第百六話 正しさの価値
「……私が聞かされた話はこんなところよ」
一オルレアの事情に語ったフィーネは息を吐く。彼女の表情はあまり良いものではなかった。
「そんな気はしてたけど、碌な人生じゃねぇな。素直に哀れに思うよ」
「そう言う割に表情が変わらない辺り、貴方らしいわよね」
「人の不幸に安易に同情するのは避けてるんだ。経験も無いのに人の不幸を分かったように言うのは、ソイツの過去と思いを侮辱するのと同義だ。実際、昨日それで殴られたしな」
「……やっぱり気にしてる?私が貴方を殴ったこと」
「まさか。あれは俺が全部悪い。アンタが責任感じる必要はねぇよ」
本当にどうでも良さそうな顔をする。元来の痛みへの耐性と卓越した回復魔法による桁外れの生命力を持つだけに、自分の負傷について関心が薄いのだ。
「それで、アンタはオルレアの話を聞いてどう思ったんだ。魔装士を憐れむか?それとも魔装士を差別する奴らを憎むか?」
重要なのはそこだ。現時点で明確な答えを出す必要は無いが、皇女として生きるからには、自分の在り方や方針を少しづつ考えなければいけない。
「…………」
フィーネは口を開けなかった。
まだ悩んでいる。オルレアから話を聞いてからまだ一日、答えなど定まっているはずがない。
「……分からないわ。どう考えたらいいのか。私だって魔装士の扱いはどうかと思う。確かに魔装具の力は怖い。昨日の事件もあるし、いつか命を狙われるんじゃないかって気持ちはある。でも全ての魔装士が敵というわけじゃない。オルレアのように、魔装具と望まない契約を結んでしまった人もいるはず。ただ魔装士だからというだけで差別するのは不当だと思うわ」
「だがここで魔装士の肩を持つのは、アンタの立場からして良くないだろう」
「ええ。魔装士への差別思考を否定するのは、国民全ての考えを否定するのと同じ。魔装士を嫌ってるのは皆同じだから。悔しいけど、これは個人の意思決定でどうにかできる領域を超えてるわ」
リフレイム皇国という集団のリーダーの一角である皇女が、集団の思想それを否定しようものなら、国民全土から非難されてもおかしくない。それこそフィーネが皇族から排斥される可能性もある。
「扱いが道徳的ではないから、なんて言葉じゃ……誰も聞いてくれないわよね」
「だろうな。なにせその非道は『アンタにとっての非道』だ。万人に当てはまるものじゃない。むしろアンタの方が異端だ。少数派のアンタの思想が受け入れられる道理はない」
厳しい現実をアランは語る。
人を傷付けずに、皆が手を取り合って生きていく。そんな素晴らしい道徳的思考を基準に考えるなら、魔装士への扱いはすぐにでも改善されるべきだ。事実として魔装士は不当な扱いを受けているのだから。
だが現実は違う。この道徳は魔装士を救わない。何故なら魔装士を救う事より、救わない方が万人にとって都合が良いからだ。
人に優しくする事が道徳なのではない。人に優しく在る方が『万人にとって都合が良い』から道徳なのだ。
倫理、道徳、正義、規範──そうした言葉は全て集団にとって都合の良い思想や行為に与えられた、聞こえの良い区分に過ぎない。
それ故に差別思考を変える上で、道徳や正義という言葉は意味を為さない。集団思想から生まれた道徳に於いて、集団にとって都合の悪い差別対象は救う対象に含まれていない。
「……難しいわね、人間関係って。もっと綺麗な未来があるのに……沢山の人が救われる未来があるはずなのに、誰も足を踏み出そうとしない。今ある道徳や平和に甘んじて、誰かを犠牲にして得た幸福と結束で満足してる。どうして、こう……上手くいかないのかしら」
「そりゃ仕方ねぇよ。変化を恐れるのは生物にとって当然の反応だ。その変化の対価が『自分たちの平和』となれば尚更容易じゃない」
アランは半ば諦めた様子だった。
この件に興味が無いわけではない。素直に酷い話だと思う。
だが、これは単純な差別問題ではない。魔装士は事実として厄災と呼ぶに相応しい存在だ。魔装士に匹敵する力を持つ聖裝士ならまだしも、それ以外の者からすれば敬遠するなというのが無理な話である。この理屈が成り立つ限り、解決はほぼ不可能だ。
「一応言っとくけど、アンタが過度に気にする必要は無いからな。これは何百、何千年って歴史の中で生まれた差別だ。短期間で解決できるものじゃない。むしろアンタはこの話よりまず自分のことを気にした方が良い」
「はいはい、分かってるわよ。今の私はまだ国の指針や民意に関与できる立場じゃないものね。まずは自己研鑽に専念するわ」
「分かってるなら良いんだが……あ、そうだ」
アランは『虚空の手』からある物を取り出す。
それはシエルが作り、お近づきの印のような感覚でアランに渡した黒い板状の魔導器。シエルが『携帯』と呼んでいた物だ。
「これやるよ。これからの事を考えたら、あった方が便利だからな」
アランは携帯をフィーネに渡す。受け取ったフィーネは不思議そうに携帯を見つめた。
「えっと……何これ、魔導器?」
「らしいな。シエル・グレイシアが聖裝能力で作った異界の代物だ。アイツは携帯って呼んでたけど、俺もイマイチ使い方が分かってない。本当に滅多に使わないからな」
「じゃあ何に使うのよ、これ」
「アンタと連絡を取るために使うつもりだ。俺はもう一個予備の携帯をシエルから貰ってるから、その予備とアンタに渡した携帯の……連絡先?ってのを繋げば良いんだっけ?そうすれば多分、離れててもやり取りできると思う。それにその携帯があれば、いつでもシエル経由でアンタの所のに空間接続で移動できるはずだ。アイツなら自分が作った魔導器の位置特定くらい出来るだろうし」
