第百二話 闇夜の果てに朝日は昇る
封印魔法により、リヴァイアサンが海底に沈んでから数十秒が経った。
この場から、完全にリヴァイアサンの気配が消えていた。もうリヴァイアサンの魔力の一欠片も感じられない。
豪雨と雷は止み、大嵐は穏やかな風に還る。荒れ狂う大海は潮の音と共にゆっくりと波を打ち始めた。
空を覆っていた暗雲も霧散し、明け方の色をした空が露わになった。
いつの間にか夜が明けようとしていた。水平線の向こうから陽光が差している。
「…………勝った、のか」
アランは呟き、ようやく《その名は完全無欠の絶対王者》を解除する。
未だに現状を受け入れられていなかった。あの『十二死天の大厄災』の一柱である海帝龍リヴァイアサンに勝った。
『凄い』などという次元ではない。間違いなく歴史に刻まれ、後世に語り継がれるほどの歴史的大偉業だ。
「そうか、勝った……勝ったんだな……!」
アランは拳を握り、笑みを浮かべた。
あのリヴァイアサンに勝ったこと、そして自分の信念を貫き通したこと。その達成感は未だ嘗てないほどに大きなものだった。
「うぉぉぉぉぉぉ勝ったぞぉぉぉぉぉッ!!」
「勝てた……本当に勝てたのね、あのリヴァイアサンに……!」
「はぁ……やった…やったよ母さん、父さん!……俺、皆を守ったよ……!」
「守ったんだ!僕たちがリフレイムの未来を!」
「ははっ……意外とやるじゃん、私……これは流石に偉人ものでしょ」
「やったな皆!今日は祝杯だぁぁ!」
「馬鹿言え!もうそろそろ朝だ!でも今日くらいはきっと休んでも良いはず!」
「何言ってるんですか今日は海礼祭があるんですよ!絶対警備の仕事ありますって」
「でも実際のところどう思ってんだよ」
「そりゃ嬉しいですよ飲みたいですよ!ホンット何回死ぬかと思ったか!これは給料上げてもらわないと困りますって!」
リフレイムの聖装士たちも歓声を上げていた。互いに肩を叩き、涙を流しながらこの勝利を分かち合っている。
その光景を見て、アランは改めて思った。
「……勝てて、良かったな」
本当に地獄のような戦いだった。アランにとって間違いなく過去最も過酷な戦いと言える。
絶望的な力量差を見せつけられ、何度も諦めそうになった。
昨日までの自分なら、ここまで戦い抜けなかっただろう。フィーネと出会い、自分の覚悟と信念を定めたことで、この瞬間まで立ち続ける事ができた。
その感慨に浸りながら息を吐いていると、後ろから近づいて来た者がいた。
「貴方も混ざらなくて良いのですか?アラン君」
横に来たのはアリシア。《真髄解放》を解除しながら、彼女はアランと共に海面に立つ。
「それをアンタが言うか?いくら王女のアンタでも、今くらいはしゃいだって良いだろうに。それとも意外と落ち着いてるとか?」
「そんな事はありません。私も彼らと同じかそれ以上に、達成感に浸ってますよ」
立ち振舞はやはり落ち着いているが、表情から喜びが見て取れた。
「貴方は今回の戦いの最大の功労者です。貴方がいなければ間違いなく負けていました」
「そりゃ俺だけに言えることじゃねぇよ。アンタもグレイもシエルも他の皆も、誰か一人でも欠けていたらこの勝利はなかった」
各々が大きな役割を背負い、命を懸けて戦った。この勝利は全員が全力を尽くした果てに得たものだ。
故に誰か一人が功労者なのではない。この場の全員が等しく英雄なのだとアランは考える。
「そういやシエルとグレイはどうなってんだ?」
「二人ともリフレイムの聖裝士の方々と話してますよ。ほら、あそこです」
「あ〜ホントだ。凄ぇなシエルの奴、皆に胴上げされてんぞ」
「グレイ・フォーリダントは相変わらず落ち着いてますね。ですがきっと、内心では歓喜しているのでしょう」
「あの脳筋堅物野郎が歓喜してる姿なんて想像できねぇけどな」
