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【第6話】新たなドールの冷え切った過去

王都をすっぽりと覆っていた鉛色の雲が少しずつ薄れ、凍てつくような雪が冷たい雨へと変わり始めた頃。


長く厳しかった冬がようやく終わりを告げようとしているその時期に、私たちの元へアンダーソン団長から重苦しい凶報がもたらされた。


三人目の犠牲者が発見されたのだ。


場所は王都の東区。


立ち並ぶレンガ造りの建物の隙間、普段は野良猫すら寄り付かないような、じめじめとした人気のない薄暗い路地裏だったという。


発見された遺体は、またしても豪奢なゴシック風のドレスを着せられ、丹念に死化粧を施されたドール遺体だった。


連続殺人鬼『ドールメーカー』の猟奇的な犯行は、季節が移り変わろうとも微塵も衰えることなく、王都の暗がりで確実に進行していた。



ーー



数時間後。


冷たい地下の遺体安置所は、ひどく静まり返っていた。


室内にいるのは、私と助手、アンダーソン団長、そして革の防水エプロンと白衣に身を包んだヴィンセント先生と、その助手だけだ。


金属の冷たい台の上に横たわる三人目の犠牲者には、すがる遺族の姿も、彼女の死を悼む悲痛な泣き声もない。


「ヒューゴ殿。残念ながら、今回の遺体は身元が割れていない」


アンダーソン団長が、沈痛な面持ちで手帳を開きながら私に告げた。


「王都の住民記録や、騎士団で保管している指紋、それに歯型の照合も行ったのだが、該当するデータが一切見当たらなかった。現時点では行方不明者の届け出とも一致せず、未だに遺族を見つけることができていない状態だ」


