第百九話 照らされた未来と残された傷跡
同時刻、リフレイム皇国の皇都では───。
「……もう夕方ね」
皇城の一室にて、セミロングの銀髪の少女は椅子に座りながら、部屋の窓から外を眺める。皇城の向こうに広がる海は茜色に照らされていた。
フィーネ・リフレイム。リフレイム皇国の皇女であるが、皇族に相応しい才能や能力を何一つ持たない故に、同じ皇族からは密かに迫害されている凡人だ。
だが最近は少し違う。以前、リフレイム皇国で起きた魔装士たちの事件以降、アランがフィーネの成長をアシストするようになった。
非才であっても、誰もが皇女に相応しいと認めるような人間になれるよう、フィーネは現在アランと共に励んでいる。
事件が解決した後、この話は皇族の間では瞬く間に広まった。
エルデカ王国のトップ5に君臨する聖装士であるアラン・アートノルトが、非才に全面協力を誓った。皇族の面々にとって、これ程に驚くべき事はない。
フィーネも未だに疑問に思う。なぜアランがここまで自分に協力してくれるのかと。
アランは人助けを嫌う人間ではない。むしろ普段の彼なら、身の回りで困っている者がいるなら素直に手を差し伸べる。実際、後輩や同学年の生徒から頼られた時には素直に応えている。それくらいの善意は彼にもある。
だがアランは何故かそれと同じかそれ以上の悪意を、無自覚に抱えている。普段は目立たないが、莫大な負の感情が常に彼の中にはある。
戦闘を含め、彼が何かに本気で取り組むことが滅多にできない主な理由は、この矛盾した思考を併せ持っている事にある。
中途半端な心境からは、中途半端な行いしか生まれない。それでは本気など到底出せない。
彼が本気になれるのは、極限まで必死なっている時だけだ。その時だけ、彼は中途半端な心境から脱却し、自分の全てを一点に注ぐことができる。
アランは『自分の全てを引き換えにしてでも、フィーネを救いたい』と思った。その振り切った思いが、切迫した渇望が、彼を本気にさせた。
フィーネは自覚している。自分はアランが全力を尽くすに値する人間ではないと。
価値のある重要人物でもなければ、アランに何か恩を与えたわけでも、アランの役に立てるわけでもない。本当にアランが助ける価値など皆無なのだ。
この短期間でそれなりにアラン・アートノルトという人間を理解したからこそ、フィーネは尚更、アランが自分のために本気になった事が理解できずにいた。
「……やめましょう。どうせ私には理解できっこないわ」
テーブルに置いであるティーカップを手に取り、紅茶を飲む。
以前の事件で皇城が大破した際、城内の物もまとめて塵と化したため、今の皇城にはあまり物資が無い。設備に関しても、城内は未だに修復されていない場所も多くある。本当なら優雅に紅茶など飲んでいられる状況ではないのだ。
今飲んでいる紅茶も、城内の在庫から出したものではない。アランが知り合いから聞いたお勧めの紅茶をもとに、エルデカ王国の王都で調達してフィーネに渡した物だ。
(こうしてると懐かしく思っちゃうわね……オルレアが淹れたお茶が)
思い出すのはかつての側近の姿。
オルレア・ロースタッド。皇城で暗躍するためにフィーネの側近に付いていた彼女は、同じく事件の主犯の魔装士であるヴァッシュ・ガーバランドと共にリフレイム皇国の牢屋に投獄された。
具体的な判決はフィーネも聞いていないが、死罪ではないらしい。二人は当分は獄中で暮らすことになるだろう。
事件が解決してから今日に至るまで、フィーネは何度もオルレアの姿を思い出していた。
ついこの前まで毎日を共に過ごしていた側近が居なくなった。たとえ彼女が裏切り者であり、自分を利用していたと知った今でも、そこに喪失感を感じずにはいられなかった。
オルレアに会いに行こうかと悩んだことも何度かあった。フィーネはまだオルレアと話したいことがある。皇女権限で面会しようかとも思ったが、一度も実行したことはない。
直接、オルレアに会う気にはなれなかった。オルレア・ロースタッドという人間を理解するには、自分はまだ未熟すぎる。そう感じたから。
(というか、彼はいつ来るのかしら。連絡からすれば、そろそろ来るはず──)
「来たぞーフィーネ」
「ええ、いらっしゃ……って、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?急に出てこないでよ!!」