皆の歓声を背に受けながら、アランは水平線の向こうに目を向ける。静かな海の上で見る日の出はこれ以上なく美しく見えた。
「…………綺麗だな」
「ええ、とても美しいです。死闘の後に見る景色としては最高ですね」
「ははっ違いない」
二人は共に日の出を見る。
目は合わせない。皆の歓声と穏やかな潮の音に耳を立てながら、勝利の余韻に浸っている。
だが、その時。
「…………なんだ、その……今まで悪かったな、アリシア」
「……え?」
唐突すぎるアランの発言に、アリシアは困惑した。
「ど、どうしたのですか?突然……」
「俺はアンタの価値観を否定していたつもりはない。誰がどんな思想を持とうと、それは本人の自由だからな。でも俺はアンタの理想がどうしても受け入れられなかった。理由は自分でも分からねぇけどな。まぁ多分俺の捻くれた性格のせいだろう」
アリシア・エルデカという人間は優し過ぎる。全てに対して誠実であり、常に万人の命を等しく尊ぶ。
たとえ相手が自分と相入れない者でも、彼女の信念は曲がらない。その信念のためなら、アリシアは自分さえ蔑ろにする。まさに絵に描いたような善人だ。
対して、アランは薄汚い行為をなんとも思わない狂人だ。人を救う優しさを持ちながら、万人を憎むという矛盾を抱えている。
その中途半端な精神性が故に、彼はいつだって何事にも本気になりきれない。アリシアとは対極に位置する人間だ。
だからこそだろう。アリシアの高潔さを、アランは敬遠せずにいられなかった。
「アンタも知っての通り、俺はクズだ。犠牲は許容するし、相手が誰でもを殺すことを厭わない。これは俺という人間の根幹に染みついた不治の病だ」
「ですが貴方は……」
「言わなくていい。確かに俺にも善性があるのかもしれないが、それ以上に俺の頭は腐ってる。意地でも他人に美点を見出そうとするのはアンタの良いところでもあるけどな」
苦笑し、アランは言葉を続ける。
「俺はアンタみたいには成れない。理由があるならまだしも、訳も無く他人のために全力になる事が出来ない。矛盾した価値観を持つ、どこまでも中途半端な人間だ。だからアンタの理想や信念を理解する日なんて、一生訪れないと思ってた」
朝日が昇る。水平線から差した陽光に照らされた彼の表情は、とても澄み切っていた。
「だけど今日、初めて理由も無しに他人のために全力になれたんだ。そりゃあ今でも疑問は残ってる。なんでこんな無意味な事のために全力になったのかってな。でも、そんな疑問すらどうでも良く思えるくらいに、俺は本気になれていた」
そこで二人は顔を合わせる。
アランは思ったことを、ありのままに伝えた。
「それで、なんとなくアンタの気持ちが分かったよ。誰かを助けるために全力で頑張るのって、意外と良いモンだな」
今でも、どうしてフィーネのためにここまで必死になったのかは分からない。だが、アランはそれで良いと思った。
他人を助けるという行為は、元来そういうものなのだろう。高尚な理由も面倒な理屈も必要ない。
ただ助けたい、理由などそれで十分なのだ。
「………っ」
アリシアは驚いていた。彼女が知る限り、ここまでアランが穏やかな表情を見せたことは無い。
いつもアランは心に矛盾を抱えていた。そんな彼が一切の矛盾を持つことなく、心の底からこんな言葉を口にした。とても信じられないことだが、それが真実であることは何より彼の表情が物語っていた。
「……ふふっそれは良かったです」
アリシアも笑った。
この一件でアランの矛盾が治ったわけではない。これからも彼は人を殺すことを厭わないだろう。
それでも誰かのために全力になるという心を理解し、受け入れてくれたことを、アリシアは嬉しく思った。
だが同時に、申し訳なくも思った。
