762 地球を抱きしめて
打ち上げられた花火の向こう側、夜空にうっすらと大きなヒトの顔らしき影が見えた。
夜空に影。
それは明らかに目鼻立ちと顎の輪郭を見せる、いかつい表情が地上を睥睨しているのだ。
突然の怪異であるが、そうと気付くのには個人差がある。
それでも多くの人々が目的の花火を見上げる以上、次第にその異常事態が伝播していき、この怪異は大勢が共有するものとなった。
はじめこれを風変わりな演出と思った人も多かった。
しかしそれにしては見上げる人々が等しく恐怖を覚えてやまないのは何故だろう。
誰もが感じたのは、決して逆らうことを許さない圧倒的な威圧感だった。
それはこの場に居たアマンも同様だ。
得も言われぬ恐怖心が悪寒となって身体を震わせている。
「シオリ……」
アマンはシオリに尋ねようとした。
シオリは予知したようにこの怪異が現れるのを察知していた。
なぜ知っていたのだろうか。
それならば、
「あれはなんだ?」
答えも持っているのではないかと思った。
「前に見たことのある顔と似てるの」
シオリは静かにそう答えた。
声に震えはなく、恐怖心も抱いていないようだ。
ただ、だからと言って安堵したわけではない。
シオリにはこの事態をどうにかしようとする覇気が、まるでないのがアマンにもわかったからだ。
「どこで?」
「宇宙。大気圏を超えた場所で」
そこで囚われのマユミとミナミを救出したのは一年近く前の事だ。
そのときあの場所にこの顔はいた。
「大いなる存在、グレート・ワンってズァは言ってた」
人々に恐怖という影響を与えるのは確かであったが、反応はそれぞれだ。
悲鳴が上がるばかりでなく、写真や動画撮影に興じる者もいれば、ネットで事態を調べる者と様々だ。
そしてこのあと、そうした行動が瞬く間に共有されたことで周知されたのだが、このときこの巨大な顔は日本中のどこからでも確認でき、そして同時刻の世界中で似た現象、怪異が起きていた。
同日午前七時のニューヨークでは巨大な右手のひらが摩天楼の空を覆い、お昼の一時、ランチタイムのパリでは巨大な左手のひらが空を覆った。
南米では右足が、アフリカ大陸では左足が、空にかかる橋のように東西に伸び切っていた。
日本と時差が一時間のシドニーは空一面を何かに覆われていたが、位置的に巨人の胴体であったかもしれない。
この事実を繋ぎ合わせればおのずとこれらは同一個体の身体であろうと推測される。
昼の時間帯に目撃されたところでは、それは半透明で茶系のゼブラ模様であるそうだ。
この人智を超えた超絶なる巨人はまるで我々の住む地球をボールのように抱え込んでいると想像がつく。
「シオリの世界ではこういうのってよくある事なのか?」
「そんなわけない」
「だよな。安心したよ」
視界に収まりきらない巨人に世界が包み込まれる。
こんなこと、亜人世界でも体験できない。
「とにかく逃げようぜ」
アマンの意見は至極まっとうで、花火を見にやってきた人たちも最初の呆然自失から抜け出すと、我先に避難行動に移っていた。
その狂乱ぷりはすさまじく、花火大会のために配備されていた警官隊の誘導も意味をなさない。
浅草の街は花火大会当日はまともに道を歩くこともままならない超過密状態と化す。
街は騒然とした。
「シオリ!」
「無駄だよ。世界中、どこにも逃げる場所なんてない」
「どうしてそんなこと……」
「世界が崩壊する日なの。もう決められている」
「崩壊? あの巨人が何かするのか」
改めて見上げると、巨人の顔は最初見たときよりも大きくなったように感じられた。
「近付いてる!」
徐々にだが、この巨人は地表へとその距離を縮めているのだ。
「落ちてくるッ」
「ううん、そうじゃない。抱きしめようとしてるんだ」
「はぁ?」
風が唸り声を上げた。
強風が地表の全てを吹き飛ばさん勢いである。
川面は荒れ狂い、木々はなぎ倒され、強化ガラスをはめ込んだビルの窓も砕け散る。
人間だけでなく自動車も風にまかれ、何かに掴まろうにも頼れるものは何もなかった。
シオリもアマンも剣を地面に突き立て踏ん張ってはみたが、周囲の人々より数分長く耐えられたにすぎない。
「うわぁッ」
「ああッ」
ついにはアマンもシオリも暴風にさらわれてしまった。
巨人はついに地表に接した。
宇宙からならひと目でわかったろうが、巨人は地球をそのふところに大事そうに抱え込み、丸まった。
そして大地がはじけ飛んだ。
強く握りしめられたレモンのように。
地球は巨人に抱きしめられて、潰されたのだ。