「心霊の類を見たかのようなリアクションだな」
絶叫しながらフィーネは振り向く。いつの間にか後ろにアランが立っていた。
しかも来訪者は一人ではない。
「うぅい、あと私もぉいるぅよ」
アランの後ろからもう一人、シエルそっくりの機械人形が姿を現す。
「シエル・グレイシア……貴方も来たのね」
「いんや?私はオリジナルが作った人形だぉよ。オリジナルは今もぉ明日に備えて部屋で爆睡中だぁね。あれは明日まで起きないよぉ」
「オリジナル……なんだか変な話ね。なんと言うか、凄く倫理的な問題を感じるわ」
「ダイジョブだぁよ。その辺は何とも思ってないからぁ」
「そういうものなのね……」
機械人形は全く気にしていない様子だったが、アランとフィーネはやはり奇妙に思わずにはいられなかった。
「前にも言ったが、今日は俺たちは長居できない。そして明日からは暫くこっちに来れない」
「定期合宿と第二回序列戦だっけ?学園行事なら仕方ないわよ。ちゃんと貴方のやるべき事を果たしてきなさい。私のことは余裕がある時でいいわ。貴方が忙しくしてる間は自分でやれる事をやるから」
「勤勉なようで何よりだよ。てかマジで行きたくねぇな……定期合宿」
「そうだねぇ。去年の合宿も酷かったからねぇ」
「貴方たち、一体何をさせられたのよ」
「暴風やら豪雨やらで気候が最悪な環境で断崖絶壁を道具を使わずに身体強化系の魔法だけで登ったり、魔法生物と魔法罠が山程ある遺跡を制限付きで攻略したり、十キロくらいの長距離を魔法だけで潜りながら泳がされたりとかだな」
「聖装具を使えたら楽なんだけぇどねぇ。大体の訓練が聖装具と聖装能力が禁止っていう馬鹿みたぁいな制限付きだから楽できなかったよねぇアラッチ以外は」
「確かに貴方なら聖装具を制限されても痛くも痒くもないわね」
「だからってキツくないわけじゃない。魔法に長けていても体力は有限だ。長時間訓練なんてしてたら限界も来る」
「でも魔法と知能と生命力は学園でもダントツじゃぁん」
「お前はノーリスクで複数魔法の自動化と並行使用ができるだろ。俺からすれば羨ましいったらありゃしない聖装能力だ」
「そのトンデモ技術を聖装具無しで再現してる人が言って良いぃセリフじゃぁないよねぇ。フィーネッチもそう思うでしょぉ?」
「私からすれば二人とも等しく超人よ」
高すぎる山は視界に収まらない故に、麓にいる者には具体的な高さが分からない。それと同じく、遥か上の次元にいるアランとシエルの実力の差異を測ることなど、フィーネには不可能だ。
「さ〜て、今日は時間限られてるし、早速やるべき事に取り掛かろうか。ちなみに今日は皇族向けの座学だぞ。言わずもがなカリキュラムの参考元はアリシアだ」
「当然のように自国の王女様を利用する辺り、流石だぁね」
「普通に凄いことしてるわね。でも間接的とは言え、アリシア・エルデカにまで協力させちゃったのは申し訳ないわ。彼女も忙しい身でしょうに」
「いやアイツも結構乗り気だったぞ。俺が頼んだら普通に話してくれたし。流石は絵に描いたような善意溢れる完璧超人だな」
「そしてアラッチは絵に描いたような悪意溢れる狂人サイコパぁス」
「スクラップにすんぞお前」
フィーネの成長を徹底的にアシストするとアランは言ったが、具体案など当初は全く無かった。
学園に入学するまで、アランは師範のシリノアと共に人気など一切ない山奥で暮らしてきた身だ。王族や皇族についての知識など当然無い。
国のトップに立つ者たちがどのような暮らしをしていて、その中で何を重んじ、何を学んでいるのか。それを知らない限り、フィーネに何かを教えることなどできない。
そこでアランが頼ったのが、エルデカ王国の王女にして、最高戦力にして、学園の第二学年実力序列第一位にして、生徒会長にして、アランと真逆の性格を持つ友人、アリシア・エルデカだ。
王族や皇族について知りたいなら、やはり本人に聞くのが一番である。フィーネに何を教えるかを考えるため、アランは事情を話すと共にアリシアに今までどのような生活をしていたのか教えてほしいと頼んだのだ。
人助けとなれば、アリシアは常に助力を惜しまない善人だ。アランの頼みも快諾し、自分が受けていた教育について教えるどころか、方針決めにも協力してくれた。
