第百五話 歪み狂った愚者の果て
オルレア・ロースタッド。嘗ての彼女の人生は、そこまで起伏のあるものではなかった。
生まれは皇族の使用人の家系であるロースタッド家。オルレアも他のロースタッド家の者たちと同じく、皇族の使用人としての将来を定められていた。
彼女には聖装士の才能は無かったが、非才というわけではない。むしろ使用人としては十分な才能があった。武術の才能もあったので、護衛も兼任できる優秀な使用人として育った。
当時の彼女は勤勉であり、余計な物事に興味を持つことが無かった。使用人の将来が確約されている故に、何かに興味を持っても時間を費やせないという問題もあったが、単純に使用人という立場に満足していた。
使用人として学び続け、真っ直ぐに成長する日々の中で、皇族についても色々と教わった。
皇族とは、この国の繁栄と平和のために献身する者の集まり。両親から皇族について良い面ばかり聞かされていたので、さぞかし素晴らしい人たちなのだろうと、勝手に考えていた。
使用人の家系なので、子供が皇族に良い印象を持つよう語るのは当然であったが、幼いオルレアはそこまで考えられなかった。
如何に才能があっても、幅広い知識を与えられなければ偏った常識が形成される。オルレアも集団の思考に常識を矯正された一人だった。
だが、この皇族に対する理想が彼女が努力する原動力にもなっていたので、彼女の無知は救いでもあった。
そうして時を重ね、オルレアが十六歳になった時だ。彼女の人生で最大の事故が発生した。
ロースタッド家の本邸の近くの市街で魔装士が現れた。正確には魔装士ではなく、土地を渡る途中で偶然魔装具に乗っ取られてしまった行商人が暴走したという状況だが、それでもその脅威はかなりのものだ。放置すれば市街に多大な被害が出る。
すぐに魔装士を取り押さえるべく、投入できる限りの戦力が投入された。
その土地に配属された皇国の警備隊や、貴族が持つ戦力まで。現場に出た者の中にはオルレアも含まれていた。
オルレアは他の者たちと共に魔装士の制圧に挑んだ。暴走した魔装士は厄介だが、完全な魔装士と比べれば遥かにマシだ。相当な戦力を投入した甲斐もあり、犠牲を出すこと無く魔装士を制圧できた。
そう、制圧は出来たのだ。
戦う力を無くした行商人から魔装具を分断し、魔装具から解放された行商人はその場で気絶した。あとは魔装具を封印、もしくは破壊するという状況だった。
その時、突然オルレアの意識が曖昧になった。自分でも気付かぬ内に、何かに引き寄せられるように歩き出す。周りが呼び止める声さえ聞き入れられず、その手を無意識に前に出した。
彼女の手が掴んだのは一本の細剣───行商人から分断された魔装具だった。
あろうことか、所有者を失った魔装具はすぐに次の所有者を選別した。その矛先が向いたのがオルレアだった。
オルレアが意識を取り戻したのは、魔装具と契約してしまった後だった。気付けば自分の手に魔装具があり、未だ嘗て感じたことがない程の力が湧いていた。
当然、オルレアは混乱した。慌てふためきながら周囲を見まわし、状況を確認する。
最初に聞いた言葉は───。
「魔装具が次の契約者を選んだか……!全員、直ちにオルレア・ロースタッドを制圧しろ!」
無慈悲な選択だが、それは妥当な考えだ。
魔装具を抑えない限り、魔装具は次々に周囲の人間を蝕み、所有者を選んで契約を強いる。故にオルレアを制圧し、再び魔装具を彼女から引き剥がす必要があった。
だが、それをオルレアがすぐに受け入れられるかという話だ。
「……は?」
意識が戻ったかと思えば、自分が攻撃させそうになっている。
この状況を即座に飲み込めるはずがない。
「ま、待ってください!私は正常です!魔装具に乗っ取られてなど……!」
あとずさりながら、魔法を発動しようとする者たちに制止の言葉をかける。
その言葉が彼女が人の道を捨てる決定打となった。
「意識がある、だと……!?本当に意識があるのか!?体に異常は!?」
「特にありません。むしろ魔力がどんどん湧いてきて……不思議な感覚です」
とにかく現状を述べるオルレアに対し、周囲の者たちはさらに慌てていた。
この時、オルレアは最悪の発言をした。魔装具と契約しながら、自我に何も影響が現れていない。
それはオルレアが完全な魔装士になったことの証明だ。
