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【第5話】救えるもの、救えないもの

ビストロ・コーラルでの不可解な聞き込みを終えた翌日、私は助手を引き連れて王都の西区にあるヴィンセント先生の治療院へと足を運んでいた。


昨日から降り続く粉雪は王都の石畳を白く染め上げ、マントを通り抜ける木枯らしが容赦なく肌を刺す。


このような凍える日にわざわざ外を歩き回るなど正気の沙汰ではないが、連続殺人鬼『ドールメーカー』の手がかりを掴むためには一刻の猶予もなかった。


ヴィンセント先生の治療院は、レンガ造りの落ち着いた外観をしていた。


街を代表する名医の仕事場だけあって、入り口の扉を開けるとすでに多くの人々で溢れかえっていた。


所々に設置された魔導具のヒーターから温かい空気が流れ込んでおり、冷え切った身体がじわりとほぐれていく。


待合室は、独特な薬草の香りと、湿気が混ざり合った独特の空気に満ちていた。


「ヒューゴ先生、すごく賑わってますね。あ、見てください、受付の横に置いてあるあのガラス瓶。綺麗なキャンディが詰まってますよ。僕まだ子どもなんで、一つ貰ってもいいですよね?」


私の斜め後ろで、助手は相変わらず緊張感のない声を出す。


「お前は本当に食べ物のことしか頭にないのか。遊びに来たんじゃないんだぞ。ヴィンセント先生に現時点での捜査状況を伝えるために来たんだ」


「わかってますよ。でも、歩き詰めで小腹が空いたのも事実ですからね。先生のケチ」


小声でぶつぶつと文句を言う助手を無視し、私は受付の女性に声をかけた。


「探偵のヒューゴだ。ヴィンセント先生にお伝えしたいことがあって伺ったのだが、お時間は取れそうだろうか?」


「あ、ヒューゴ様ですね。いつもお世話になっております。先生はちょうど診察の合間ですので、今確認してまいります」


丁寧な対応ののち、女性は奥の診察室へと引っ込んでいった。


数分と経たないうちに、白衣を着たヴィンセント先生が自ら顔を出してくれた。


「こんにちは、ヒューゴさん。今日はどのような御用件ですか」


「先生、お忙しいところ恐縮ですが、現時点の調査の結果を報告に参りました。少しだけお時間をいただけますか」


「ええ、構いませんよ。ちょうど今、午前中の予約が一段落したところです。では、こちらの応接室へ……」


ヴィンセント先生が私たちを奥の応接間へと案内しようとした、その時だった。


「ヴィンセント先生、急患です。至急、対応をお願いいたします!」


救急搬送用の重い扉が勢いよく開き、若い女性の看護師が息を切らせて飛び出してきた。


「どうした!?何があった」


ヴィンセント先生の声のトーンが、一瞬にして温和な診察医のものから鋭く切り替わる。


「近所の板金工場の作業員の方です。プレス機の操作を誤って、右手の指先を落としてしまったそうで……」


「落ちた指はどうした?」


「同僚の方がすぐに氷を詰めた箱に入れて、一緒に持ってきています。今は処置室へ運び込んだところです」


「わかった、すぐにいく。止血帯と、接合用の魔力触媒を準備してくれ」


ヴィンセント先生は的確な指示を出しながら、即座に処置室の方へと駆け出した。


そして一度立ち止まり、私の方を振り返り早口で告げた。


「ヒューゴさん、そういうわけですので、少し待っていてください。……リリー君、ヒューゴさんたちのお相手をして差し上げて」


「はい、先生。お任せください」


近くにいた若い看護師が、大きな声で返事をした。


ヴィンセント先生が風のように処置室へと消えていくのを見送ったのち、私たちはリリーと呼ばれた看護師に促されて、廊下の突き当たりにあるこぢんまりとした応接室へと入った。