「なんだか凄い仕組みね……私のためにそこまでしてくれるのは凄く嬉しいけど、大丈夫なの?話を聞いてる限りだと、シエル・グレイシアにかなり頼った方法に思えるけど」
「そこは大丈夫だ。アイツは俺の要求は何故か素直に聞いてくれるから。なんかあっても報酬渡せば話は通るだろ多分」
「多分って言ってるじゃない」
「いざとなったら俺が転移魔法でこっちに来るさ。まぁ《空間転移》は消耗が激しいから、なるべく使いたくないけどな」
具体的にフィーネに何を教えるかは決めていないが、連絡手段と彼女に会う方法が確立できた。これさえ整えば、後はどうにでもなる。
「この魔導器……どういう仕組みなの?横のボタンを押したら光ったのだけど」
「あーそれは電源ボタンってヤツらしい。それを押したら魔導器内に刻まれた魔法術式が起動して、持ち主の魔力を微量に取り込み続けて内側でごく小規模な雷魔法を発動させるんだ。それを利用して駆動源力である電気の供給とか高速情報通信を実現してるって聞いた」
「……駄目ね、全く理解できない。同じ大陸言語を聞いてるはずなのに、未知の言語にしか聞こえないわ」
「内部機構まで理解する必要はない。携帯の使い方は後で話すよ」
テーブルに置いたジュースを飲むアランに、また突拍子もない事をフィーネは言う。
「……本当にありがとう、アラン。私のためにここまでしてくれて。感謝してもし切れないわ」
「感謝なんかするな。俺が偶然やる気になったから始めたことだ。状況次第では、アンタを見捨てていた可能性は大いにある。実際、俺はオルレアを皇城に留めるためにアンタを餌にしたくらいだ。なんなら最初は、アンタごとオルレアを殺してしまおうと思ってた。まぁアリシアが許さないだろうから、犠牲を出さない策を練ったが……俺はアンタが思っている以上に腐った人間なんだよ」
「それは流石に驚きだわ。思ったより貴方ってドライな性格してるのね」
「俺にとってはこれが当たり前なんだよ。初めからこの考え方で生きていた。周りは違うみたいだけどな」
──他人に興味が無いわけではない。大事な人はいる。守りたいものもある。だが俺は他者への共感と理解に欠陥があるらしい。
誰かに寄り添い、誰かのために本気になる。それは簡単なようで、思いの外難しい。俺も今回の一件を通してやっとその心を理解できた。
俺はもっと気楽に生きるべきなのかもしれない。自分の感情にもっと正直に、そして他人の感情をもっと素直に受け止められるようになるべきなのだろう。これは俺の今後の課題だ。
(そういやオルレアが何か言ってたな……俺の性格について)
このズレた価値観は初めから備わっているものだ。それ故に自分の価値観に疑問を感じること無く、今まで生きてきた。
だがオルレアと殺し合っていた時、オルレアが俺の価値観について何か言っていたような気がする。
恐らく過酷な人生を経験してきたが故の意見だったのだろう。オルレアが何を言っていたかは思い出せないが、何か重要な事を──。
「──まぁいいか」
「ん?どうしたの?」
「いや、何でもない。どうでもいいことを思い出してただけだ」
何故か急にどうでもよくなってきたので、考えるのを辞めた。
「具体的に何をアンタに教えるかは、これから決めていこう。流石に皇族の教育は初めてだからな。俺も何をしたら良いのか分からない。でも楽な道にするつもりはないぞ。才能が無い分、アンタには相応の努力をしてもらう。加減は考えるけどな」
「もちろんやってやるわよ。私は才能は無いけど、運命には恵まれてる。こうして貴方に巡り会えた訳だしね。世界にはオルレアみたいに私より過酷な人生を生きてる人だっている。なら恵まれている側である私がこの程度で折れるわけにはいかないわ」
「ははっ良い根性だ。その意気で頼むよ」
やはり精神的な面に於いて、フィーネ・リフレイムという人間は他と一線を画するものがある。アランは改めて実感した。
その後もアランが買ってきた物を飲み食いしながら話を続けた。
携帯の使い方も説明した。くだらない話も沢山した。四日目にやったチェスのリベンジマッチもした。
ただ残りの時間を楽しみ続けた。
「そういやアンタ、なんでチェスだけこんなに上手いんだ?マジで全く勝てないんだけど」
「それは私もよく分からないわ。特に練習とかしたこと無いのだけど、チェスだけは出来るのよね。才能かしら?」
「だとすれば随分極端な才能の采配をされたな」
気付けば二時間ほど経っていた。既に夜も更け、皇都の人気も減っている。
式典の後にアリシアの前で職務放棄をしたが、アリシアの護衛という王命は継続中だ。一度アリシアに会い、今後の予定を確認をしなければならない。
「……もう時間だな」
「帰るの?」
「ああ。放棄した職務に戻らないといけない。本当、仕事ってのは面倒なモンだ」
アランは席を立ち、部屋の出入り口に近づく。
明日にはアランはエルデカ王国に帰る。ここを出れば、暫くフィーネに会えないだろう。
しかし、これは永遠の別れではない。すぐにまた会える。
彼らの間に特別な空気感は無い。帰宅中に友人と別れる程度の感覚で、二人は気楽に言葉を交わす。
「それじゃあ、またなフィーネ」
「ええ、またいつか」
その言葉を最後に、アランは部屋を出た。




