140 いつまでも一緒
すべてが青い大理石で形作られたこの大広間。
かつて妖精女王ティターニアが座していた玉座に、今はサチがいた。
サチはひとり、誰もいない広間の虚空を見つめている。
長いこと、まばたきすらもしない風で、ただジッとそこに座っている。
姫神として目覚めてから一週間が過ぎていた。
広場での殺戮の後、サチは意識を失い倒れた。
一晩がたち、目を覚ましてから自身の変化に驚いた。
体の不調など微塵も感じず、まるで今この体が完成した新品であるかのように、好調を感じた。
さらに驚いたのが言葉であった。
日本語を話すように、この世界の言葉がわかる。
いちいち単語を脳内で変換したりもしない。
この世界の住人として、新たに生まれ落ちたという感覚まであった。
ふと、傍らに据え置かれた得物を見る。
支えの台により立てかけられた長い武器、薙刀がある。
柄も刀身も透き通る青一色。
神器〈星の海〉。
そう、これだけはあたしのそばにいつもある。
そして、手に握りしめていた自分のスマホの電源を入れた。
バッテリー残量は残り僅か。
何もしなくても、もう数分と持たないだろう。
サチはゆっくりとした指の動きで画像フォルダを開く。
最後に撮った写真をタップする。
右から精一杯の笑顔のサチ、少々ぶぅたれているメグミ、優しくほほ笑んでいるユカの姿が写っている。
この世界に来た当初、あの不思議な森の温泉で撮った写真だ。
三人一緒。
この写真の中では、三人がいつまでも一緒にいられる。
サチの頬を一筋の涙が伝った。
ユカとメグミ、二人に別れを伝えたのは、五日前だった。
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目を覚ましたサチは真っ先にユカとメグミに会いに行った。
心配だった。
昨日、ユカは広場で私刑にあった。
姫神なのかを確認するためだと言って。
この世界は野蛮だ。
だけど結果、自分が姫神として目覚めた。
今でも覚えているが、あの化け物たちを圧倒する高揚感。
この力があれば二人を守っていける。
もうあんな目には遭わせないで済む。
そして三人で帰るんだ。日本に。
サチは二人のいる部屋の扉を開け中に入った。
昨日のことを思い出させないよう、なるべく明るい声を出しながら。
「ユカ。メグ。おっはよ! あたし起きたよ」
ガタン!
大きく椅子を倒す音とともに、ユカとメグミは立ち上がり部屋の隅に後ずさっていた。
「あれ? お、驚かせちゃった、かな」
サチは二人の反応に違和感を覚えた。
「サ、サチ……」
「お、起きたんだね。おはよ……」
こころなしか、二人の反応が暗い。
「うん……起きた。ユカ、傷は平気?」
治療はされたようで、いたる所に包帯が巻かれている。
「平気」
「そ、そう……」
それ以上の会話は続かなかった。
メグミは倒れた椅子をなおそうと手を伸ばす。
「あ、メグ。あたしも手伝うよ」
メグミが伸ばした手にサチの指先が少し触れた。
「ヒィッ!」
思わず上げた悲鳴を押し殺そうとメグミは両手で口を抑える。
「メ、メグ」
「ご、ごめん、なさい。なんでもない」
なんでもないという顔ではない。
サチはすでに理解していた。
二人とも、恐れているのだ。
そして、あたしを気味悪がっているのだ。
「ち、ちがうのサチ……これは」
コンコン!
その時部屋の扉をノックして、一人のメイドが現れた。
「サチ様、ティターニア様がお呼びでございます」
「……わかりました……案内、してください」
サチは二人を見ないようにして部屋を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お目ざめですわね、〈藍姫〉」
「はい」
「早速ですが、これよりはあなた様がこのアーカムの盟主です。なんなりとご命令くださいませ」
青い大理石で形作られた大広間、そこに幾重にも重ねられた天鵞絨に囲われた玉座。
その玉座にサチは座らされ、ティターニアは跪いていた。
「命令……」
「なんなりと」
「じゃあ……」
サチは元女王に最初の命令を下した。
「ユカとメグを、約束通り日本に帰して」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ユカとメグミに直接別れを言う時間はわずかだった。
二人を帰す〈送還の儀式〉を行うため、宮殿から場所を移動する必要があるらしい。
サチはそれに帯同する気はなかった。
別れを惜しんだこともあったが、なにより二人にこれ以上怯えてもらいたくなかった。
だから最後の別れも簡単に済ませた。
とっとと自室へと引き上げようとしたサチに、だがユカは何かを手渡してきた。
「これ、持ってて」
それはユカのスマホだった。
そうして、二人と別れてから五日がたった。
あれ以来サチはひとり、広間で呆けている。
サチは着ていた制服のスカートからユカのスマホを取り出した。
何故これを渡されたのか、まだ理解できていなかった。
試しに電源を入れてみる。
まだバッテリーは残っていたようだ。
「……これ、ロックかかってない」
サチは起動したスマホ内に最近撮影された動画が残されていたのを見つけ、再生した。
画面内にユカとメグミが映り込む。
『……この動画をサチが見てると信じて話します』
『サチ! さっきはごめんね! メグ、あんなつもりじゃなかったのに、サチのこと大好きなのに』
『私のことも、助けてくれたのはサチなのに、ごめんね』
『メグたち、明日日本に帰れるって、さっき女王様に言われたの』
『サチも一緒に帰らせてってお願いしたんだけれど、それは聞き入れてもらえなかった』
『……メグも残るって言ったんだよ。だけど、サチの命令だからって』
『だからサチ、今度は私たちがサチを助けるから』
『日本に帰ったらすぐにまた助けに来る』
『うん。警察でも、政治家でも、自衛隊でもアメリカでも、SNSでも、偉い学者でも。何でも使って、絶対にこの世界に戻ってくるから』
『あきらめないでねサチ』
『こんな世界より、私たちのいた世界の方が文明も科学もずっと進んでる。だから信じて!』
『必ず必ず助けに来るからね』
『私たち、いつまでもいっし……」
バッテリーが切れた。
暗く落ちた画面をサチは見つめ続けていた。
「藍姫さま」
そこへティターニアがやってきた。
「……なに?」
「実は藍姫さまに二名、お付きの〈戦闘怪人〉を用意しました」
スマホの画面から目を上げると、ティターニアの背後に二人、異形の者が控えていた。
「この者たち、送還の儀式を断り、自ら改造手術を志願いたしましたのよ」
二人とも女。
一人はサソリの尾を持ち、一人は赤い翅に黒い斑点がある。
「蠍と天道虫です。以後、お使いください」
それだけ告げて、ティターニアは広間を後にする。
サチの見えない位置でティターニアの口元が嗤っていた。
サチはもう気づいていた。
もう二度と会えないと思っていた。
戦闘怪人はジッと待機している。
サチが命令しない限り、いつまでもそうしていそうだ。
まるで意志を持たない操り人形のよう。
二台のスマホはどちらもすでに消えていた。
涙もすでに止まっていた。