「魔装士だ……完全な魔装士が誕生してしまったんだ!全員、すぐにオルレア・ロースタッドを止めろ!殺しても構わん!」
ある者が言う。それに乗じて、他の者たちも戦闘態勢を取った。
本気でオルレアを殺すつもりだ。魔装具に乗っ取られた者ならまだ救う余地があるが、完全な契約を成し遂げたとなれば、殺すことでしか脅威を排除できない。
「待ってください!私はちゃんと──!」
声を上げるが、その制止は意味をなさない。
オルレアの足が氷漬けにされた。直後に熱線が走り、オルレアの腹や肩を射抜く。身を焼く激痛に反射的にオルレアは傷口を抑えるが、その瞬間に彼女の眼前で雷撃と突風が爆ぜた。
吹き飛ばされたオルレアは近くの民家に突っ込んだ。砕けた民家の破片に皮膚を割かれ、血反吐を吐く。
だが、彼らは容赦なくオルレアに追撃を仕掛けた。
「消えろ、魔装士め!」
誰かが刃をオルレアに薙ぎ払う。彼女は寸前で剣で受け止めた。
しかし、負傷のせいで十分に力が入らない。力負けして吹き飛ばされる。
「かッはぁ……ぁ…う“、ぐゥ……!」
床を転がり、激痛にうずくまる。
状況は絶望的だった。オルレアは戦うどころではない。現状を理解するだけで精一杯だ。彼らに武器を向ける余裕などない。
だが、このままでは本当に殺される。生きるためには、どうにかして逃げるしかない。
「……ッ」
新たに手にした魔装具を見る。なんとなく、この魔装具の力が理解できた。
触れた対象に命令する能力───この魔装能力を使えば、逃亡は不可能ではない。
「ッ……崩れなさい!」
細剣を民家の床に突き刺し、魔装能力を発動する。
突然、民家を支える柱が折れ、民家が倒壊した。
オルレアは風魔法で自身を民家の外には弾き出す。オルレアを殺そうと近づいていた者たちは、まとめて民家の下敷きになった。
「はぁ……はぁ……逃げ、なければ……!」
このままでは、すぐに見つかって殺される。
《透明化》を唱えて姿を消すと、オルレアはその場から逃亡する。
「絶対にオルレア・ロースタッドを逃すな!なんとしても捕らえて殺せ!」
後方から聞こえる非情な言葉の数々を必死に意識の外に追いやり、重い足取りで走り続けた。
***
オルレアが向かったのはロースタッド邸だった。外に出れば追われる以上、家に避難するしかない。
家族ならきっと今の自分を理解してくれる。自分が魔装士になったとしても、これが不慮の事故によるものだと説明すれば、必ず受け入れてくれると考えていた。
「オルレア!?どうしてそんな怪我を!?」
家に帰ってすぐに父母に会った。オルレアが深手を負っている事に驚く彼らに、オルレアは経緯を語った。警備隊員たちに狙われているから助けて欲しいと、必死にオルレアは事情を話した。
家族なら理解してくれると信じて、無知にも、愚かにも彼女は言葉を吐き出し続けた。
だが、両親の返答は期待を裏切るものだった。
「……出ていけ」
冷たく父が言い放つ。
「ち、父上……?なぜそんな事を……」
「出て行け!魔装士がロースタッド家に踏み入るな!」
「っ、ですが私は……!」
「何度も言わせるな!魔装士になれてしまった以上、お前には魔装具の適性があったのだ!なんという事だ、まさかお前がそのような汚れた忌み子だったとは……お前の存在が知れ渡れば、ロースタッド家はおしまいだ!間違いなく皇族から糾弾されてしまう」
父はもはやオルレアなど眼中になかった。
父の目に映っているのは、ただの魔装士。バケモノに家紋を傷つけられた事で、思考は埋まっていた。
「っ……」
オルレアは母を見た。だが母も同じく、オルレアを娘として見ていなかった。
その目はバケモノを見るような目をしていた。オルレアという魔装士を恐れ、後ずさっている。既にオルレアを人として扱っていない。
「…………ぁ、ぁ」
自分がロースタッド家の娘として認められていない、それどころか人間とすら思われていない。ただのバケモノとして見られている。短い会話でも、それを理解するのは容易だった。
今まで自分が信頼してきた、自分を信頼してくれていた両親から、そう扱われたことのショックは大きかった。
「……失礼……しました」
これ以上この場に立つ気力はなかった。両親の蔑むような視線から逃れるために、自分をこれ以上バケモノだと卑下しないために、オルレアはロースタッド邸を去るしかなかった。