「しかし、それを言うなら私も貴方に謝らなければいけない事がありますね」
「え、アンタが何を謝るってんだよ。まさか人でも殺したか?いやアンタに限ってそれは無──」
「生憎ですが、そのまさかですよ」
「…………マジ?」
驚きのあまりアランの口が開いていた。
「リヴァイアサンに一度海中に転移させられましてね。その時、この海で亡くなられた方々とお会いしました」
「あ〜なるほど。大体読めたわ。その幽霊たちは自分が死んでることを知らずに、アンタに助けを求めた。アンタはソイツらを救おうとしたが、リヴァイアサンが無理矢理ソイツらにアンタを襲わせたと。それで仕方なく殺したってところか」
断片的な情報だけで、アランは全てを言い当てる。アリシアは少し引いていた。
「……本当に貴方は他人の事情を見抜くのが上手いですね。記憶でも読んでいるのですか?」
「リヴァイアサンの能力とアンタの性格を加味すれば、思い付くのは簡単だ。それで、アンタは人を殺してどう思ったんだ。アンタは死人相手でも剣を向けられるような奴じゃないだろ」
「…………」
改めて亡霊たちを殺した時の感覚を思い返す。
死にたくない、助けてほしい。そう絶えず訴えながら苦しみ嘆く亡霊たちを殺し尽くす、その後悔と絶望を。
「……私はどんな罪を背負ってでも、守るべき無辜の民を守ると覚悟していたつもりでした。ですが、それだけでは足りなかった。敵は常に自分が思うような存在とは限らない。自分の認識の甘さを思い知らされました」
戦場では敵を選べない時もある。殺したくない相手を殺す、勝てない相手と戦う。そんな理不尽が何の予兆もなく訪れる場だ。
如何に実力があろうと、誠実な心を持とうと、非情な現実に耐え得る精神が無ければ容赦なく殺される。
アリシアは戦場の真理を理解させられた。自分の精神性は戦士として不適格なものなのだと思い知った。
「アラン君、私は……間違っていたのでしょうか。あれほど強く掲げていた信念も正義も、非情な現実の前では無力になってしまう。なら私が信じていたものは……」
「『意味が無かった』かって?」
「……はい」
珍しくアリシアが深く悩んでいる。王女として自分の在り方について人一倍考えている彼女だからこそ、ここまで苦悩してしまうのだ。
「……正直、俺がどうこう言える話じゃねぇよ。どんな信念にも正解なんてものはない。だから俺はもちろん、この世にアンタの信念に口を挟める奴は一人もいない。アンタの信念を肯定できるのは、他でもないアンタだけだ」
「私が……」
「正解が無い以上、俺たちに出来るのは自分の信念を貫き通すことだけだ。明かりも道標も無い道を、ただ正道と信じて走り続けるしかない。誰かに道の正誤を尋ねた時点で間違ってる。その時点で、ソイツは自分の信念を捨ててると俺は思うぜ」
「…………」
アランの言葉を受けて、アリシアは真剣に考えている。思った以上に真に受けられたので、アランは少し焦った。
「一応言っとくけど、これもただの持論だからな?マジに考えないでくれよ?」
「分かってますよ。しかし前々から思ってましたが、貴方はどこか達観していますね。同じ十七歳とは思えない程に」
「そりゃ俺のセリフだよ。アンタは高潔すぎる。もっと気楽になれ、気楽に。この歳で正義やら信念がどうこうって、考えるのが早いんだよ」
「そう言われましても、私はエルデカ王国の王女です。国のトップに立ち、民を牽引する者として相応しい在り方を──」
「そうやって焦って決めた道が悔いのあるものだったらどうする」
「……それは」
言い淀むアリシアに、諭すようにアランは言う。
「アンタは焦りすぎだ。いくらアンタが天才で最強で王女とは言え、一人の人間であることに変わりはない。生まれて十七年で満足のいく在り方が見つかるかよ。たった一回の挫折で簡単に道を変えるようじゃ、その先にある道は薄っぺらいものになるぜ?」
