480 自由騎士タイランその13 腰抜け
リュキアのとなりでバイドが眠っている。
薬師の女が鎮静剤を打ち眠らせたのだ。
「起きたら薬の効果も切れてるよ」
「バイドは牙と爪に数種の毒を仕込んでる。たぶん他人より薬も効きにくいはずだ」
掛布を掛けてやりながらクロウが言った。
「薬の効果も切れるもんなんだろ? ならなんで奥方さまは別に解毒剤が必要なんだよ?」
もっともな疑問をボンドァンが投げかける。
「言ったでしょ。粗悪品だって。そんなものを毎日のように常飲させたから中毒症になってる」
「というと?」
「アルコールの離脱症状や煙草のニコチン中毒に似ているね。軽度の場合は目眩や吐き気、頭痛など。でも重度の彼女は意識障害や痙攣、下手すると呼吸停止もあり得る」
「リュキア……」
アナハイが眠るリュキアの手を強く握った。
その顔には悲壮感が漂っている。
「太守が留守でも薬を飲ませ続けなければ禁断症状が出てしまうのか」
「そっか! だから部屋で縛られたうえに目隠しまでされてたんだな! 世話役の執事を見たらホレちゃうわけか」
タイランの言葉でボンドァンもようやく話が繋がり納得したようだ。
「けどそれで一ヶ月も過ごさせようとしてたのか? ひどい話だな」
「しかしなんでまた太守に自分の女を獲られたりしたんだ?」
クロウの疑問に顔を伏せたアナハイは静かに語り始めた。
「僕は逃げてきたんです」
「何からさ?」
「全てです。家も身分も将来も捨てて、リュキアと逃げてきたんです」
ヨハネス・アナハイはハイランド南部、ローズマーキー地方を治めるレンブレス・アナハイ侯爵の次男であった。
そのローズマーキーは先年、エスメラルダの翡翠の星騎士団と凶暴な蒼狼を操るランダメリア教団の魔獣使いによって電撃的に壊滅した。
多くの難民が城塞都市ネアンや聖都カレドニアへ逃れるも、その後の黒い雨による〈獣化現象〉や、黄泉返った獣神ガトゥリンによる蹂躙はまだ記憶に新しい。
「僕は領主の息子として、騎士として、この危地に立ち向かう勇気がありませんでした」
「あの事件は今や世界中に知れ渡ってる。人間の手でどうにかなるもんには思えなかったぜ」
クロウの慰めにもアナハイは首を振る。
「それでも僕は戦わなくてはならなかった。なのに許嫁でもあった幼馴染みのリュキアを連れて、ハイランドを出てしまった。僕らは逃げて、逃げて逃げて、このエスメラルダの辺境にまで」
しかし身ひとつで生き抜けるほどの生活能力は貴族社会しか知らない彼らにはなかった。
困窮したアナハイとリュキアは流れ着いたペシャの町でとうとう身分を明かし、バギン太守に庇護を求めてしまった。
「ハイランドの騒動は終結していました。ですが今さら戻ることはできない。それでも僕はリュキアにこれ以上苦しい思いをさせたくなかった」
「で、まんまと太守に出し抜かれちまったか」
クロウの指摘にアナハイはまたしても顔を伏せた。
「その通りです。最初の数日、彼は僕たちに同情を寄せ、よくしてくれました。僕もいずれこの恩を返さねばと……油断してました」
唇を噛む。
よほど口惜しいのか、血が滲み出している。
思い出すのも辛いのだろう。
続く声はなんとか絞り出しているかのようだった。
「ある朝、突然にリュキアはバギン太守と接近し、仲睦まじくしていました。僕はどういうわけか分からず太守に食って掛かりましたが、身ぐるみ剥がされ僕だけ放逐され……リュキアは奴の妻とされていました」
「あ~らら」
「最初から女が狙いだったんだろうな」
「途方にくれた僕ですが、唯一の幸運があるとすれば、それはこの方に巡り会えたことです」
そうしてアナハイは目の前にいる薬師の女に黙礼した。
「そう言えば、まだあんたの名前も聞いてなかったな。何て言うんだ?」
「なんとも不躾な聞き方。いつも女の子にそう聞くの?」
女はボンドァンにしかめっ面をする。
「いいだろ別に。ったくよ。……なんて仰られるのですか」
「アール……いや、サクラよ」
「変わった名前だな」
「とにかく」
そこでアナハイが割ってはいる。
「この方の助言でリュキアの真相がわかり、さらに彼女を救うために必要な力を授けてもらえました」
「砂虫を操る方法」
アナハイが頷く。
「あとは完全な解毒剤を用意できれば」
「奥方……っと、あんたの妻か」
ボンドァンが言い直す。
「あんたはさ、妻を助けてその後どうするつもりだ?」
「その後……」
「正直言わせてもらえばさ、オレはあんたの事嫌いだぜ。あんたは腰抜けだ。そのうえ身勝手だ」
「そうだね……返す言葉もないよ。でもだからこそ彼女を早く助けたいんだ」
「ちっ」
ボンドァンは腕を組んでそっぽを向く。
今度はクロウ・リーがアナハイをまじまじと見る。
「ずいぶんと苦労したようだな。髪はボサボサ。無精ひげも。こっちの若造とそう年齢も変わらんだろう?」
そう言ってボンドァンの肩に腕を回し軽くこずく。
「イテッ」
「上等な鎧のようだがズタボロ、表情も険しいな。だが精悍な顔つきだ。貴族社会では学べない経験をしてきただろう」
「……それはもう、嫌と言うほどに」
「ハッハァ」
クロウはアナハイの肩を鼓舞するように叩いてやった。
「まあまあ。彼女をどうするかなんて、彼女を助けた後に彼女自身に決めさせればいいじゃない?」
薬師の女の言う事ももっともだ。
「だがそのために賢者の石がいるって? レア中のレアアイテムだぜ。そう簡単にヒトの手に出来るもんじゃねえ」
クロウの言い分に薬師の女はニヤリとする。
「そこがまた、このアナハイ君の幸運と言いますか。神はまだ彼を見捨てていないのよ」
「オレたちが手伝うと見越してか?」
「んっん~。確かに凄腕は多い方がいいけども、今回もっとも必要なのはね、あなたよ」
指名されたのはタイランだ。
「あなたのその翼が大いに役立つわ。あそこへ行くにはね」