***
気付けば雨が降っていた。冷たい雨に打ち付けられながら、オルレアは外を歩く。
行く宛など、あるはずがない。頼りにしていた両親からは、説得する間もなく追い出された。娘として見てもらう事すら叶わなかった。
(なぜ……どうして……)
望んで魔装具を手にしたわけではない。偶然、魔装具に選ばれただけだ。
それだけで皆がオルレアを糾弾した。全てがオルレアをバケモノと見做した。
言葉すら交わさず、本当に人ではない物を相手にするように、ただ刃だけを向けてきた。
オルレアも先程まで普通の人間だった身だ。魔装士を恐れる気持ちは分かる。だが同じ人間だというのに、ただ魔装具を持っただけで、ここまで糾弾されるものなのか。
(これが……私に、魔装士に課せられた運命だとでも言うのですか……)
なぜ自分がこんな運命を歩まなければならないのか。
何が悪かった。何がいけなかった。自分は精一杯、やれる事をやってきたつもりだ。
皇族に仕える立派な使用人になれるように、出来る限りの努力をした。悪行を犯したつもりはない。
なのにそれが───こんな結果に繋がるだなんて。
「───いたぞ!オルレア・ロースタッドだ!」
声がした。その方向には、何十人もの警備隊員たちがいる。先程、オルレアが振り切った者たちだ。
すぐにオルレアは取り囲まれる。今度こそ逃がさないよう、入念に彼女を殺す体制を整えている。
「大人しくしろ!今度こそ逃げ道は──」
「どうして、ですか……」
警備隊員の言葉を遮って言う。
「どうして……貴方たちは、私を殺すのですか」
「どうしてって……そんなの、お前が魔装士だからに決まっているだろう」
「なぜ魔装士というだけで殺すのですか……私も、先程までは普通の人間でした……いえ、そもそも魔装士だって同じ人間です。魔装士を恐れる気持ちは分かります。ですが、それだけで魔装士を殺すのですか……?」
「魔装士が人間だと?確かに体は人間だ。だが中身はただのバケモノだ!俺たちを苦しめる闇を振り撒くだけの厄災、そんなヤツをどうして生かしておける!」
「厄、災……?」
「そうだ。魔装具の闇は人を心身共に蝕む。ならそれを扱う魔装士も同じだ!実際に魔装士は多くの被害を出してきた!それが魔装士が厄災であることの証明だろう!」
「…………」
少しだけ期待していた。もしかしたら、自分の思想を理解してくれるのではと。オルレア・ロースタッドを人間として受け入れてくれるのではと。
「……やはり、そうなのですね」
今の問答で分かった。自分はどうあっても理解されない存在なのだと。全員がオルレアがバケモノであることに賛同していた。
もはや和解の道は無い。
「……そうですか。でしたら……仕方ありませんね」
オルレアは静かに細剣を構える。
別に生きたい訳ではない。ここまで存在を否定されて、まだ生に執着できるほどの精神はオルレアにはない。
だが魔装士というだけで糾弾し、切り捨てようとする腐った人間たちの前で死ぬことだけは、我慢ならなかった。
「死ね、塵屑どもめ……」
細剣を地面に突き刺した直後、警備隊員たちの足元の地面が棘のように隆起した。警備隊員たちは反応すらできず、次々に心臓を串刺しにされて絶命していく。
「貴様……!全員、今すぐ奴を殺せ!これ以上の攻撃を許すな!」
相手の数が多かったため、二十人ほど警備隊員が残った。今度は足元にも警戒している。同じ手は通用しないだろう。
警備隊員たちは魔法で遠距離から攻撃を仕掛ける。熱線や雷撃、氷弾など、確実にオルレアの命を刈り取る攻撃が迫り来る。
オルレアはその場から動かなかった。ただ魔装能力で自分に命令を下す。
『自分に迫る攻撃を全て弾き返すように』と。
「あぁぁぁぁぁぁァァァァァァッ!!」
重傷の体を動かし、迫る攻撃を強引に剣で弾きにかかる。
剣が触れた魔法は軌道を逆転させ、術者に向かって跳ね返っていった。触れた魔法に対して『術者へ跳ね返る』よう命令していたのだ。
跳ね返った魔法が術者を射抜く。脚を吹き飛ばされた者もいた。横腹を抉られた者もいた。頭部を切飛ばされた者もいた。心臓や肺に穴を開けられた者もいた。雷撃で体を破裂させられた者もいた。皮膚と内臓が焼け、灰になった者もいた。
次々に断末魔と鮮血が飛び交い、死んだ警備隊員たちが地に伏せる。十秒後にはオルレア以外の全員が死体となって転がっていた。