「そうですか……。あのような姿にされて捨てられた女性が、どこの誰ともわからないままだと……」


「うむ。せめて早くご家族の元へ返してあげたいものです……」


団長は忌々しげに手帳を閉じた。


「わかりました。……ヴィンセント先生、検死を始めていただく前に、私に少しだけ時間をいただけますか」


私が尋ねると、ヴィンセント先生は静かに深く頷き、金属台から一歩後ろへと下がった。


「ええ、もちろんです。身元が不明であればなおさら、彼女自身の残した記憶が唯一の手がかりになります。ヒューゴさん、よろしくお願いします」


私は黒の革手袋をしっかりとはめ直し、冷たい台の上に横たわる身元不明の犠牲者のそばへと歩み寄った。


間近で見下ろすその姿は、あまりにも異様だった。


血の気を失い、蝋細工のように青白くなった肌。


綺麗に整えられた髪と、生気を失った顔に不自然なほど鮮やかに引かれた赤い口紅。


そして、細い首元には、前回とまったく同じように絞殺痕を隠すための幅広の黒いベルベットのチョーカーが巻かれている。


死を美しく飾り立てようとする『ドールメーカー』の狂気。


犯行の間隔が明らかに短くなっているのが気がかりだ。


これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。


私は静かに深呼吸をし、魔力を右手へと集中させる。


黒い革手袋越しに、指先に集まった紫色の光が、まるで静かな炎のように揺らめき始めた。


手のひらを彼女の冷たい額にそっとかざし、消えゆく記憶の淵へと静かに魔力の糸を垂らす。



「……時間だ」



私のもとから流れ込んだ魔力が彼女の頭部を満たすと、魔法の干渉を受けた遺体のまぶたが微かに震え、ゆっくりと開かれた。


焦点の合わない、ガラス玉のように濁った瞳が安置所の天井を虚ろに見つめる。


彼女が自分の死を悟って混乱しないよう、私は努めて優しい声色で語りかけた。


「おはようハンナ。わかるかい、兄さんだよ。君は路地裏で倒れていたところを助けられて、しばらく寝たきりだったんだ。最後に見たり聞いたりしたものを思い出せるかい?」


遺体の干からびかけた唇がわずかに開き、そこから空気が漏れるような音がした。


「…わたしは…ハンナなの……?」


「そうだよハンナ。ここは君の部屋だ、だから安心していい」


ネクロマンシーを使えば、単純な情報であれば一時的に思い込ませることも可能となる。


やがて、声帯を無理やり震わせたような、ひどく掠れた声が安置所に響き渡る。


「かいしゃの……かえりみち……」


すかさずアンダーソン団長が手帳を開き、素早い手つきでペンを走らせる気配がした。


身元は不明だが、どこかの会社に勤めていたことは確かなようだ。


「会社の帰り道だったんだね。そこで何があったんだい?誰かに会ったりしたかい?」


私は焦らず、丁寧に言葉を引き出していく。


「よる……くらい道で……女性に、声をかけられた、気がした……」


「女性に?」


私は少しだけ眉をひそめた。


大人の首の骨をへし折るほどの腕力を持つことから、私は犯人を大柄で筋骨隆々な男、あるいは肉体強化魔法に長けた屈強な人物だと推測していたからだ。


「その女性の顔は見たかい?何か言われたりしたかい?」


「くらくて…かおは……みえない……。でも、そのあと……あまい匂いがして……」


「甘い匂い?…ハンナ、他に覚えてることはあるかい?」


「……それからは……おもいだせない……」


遺体の口から漏れる声は次第に弱々しくなり、濁った瞳から完全に光が失われていく。


これ以上の情報を引き出すのは難しいかもしれない。


だが、身体の損傷具合を確認するために、私は遺体に対してもう一つだけ指示を出した。


「ハンナ、少しだけ手足を動かすことはできるかい?」


私がそう問いかけると、遺体の口から戸惑うような声が漏れた。


「……体が……うごかない……」


二人目のドール遺体と同じだ。


頭部だけがわずかに揺れるだけで、首から下の肉体がまったく反応を示さない。


おそらく今回も、肉体強化魔法による圧倒的な暴力で、頸椎と脊髄神経が完全に断裂されているのだろう。


これではいくら脳に命令を下しても、身体を動かすことは叶わない。


ふと、遺体と私を繋いでいた魔力の糸が「プツッ」と断ち切られる感覚が右手に走り、接続が完全に途切れた。


紫色の光が消え、彼女は再び物言わぬただの冷たい肉の塊へと戻った。


「お疲れ様です、ヒューゴ先生」


助手が私の背後からひょっこりと顔を出した。


「なるほど!犠牲者が女性に声をかけられたと言っていたってことは…、犯人は女性のようですね!」


助手が名推理をひらめいたとばかりに自信満々に言い放つ。


アンダーソン団長も、手帳を見つめながら太い唸り声を上げた。


「うむ。犠牲者の最後の記憶にあった以上、実行犯が女である可能性は高いな。肉体強化魔法に長けた女性を洗い出す必要があるかもしれん」


しかし、私は首を横に振った。


「いや、安易に犯人を女性だと断定するのは危険だ。声なんて変声魔導具などを使えばなんとでもなる」


「変声魔導具ですか?」


助手が不思議そうに首を傾げる。


「ああ。それに、もし犯人が風魔法を使えるなら、口元で空気の振動を細かく調整して自分の声の高さを女性のように変えることもできるだろう。犠牲者は暗がりで顔を見ていないと言っていた。声や気配の印象だけで、犯人の性別を判断することはできないな」


「なるほど……。確かに、相手を油断させて暗がりへ誘い込むために、大柄な男がわざと女性の声色を使ったとも考えられますね。ヒューゴ殿の言う通り、性別を絞り込むのは時期尚早か」


アンダーソン団長は手帳に書き込んだ文字に線を引いて消し、力強く同意した。


「でも、甘い匂いってなんでしょうね。香水とか、お菓子とかですかね?」


助手が鼻をひくひくさせながら呑気なことを言う。


「その可能性もある。香水か、化粧品か、あるいは菓子の類か……。いずれにせよ、身元不明のこの女性がどこの会社に勤めていたかという足取りと、この『甘い匂い』を手がかりにするしかないな」