そうしてアリシアから集めた情報とフィーネが今までやっていた事などを踏まえて、アランは方針を決めた。これだけで十日ほど掛かったが、納得のいく計画は立ったとアランは思っている。
───そして、それから約二時間後。
「はぁ……短時間でも疲れるわ。本当、なんで役に立つか怪しい座学なんてやらないといけないのかしら」
「それが上に立つ者の嗜みってヤツなんじゃないのか?アリシアは言ってたぞ。『狭い分野にのみ長けた極端な人間では、数多の価値観や分野が存在する国や民を治めることなどできない』ってな」
「思想まで完璧なのね、アリシア・エルデカは。私も国のトップにいる皇女なのに……」
「確かにアイツは凄いが、それも良いことばかりじゃない。アイツは自分が力ある者だと自覚してるからこそ、常に自分の在り方について考えながら生きてる。俺から見れば堅っ苦しい人生だ」
そう言ってアランは席を立つ。アランがフィーネに座学を教えている間に壁にもたれて寝てしまった機械人形を、斜め四十五度チョップで起こした。
「起きろ。もう終わった」
「っ……んぇ?あぁ、もう終わったぁんだね。じゃあ帰ろっかぁ」
寝起きでやや不安定な動きで立ち上がると、機械人形は聖装能力で目の前の空間を、学生寮の自室の空間と繋げた。
「んじゃ、俺たち帰るから。次来れるのは多分二週くらい後になるだろうけど、何かあれば連絡するよ。元気でな〜」
「分かったわ。色々あるみたいだけど、貴方たちも頑張ってね」
アランが先に接続点を通る。続いて機械人形も通ろうとしたが、その前に振り返った。
「あぁ、そうそう。フィーネッチ、オリジナルからのぉ質問なんだぁけど。フィーネッチ、ぶっちゃけアラッチのことどう思う?」
「どう思うって……どういうこと?」
「アラッチのこと、怖くないのかってこぉと。アラッチは確かに面白い。技術者としてはとても興味の湧く人だぁよ。でもアラッチは私から見ても得体が知れない上に、明らかに重要な部分が私たちと大きくズレてる。それも一つや二つじゃない。いくつもの捩れが重なって、今のアラッチを形作ったんだと思う」
シエルは無警戒でアランの周りに立ったことはない。アランの近くで寝ている時も、共に命を懸けている時でも、気付かれない程度に警戒を向けている。一つでも取り扱いを間違えれば、アランは簡単に自分達に刃を向けると考えているからだ。
だがフィーネはそんなアランに完全に信頼を向けている。それがシエルには不思議でならなかった。シエルから見れば、フィーネのやっている事は無差別殺人犯に自分の心臓を握らせているようなものだ。
「何が言いたいのかっていうと、フィーネッチはなんでアラッチに全部を任せられるのかってこと。アラッチは確かに優秀だし、師事するなら間違いなく適してると言える。でも……」
「理由なんてないわ」
シエルの言葉を待たずに、フィーネはハッキリと答えた。
「……ないの?」
「ないわよ。だって私、理由とか気にしてられるほど、余裕のある賢い人間じゃないから。ただ彼の決意を信じただけよ」
当時は側近に裏切られ、ただでさえ八方塞がりだった自分の人生にさらに絶望し、自死すら考えたほどに追い詰められている状況だった。冷静にアランの真意を考える余裕などあるはずがない。半ば勢いでここまで来てしまった節はある。
「疑問に思う時はあるわよ。なんで彼がここまで私のために頑張ってくれるのかって。でもそれを考えるのは失礼だと思うの。理由は分からなくても、彼が私のために本気で頑張ってくれてることはよく分かる。だから私に出来るのは、彼を本心から信じることだけ。貴方のような何手先も考えて生きてる賢い人からすれば、私なんて無鉄砲な馬鹿に見えるかもしれないけど」
自嘲気味に小さく笑うフィーネに、機械人形は否定の言葉を返す。
「いいやぁ、そうは思わなぁいよ。そうやって人を信じて、想いに応えようとするのも、強さの一つだぁよ。まぁそういう精神的な話は専門外だから、あまりしないけどねぇ」
機械人形はフィーネに背を向け、接続点に体を通す。
「んじゃ、私も帰るよぉ。今後もアラッチをよろしくねぇ。貴方のおかげで、アラッチも良い方向に変わりつつあるみたいだからさぁ」
やがて機械人形は姿を消した。直後に空間の接続点が消滅する。
再び静まり返った部屋の中、フィーネは一人呟いた。
「……何かしら。知らない内に身に余る期待をかけられている気がするのだけど」




