要するにSOS信号だな。本当に危険な状況に陥ったら、迷わずこの結晶を壊せ。壊し方は簡単だ。持ち主の魔力をある程度結晶に込めれば簡単に壊れる。逆にそれ以外の方法では砕けないから、『意図せず壊してしまった』なんて事にはならないから安心してくれ」
シリノアの話からして、この結晶はかなり重要な物だと分かる。これを失くそうものなら、定期合宿の攻略は一気に難航するだろう。生徒たちは思わず慎重な手付きで結晶を懐に戻してしまった。
「定期合宿の内容についての主な説明は以上だ。この合宿をどう攻略するかは各自に任せるが、なるべくグループを組んで攻略することを勧める。何が起きるか分からない環境な上に、長期に渡るからな。もちろん一人で攻略するのも一つの手だが」
付け加えてシリノアは言う。
「あとこれは君たちのやる気を高めるための施策だが、今回ゴールに着いた生徒の内、先着で十グループまで私の自作魔導器をプレゼントしようと思う。君たちが求める魔導器を私が作るという形式だ。これでも大聖者だからな。市販の魔導器よりは遥かに優れた物を提供できると保証しよう。魔導器が欲しければ是非速攻攻略を目指して頑張ってくれ」
『……!!』
その話に多くの生徒が食い付いた。
あの大聖者の自作魔導器がタダで貰える。その価値は金額で測れるようなものではない。報酬としては極上だ。
加えて今回の定期合宿はほぼ全ての生徒が一切の経験も慣れも無いような内容だ。攻略には武力以外にも様々な要素が求められる上、グループも好きに組める。多くの生徒に速攻攻略を目指すチャンスがあるだろう。
「定期合宿の説明は以上だ。準備が出来た者から進むといい。ちなみに一年生は先に説明を受けて出発している。三年生は君たちが去ったらここに連れて来るから、君たちの後に続くことになる。全員、危険な道のりになる事を理解し、安全を意識しながら攻略することだ。皆の健闘を祈っているぞ」
その言葉を告げた直後、生徒たちは動き出した。
踏み入れるは夢幻の境地。艱難辛苦に満ちた地獄の定期合宿が今年も幕を開けた。
***
──────そして。
「……さて、生徒共はもう定期合宿とやらを始めた頃か。俺たちも抹殺の準備を進めるとしよう」
夢幻に閉ざされた世界の中、静かに狩人は獲物を待ち構えていた。




