493 自由騎士タイランその26 薬師の正体
長い髪を掻き上げるように右手でベールを跳ね上げると、女の手に三日月刀が閃いていた。
タイランの神剣ククロセアトロを難なく弾くと女は楽しそうに笑った。
「可能性としては一番ないと思ってた反応だ! 案外と激情家だね。や、人情に厚いのかな。評価を修正するよ」
タイランは構わず剣を閃かす。
「お、とっ、と」
虚を突かれたか、女は防戦一方となった。
数日前のように剣をいなせずにいる。
タイランの剣が女の思考を上回る速さで繰り出されているのだ。
「アナハイはどうなる?」
剣を繰りながらタイランが詰め寄る。
「元には戻れるのか?」
「戻れないよ」
女の簡潔な答えでタイランの目に哀切が映る。
女はその一瞬でタイランの心根を感じた。
優しい奴だと思った。
無意識に闘争心が薄らいだかもしれない。
「あっ」
タイランの目は激情のそれに戻っていた。
身体ごとぶつかり、もつれ合う。
くみしだかれ、上から剣を突き付けられていた。
「はぁ、参った。感情の揺らぎすらフェイントに使うなんて」
「そんなつもりはない」
「私を殺したい? 憎んでいる?」
「そんなつもりもない」
立ち上がり、女から離れると、タイランは剣を仕舞った。
「私はそう悲観することはないと思うけども」
身を起こし、座ったままタイランを見上げて女は言った。
「そうだね。彼の……彼としての自意識は薄らいでいく。数日もすれば人間だった頃の記憶も無くなる」
「アナハイは砂虫として生きていくのか」
「確かに自我は無くなる。けれど想いは残る。騎士として生きようとした彼の精神は不滅よ。たとえこの世界がなくなったとしても」
「騎士だって?」
「彼は彼の騎士道に殉じた。王国や組織に従属するだけが騎士道ではないでしょ」
「魂は尊い、かもしれんが……」
薬師の女は「はぁ、」とため息をついた。
「最も大切なのは魂の想いだよ。身体の形はどうでもいい」
「……うむ……」
「納得いかないって? やれやれ、亜人世界となろうとも、たかだか一万年程度でヒトの意識はそう変わらないか……」
「どういう事だ?」
女の呟きはタイランに言って聴かせるというより独り言に近かったようだ。
女の目はタイランに向いてはいたが、それよりも遥かに大きな何か、流れるような時の本流を見つめているように思えた。
回答を待ってはみたが、女はそれ以上何も言わずに口を閉ざしてしまった。
「む……」
ふと、タイランは片膝を着いてしまった。
思わずふらついてしまったのだ。
張りつめていたものが切れてしまったせいかもしれない。
「一晩休んでいきなよ。私がそこまで憎くなければね」
「……そうさせてもらう」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
暖気に包まれた部屋でタイランは目を覚ました。
寝ている間に身体中に包帯が巻かれていた。
このような処置をされたことにも気づけぬほど寝入っていたらしい。
だがおかげで傷みは感じなくなっていた。
気分もすっきりとしている。
部屋を見渡せば自分の荷物もちゃんと全てあった。
それらを身につけると表へと出る。
すぐにこの山を下りるつもりだった。
「挨拶ぐらいしてくれてもさあ……」
行動を予期していたようで、待ち構えた薬師が不満そうな顔で出迎えた。
「眠り姫のこと気にならないの?」
「彼が信頼したお前に任せるさ」
正直アナハイの手前、顔を合わせるのが辛かった。
「ん~、まあそこまでアナタに責任はないしね。いいよ、任された」
薬師の女はタイランに小振りのポーチを差し出した。
「いろいろ薬が入ってる。旅に役立てて」
タイランはなにも言わずに受け取った。
「自信持ちなよ。このミッションはそんなに失敗て程ではないよ」
「そうだろうか」
「私が思うにアナタ、捕らわれすぎだね」
「……なんだって?」
いつだったか、ナキからの師匠の伝言を思い出した。
——捕らわれるな。
そう言われた。
「オレが何に捕らわれている?」
「単純に言っちゃえばさ、しがらみとか、責任とか。正義とか友情なんかもそうかもね」
「捕らわれて悪いものとも思えんが」
「いいや、どれもほどほどにしておくといいよ。度が過ぎると害悪だ」
いまひとつ納得がいかない顔のタイランを見て女が手をたたく。
「ははっ、いいこと考えた。アナタこれから名乗るときにはさ、こう言いなよ」
「ん?」
「自由騎士タイラン。うん、かっこいい。自由という響きは束縛とは無縁だしね。アナタは自由だ。私が保証してあげよう」
「薬師に保証してもらってもな」
苦笑したタイランが女の前から去ろうとする。
その背に女は声をかけた。
「最後に、私の本当の名を教えてあげる」
タイランは振り返った。
「本当の私の名は、アールマティ。神聖なるアールマティ」
「うん?」
「二千年前、桃姫御崎サクラに受肉した、お前たちの云うところの、旧きモノ、だ」
「な、に……ではお前は姫神」
「いいや、そうではない。確かにこの身体はサクラの物だが、あの娘の魂はすでにない。ここにいるのは遥か高次元より来たれし我れであり、天寿を全うした姫神の抜け殻に相違ない」
「神……」
呆けてしまい理解が追い付かない。
「サクラの振るいし神剣ククロセアトロを持つ者よ。今しばらく預けおく。我れの啓示と証すがいい」
山がせり上がりタイランと女を岩壁が隔絶した。
猛烈な神気に中てられ呆然としていたタイランは、その後空を飛んでまであの薬草園を探す気にはなれず、狐につままれた気分でひとり、下山した。