道を変えることが間違っているというわけではない。挫折から長く悩んだ末に道を変えると言うなら、きっとその道も意味のあるものになる。
だが時間をかける事もなく、その場の感情と流れだけで決めたような道に価値は生まれない。納得のいく答えとは、いつも積み重ねた先にこそあるものだ。
「ま、ここでアレコレ言っても仕方ねぇ。まずは皇都でも見て来いよ。きっとそこにアンタの求める答えの一端がある」
「……どういうことですか?」
「信念の正誤を決めるものがあるとするなら、それは結果だ。アンタが信念に従った末に出した結果。それが納得のいくものなら、アンタにとってその信念は正しいものだったと言えるかもな」
アランは振り返る。その先には陽光を受け、少しづつ朝を迎えゆく皇都が見えた。
「だから見てこいよ。アンタが信念に従ったからこそ、守り抜けた無辜の民たちを。在り方について断定するのは、それからでも良いだろ?」
肯定はしなければ、否定もしない。ましてや導きもしない。ただ結果として残ったものを見てこいと言っただけ。
しかしその言葉は、
「……ッ!」
結果を忘れ、信念に苦悩していた者が目を覚ますには十分な言葉だった。
「……そうでしたね。私とした事が、重要なことを忘れてました」
「ヒントになったようで何より。それより俺たちもいい加減皇都に戻った方が良いんじゃないか?」
今もアランとアリシア以外の者たちは勝利を祝い合っている。
リヴァイアサンを封印できた事は既に皇都も把握しているだろうが、皇都の者たちもアランたちの帰りを待っているはずだ。
「それはそうですが……もう少し待ってからでも良いのでは?我々は既に満身創痍です。最後の一撃でほぼ全ての魔力を使い果たしました。今は魔法で海面に立っているのがやっとの状況です。魔力が回復するまで移動するのは難しいでしょう」
「ははっそりゃそうだ………で、本音は?」
「もう少しこの景色と勝利の余韻を楽しみたいです。こんな経験、滅多に出来ませんから」
「おいおい、早速おサボりか」
「気楽になれ、と言われたものでして」
「俺の責任かよ」
「発言には責任を持つものですよ、異端者アラン・アートノルト?」
「……なんか言葉に妙な刺々しさを感じるのは気のせいか?」
「さぁ、どうでしょう。あの大厄災との決戦でも尚、聖装具を出さなかった者に対して、少なからず不満はあるかもしれません」
「それは本当にごめん」
封印の少し前、《その名は完全無欠の絶対王者》の過剰負荷で動けなくなった時、アランは全力で自分の聖装具に呼びかけてみた。
だが、聖装具には何も変化は起きなかった。代わりに、あの瞬間を境に魔力と体の負荷が回復し、魔力出力が上がったが、もしや聖装具と何か関係があるのか。
(結局、俺の聖装具はまだまだ謎のままか)
ため息を吐き、水平線から昇る朝日を見る。
聖装具については考えないことにした。それより、今はこの勝利を味わっていたかった。
「おーいアラッチぃ、お姫様〜」
その時、シエルが二人を呼んだ。彼女はリフレイムの聖装士の一人におぶられていた。
「こっちおいでよぉ、皆でキャッキャしようじゃぁん」
「だそうだが、どうするアリシア?」
「ふふっそうですね。せっかくですし、混ざらせてもらいましょうか」
笑い合い、二人もシエルたちのもとに向かう。
朝が来る。絶望と苦難に満ちた長く辛い夜が明ける。
いつも通りの朝、いつも通りの平穏。されどそれは決して当たり前のものではなく、この平穏のために命を懸けて戦った英雄たちがいた。
故にここに絶望は無い。誰もが等しく希望を抱え、明日を目指して歩を進める。
どれほど深い闇夜の中でも、その果てに必ず朝日は昇るのだから。