「…………」
流血と肉塊が地面を飾る。地獄のような光景の中、オルレアは静かに曇天の空を見上げる。
噂通り、魔装具の本来の力は壮絶だ。ただの一般人では相手にならない。こんなにも容易く多くの命を奪えてしまった。
(そうか……殺したのか)
これがオルレアにとって初めての悪行。初めての殺人行為。だがオルレアは一切の罪悪感を感じなかった。
感じるのは負傷による苦痛のみ。いつの間にか、かなり血を流していた。元々負っていた負傷に加えて、弾き切れなかった魔法がオルレアを射抜いていた。
(治療、を……)
魔法や魔装能力で治療を試みたが、オルレアの魔力は底を尽きていた。慣れない魔装能力の使用は、彼女に多大な負荷をかけていた。
出血多量に加えて魔力切れ。限界を迎えた彼女は地に仰向けに倒れ、急速に意識を闇に落としていく。
ここで眠れば自分は失血死するだろう。もしくは増援に殺される。いづれにせよ死は避けられない。
(……もう、いいか)
オルレアは目を閉じた。
何もかもがどうでも良かった。訴えかけたところで、誰も自分の存在を認めてくれない。生き延びたとしても追手に殺される。魔装士として最悪な余生を生きるくらいなら、ここで死んでしまった方が良い。
(本当に………ふざけた世界だ)
全ては数時間の出来事。そのきっかけは単純な一つの変化。それだけの事で、オルレアは人間としての道から蹴落とされた。
どこまでもふざけた世界、そしてふざけた皇国だ。
かつて両親が語った希望に満ちた国や尊敬すべき皇族など、全て幻想に過ぎなかった。民間人から皇族に至るまで、誰も彼もが腐っている。
この世はクズの集まりだ。信じられるものなど、何一つ存在しない。
それを今更、こんな形で知るだなんて───。
「…………」
意識が絶える寸前、彼女の意識に過ぎったのは、自分を見放した家族の姿だった。
***
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。オルレアは死んでいなかった。気付いた時には、ある人物のもとにいた。
その者の詳細は今でも分からない事が多い。分かっているのは、その者が自分とは比にならない程の実力を持つという事と、魔装士が人として世界に認められるよう魔装士の組織を立ち上げ、組織の長として活動している事だけだ。
最初、組織の長から話を聞かされた時は、怒り任せにその者を斬りつけた。自分は組織の理想が如何に無謀なものなのかをよく知っているから。
人間は差別対象を簡単に受け入れられるほど上手く出来ていない。共通の思考や態度を持って、集団からズレた者を排斥し、糾弾する事で、ある種の結束を保っている。それが人の醜い心理であり真実であると、オルレアは希望の無い世界を語った。そんな馬鹿げだ理想を語るお前もまた醜悪だと切り捨てた。
だが、組織の長がオルレアに返した発言は端的かつ意外極まるものだった。
『──すまなかった』
組織の長は深く謝罪した。オルレアをすぐに救えなかった自身の不甲斐なさと、世界の差別思考を解決できていない自身の未熟を。
謝罪に嘘偽りはなかった。オルレアはそれ以上怒れなかった。
ここまで誠意を込めて謝罪してきた者を、身勝手に怒れるほど人間性は損なっていない。
暫くオルレアは引きこもっていた。
居場所は組織が提供してくれた。その中で自分がこれから何をするべきかを考え続けた。
結論を出すのに一週間はかかったが、最終的にオルレアは組織の一員になることを決めた。
実現性が皆無とは言え、組織が目指す未来はオルレアにとっても望ましいものだ。
元より既に死んでいるような人生だ。どうせなら手を貸してみようと考えた。
ただし組織に協力するに当たって、一つの条件を組織の長に持ちかけた。
それは『オルレアがロースタッド家の人間を私情で殺すことを認める』というもの。オルレアは純粋に自分を突き放した家族に復讐がしたかった。
組織の長は了承した。それどころかオルレアの計画が上手くいくよう、様々な面でアシストしてくれた。
その結果、起こったのがロースタッド家の壊滅である。腐った皇族を支える腐った家系を、オルレアは根絶やしにしたのだ。
これがオルレア・ロースタッドという人間の転換点。オルレアは万人に否定される立場が少しでも肯定されるものになるよう、刃を血で塗らす道を選んだ。