私は冷たくなった遺体から視線を外し、これから遺体の解剖へと移るヴィンセント先生へと向き直った。


ヴィンセント先生が金属製のトレイからメスを取り上げると、冷たい安置所の空気が「ピリッ」と張り詰めた。


私は遺体のそばから一歩下がり、アンダーソン団長と共に壁際で腕を組んだ。


ネクロマンシーによってわずかに記憶を取り戻しかけた身元不明の女性は、再びただの物言わぬ肉塊へと戻っている。


ここから先は死者の声ではなく、肉体に刻まれた痕跡から真実を拾い上げる検死官の領域だ。


彼の隣には、前回と同じように検死の記録をつけるための若い助手が立ち、メモボードとペンを構えている。


ハサミによってゴシック調のドレスが手際よく切り裂かれ、血の気を失った青白い肌があらわになる。


ヴィンセント先生は慣れた手つきでメスを滑らせ、遺体の胸部から腹部にかけて一気に切開した。


鈍い音とともに、鉄錆のような血の匂いが安置所に漂い始める。


ヴィンセント先生の指示を受け、若い助手が遺体の胃袋の中身を確認していく。


「胃の中はからっぽですね」


助手がメモボードにペンを走らせながら報告した。


残念ながら今回は、胃の内容物から足取りを追うことはできなさそうだ。


ヴィンセント先生は無言で頷き、視線を胃からさらに奥の臓器へと移していった。


だが、その視線が胸腔のあたりでピタリと止まる。


彼は眼鏡のブリッジを手首で押し上げ、顔を近づけて遺体の内部をじっとのぞき込んだ。


その表情には、明らかな困惑が浮かんでいた。


「ヴィンセント先生、何か見つかりましたか?」


アンダーソン団長が耐えきれずに声をかけた。


「ええ……この遺体はおかしい。…ひどく不自然です」


ヴィンセント先生はピンセットで遺体の内部を慎重に探りながら、低い声で答えた。


「不自然とは?」


「少し暖かくなってきた気候で腐敗したにしては、胸腔に血水けっすいが溜まりすぎています。それに、この肝臓を見てください」


ヴィンセント先生はピンセットの先で、遺体の肝臓をそっと持ち上げようとした。


しかし、臓器は本来の弾力を完全に失っており、ピンセットが触れただけでボロボロと崩れ落ちてしまった。


それはまるで、古くなったスポンジのような脆さだった。


「これは……?」


アンダーソン団長が顔をしかめる。


「通常人間が死んで腐敗が進む場合、これほど内臓が崩れることはありませんし、大量の血水、いわゆるドリップが体内に溜まることもありません。これは自然に腐ったとは考えにくいですね」


ヴィンセント先生はピンセットをトレイに置き、深く息を吐き出した。


「では、何らかの薬物や毒物によって内臓が侵されたということですか?」


私が尋ねると、ヴィンセント先生は首を横に振った。


「いいえ、毒物による溶解ではありません。これは、細胞そのものが物理的に破壊されている状態です。おそらく……一度凍らされて、細胞が破壊されているのかもしれない」


「凍らされた、だと!?」


アンダーソン団長の大きな声が安置所に響いた。


「ええ。食肉などを想像していただければわかりやすいのですが、肉を一度冷凍しそれを解凍すると、血と水分がドリップとなって流れ出しますよね」


「たしかに。当たり前のこととして、今まで特に意識したことはなかったが」


団長が顎先をなでながら、情景を思い浮かべる。


ヴィンセント先生はボロボロと崩れる肝臓をピンセットで弄りながら、重苦しい声で言った。


「水分が凍って氷の結晶になると、細胞を内側からズタズタに引き裂いてしまうんです。だから解凍した時に大量の水分が流れ出し、組織がこんなふうにスカスカになってしまう……。この遺体の内臓は、まさにその状態ですよ」


「なんか、お料理しようと思って解凍してたのに、そのまま忘れちゃったお肉みたいですね……」


私の隣で助手が顔をしかめながら場違いな感想を漏らしたが、ヴィンセント先生の医学的な見地に基づく説明は、恐ろしいほどに筋が通っていた。


二人目の犠牲者の時は、公園に遺棄された後、厳しい冬の寒さによって遺体が凍結していた。


しかし今は、季節が移り変わり、雪は冷たい雨へと変わっている。


屋外に放置されただけで、遺体が中まで完全に凍りつくような気温ではない。


「となると犯人は、犠牲者を殺害した後、冷凍室などに一度遺体を丸ごと保管していた可能性も考えられますね……」


ヴィンセント先生が重苦しい口調で結論を口にした。


冷凍室……。


その言葉を聞いて、私の脳裏に先日のビストロ・コーラルでの記憶が不意にフラッシュバックした。


裏口から現れた陽気な氷商人のサイラス。


彼が店主と交わしていた、冷凍庫の調子が悪い、次は大きいのに変えようと思う、という会話。


冷凍室は一般家庭にはなかなか無い設備だ。


一般人でも手に入るとなると、やはり冷凍庫が現実的だろうか。


そんな張り詰めた空気の中、私の隣でじっと検死の様子を眺めていた助手が、またしても呑気な声を上げた。


「でも顔はすごく綺麗ですね。美人だなー」


私は助手の頭を軽く小突いた。


「痛っ。…べつに悪いこと言ってないと思うんですけど……」


助手が口を尖らせながらぶつぶつと文句をたれている。


私は助手を叱りつけながらも、遺体の顔へと視線を向けた。


確かに助手の言う通り、とても美しい死に顔だ。


しかし、なぜだか私はそこに、拭いきれない違和感を覚えた。


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