761 隅田川花火大会
「シオリ! 本当にシオリか」
アマンがベンチに座るシオリの元へ駆け寄ると、シオリは小さな声で「うん」と返事をした。
少し雲が多いが晴れた空から降り注ぐ太陽の日差しを浴びて、アマンはまぶしそうにシオリを見た。
光を行使する白姫だからまぶしいのだ。
それに直前まで暗い部屋にいたからだ。
アマンはシオリを見つけた時に感じた高揚感に戸惑いそう結論付けた。
同時に今ここに居るという状況の一変に疑問を持った。
「シオリ、ここは……どこだって?」
「東京だよ」
「トウキョウ?」
「この川は隅田川」
シオリが目の前の川を指して教えてくれた。
「どこだって?」
アマンにはひとつも聞き馴染みのない地名だった。
「私が住んでたところだよ」
シオリの答えに一瞬呆けてしまう。
「てことは、ここって異世界? お前、帰ってこれたのかよ! スゲエッ」
興奮するアマンを余所に、シオリはなぜだか寂しそうに微笑んだだけだ。
「あれ? でもどうして帰れたんだ? たしかお前、コランダムの隠れ家で、棺の中で眠ってて、ていうかなんでオレもここに居るんだ?」
よく見ればシオリはアマンといた時と変わらぬ旅装束のままで、よくよく見れば周囲に大勢いるニンゲンたちと比べてだいぶ浮いた格好だ。
「まあ、カエル族のオレが言うのもなんだがな」
街を見渡せばニンゲンがやけに多いが、アマンのような亜人種の姿はひとりも見えない。
「異世界じゃないんだよ。ここは過去。みんながいた亜人世界よりもずっと昔が今」
「あ? そう言えばマグ王がそんな風に言ってたっけ」
アマンが活躍していた聖刻歴一万九千二十三年の亜人世界は、西暦の地球より未来の世界であると。
アマンは冥界セヘト・イアルでマグ王に。
シオリは聖都カレドニアでバンに、それぞれ教えられていた。
「ここは過去の世界なわけだ。ならどこかに面影ぐらいないものか」
「あまりないと思うけど」
「ちょっと見て回ろうぜ」
「え……うん」
好奇心がうずくアマンに手を引かれて、シオリは否応なく重い腰を上げた。
「橋だ! あれ渡ろう」
二人は隅田川にかかった吾妻橋を墨田区側から台東区側へと渡った。
渡った先は日本でも有数の観光地である浅草だ。
こちら側へ来ると出歩いている人の数もさらに多くなってくる。
渡りきる手前の橋上ではアコーディオンを演奏する人たちがいて、その音楽に合わせるように駅ビルから伸びる高架線をゆっくり走る電車の姿が見られた。
電車は吾妻橋と並行する高架線の上を、アマンたちが渡ってきた墨田区側へ向かい走り出した。
橋の下を見れば水上を何艘もの船が行きかっていた。
「なんだよここ! 見たことない光景だ! ヒトも多いし、建物もデケェし、祭りか今日は」
「いつも多いけど、今日は特別。夜、花火大会があるから」
隅田川花火大会は毎年およそ百万人が訪れる夏の風物詩である。
「ひゃ、ひゃくまん! マラガだってコランダムだってそんなにいねえぞ……」
仰天するアマンと連れ立って、シオリは雷門を抜けて仲見世通りを歩き、浅草寺にまでやってきた。
「ふわぁ、なんか荘厳な雰囲気だなぁ」
いくつも並ぶ寺社仏閣を見渡しアマンは何度も感心していた。
なんとなく故郷のカザロ村と雰囲気は似ていると思い、それがまた懐かしさを込み上げさせていた。
もっとも、カザロはこんなに派手な風景ではなかったが。
時間を忘れてアマンは街中を歩き回った。
美味しそうな匂いの元をたどって団子やたい焼きと言ったお菓子も食べた。
もちろん支払いはシオリに頼ったが、なぜかシオリの懐にはこの街で使える金が十分なほどにあったのだ。
いつしかふたりはまた隅田川のほとりに戻ってきていた。
空はだいぶ薄暗くなっており、雲も厚みを増してきたが、それよりも夜の時間が近付いていた。
それにつれて人々の数は爆発的に増え、先ほどなどは何かの合図で一斉に走り出したかと思うと至るところで場所取りらしき競争が繰り広げられていた。
「花火が始まるんだよ」
シオリはそう言ったが、周囲の人々がみな楽しそうにはしゃいでいるのにシオリはそうではなかった。
いや、今に始まった事ではない。
ここで再会してからというもの、シオリはずっとふさぎ込んでいるように暗いままだった。
「なあ、どうしたんだよ。お前こんなに暗い性格じゃなかったろ?」
「……」
「せっかく自分の世界に帰ってこれたのに、嬉しくないのかよ」
シオリの顔が一層沈み込んだ。
その顔がはっきりとわかるのは、ついに打ち上げられた最初の一発が夜空に明るく花開いたからだ。
「もうじきね、始まるから」
「え?」
始まるって、花火ならもう始まってるじゃないか。
続けて何発もの花火が打ち上がっている。
周囲ではそのたびに喝采が上がる。
「空を、よく見ていて」
「空?」
見上げるが、花火以外は夜空しか見えない。
「もう少し、あと数分、そうしたら、現れるよ」
何が? と聞く気にはなれなかった。
シオリの顔がなんとも言えない表情をしていたからだ。
恐れ、悲しみ、虚しさ、辟易……。
どれもはっきりと当てはまるとは言えないが、どっちにしても良い感情ではないことは確かだ。
「ほら、見えてきた」
あきらめにも似た思いを込めたシオリの声にアマンは夜空に目を凝らした。
暗い空に花火がまぶしい。
いや、いま何か見えたような。
「目?」
「顔だよ」
シオリに言われてアマンにもはっきりと異変が見えた。
何発も同時に上がる花火の背後で、夜空に徐々に顔が現れてきているのだ。
ニンゲンの顔だ。
とてつもなくデカイ、花火よりも、空一面に大きなヒトの顔らしき影が滲みだしてきているのだ。
その異様な光景に、シオリとアマンだけでなく、周囲の百万を超える人々も気付きだしていた。