リリーは、この治療院で働く有能な看護師だった。


栗色のロングヘアを動きやすいようにお団子状にきゅっと束ねており、その姿は清潔感にあふれている。


小柄な体格ながら、その身のこなしには無駄がなく、キビキビとした印象を与える女性だった。


「お騒がせして申し訳ありません。先生の治療には少し時間がかかると思いますので、温かいお茶をお持ちしますね。どうぞおかけになってお待ちください」


「ありがとうございます。突発的な事故ですから、お気になさらないでください。私たちの方こそ、大変な時にお邪魔してしまって申し訳ない」


その時、応接室の開いたままになっていた扉がコンコンと軽くノックされ、ぬっと大柄な男が顔を覗かせた。


「よう、リリーちゃん。先生はいるかい?」


声の主は、土埃のついた作業着姿の男だった。


今王都で大々的に進めている橋の建設現場で働く、出稼ぎ労働者なのだろう。


重い資材を日常的に運んでいるであろうその身体は、丸太のように太い腕と分厚い胸板を持ち、入り口を塞ぐほどガタイが良い。


「あ、ネルソンさん。すみません、先生は今急患に入ってしまって」


リリーが申し訳なさそうに答えると、ネルソンと呼ばれた男は豪快に笑った。


「ガハハッ、そうかい。それじゃあ仕方ないな。これ、田舎から送られてきたお土産だ。休憩の時にでも、みんなで食べてくれ」


男はそう言って、大きな紙袋をリリーに手渡した。


「いつもありがとうございます、ネルソンさん」


「なぁに、困ったことがあったらなんでも言ってくれな。先生は俺の命の恩人なんだから」


ネルソンは人懐っこい笑顔で片手を上げると、大きな足音を立てて待合室の方へと去っていった。


「賑やかな方ですね」


私が声をかけると、リリーは紙袋を抱えたままくすりと笑った。


「今の人はネルソンさんといって、橋の建設現場で大怪我をされたのを、ヴィンセント先生が助けたんです。それから時々、あんなふうに顔を出してくれて」


私が椅子に腰掛けながら頷くと、リリーは親しみやすい笑みを浮かべて一礼し、お茶を淹れるために部屋を出て行った。


「いやあ、リリーさんって可愛い人ですね。髪型をお団子にしてるの、すごく似合ってますよ。やっぱり白衣の天使って実在するんですね。あ、でも、さっき言ってた指を落としたっていう怪我、聞くだけで痛そうです。僕なら絶対、気絶しちゃいますよ。まぁそんなことより、さっきの人が持ってきたお土産、どうやったらおすそ分けしてもらえるんでしょうか。あれはきっと果物だと思うんですよ……」


助手が椅子の背もたれに深く体重を預けながら、滅多に見ることがない真剣な表情をしている。


「先生が戻るまで、お前は昼寝でもしていろ」


「それにしても、ヴィンセント先生のあの切り替えの早さ、格好良かったですね。さすが王都でも有名なお医者さんですね」


「ああ、彼の治癒魔法の腕は確かだからな。騎士団が検死を依頼するのも頷ける」


私たちは、リリーが運んできてくれた温かいハーブティーを飲みながら、静かに時間を潰した。


チクタクと応接室の壁に掛けられた古い振り子時計が、規則正しい音を刻んでいる。


それから二十分ほどが経過した頃、ようやく応接室の扉が静かに開いた。


入ってきたのは、白衣の袖を少しまくり上げたヴィンセント先生だった。


額にはうっすらと汗がにじんでいたが、その表情には安堵の色が浮かんでいた。


「お待たせしてしまって、本当に申し訳ありませんでした、ヒューゴさん」


ヴィンセント先生は眼鏡の位置を直しながら、私たちの向かいの席へと腰掛けた。


「いえ、大変な手術だったようですね。患者さんの具合はいかがですか?」


私が尋ねると、ヴィンセント先生は小さく笑みをこぼした。


「ええ、もう大丈夫です。幸いなことに、工場の同僚たちが機転を利かせて、切り離された指先をすぐに冷やしながら持ってきてくれたのが幸いしました。細胞の死滅が最小限に抑えられていたため、先ほどきれいにくっつきましたよ。今は麻酔が切れるまで、処置室のベッドで休ませています」


「すごいですね、治癒魔法というのは。落とした指を元通りに繋げてしまうなんて、まるで奇跡のようだ」


私が心からの感心を言葉にすると、ヴィンセント先生は首を横に振り、少し真面目な顔つきになった。


「いえ、これは奇跡などではありません。医学的な知識と、日々の修練の結果です。そもそも治癒魔法というのは、人によって使えるレベルが全く異なるものなのですよ」


ヴィンセント先生はお茶に手を付けず、自身の両手を見つめながら言葉を続けた。


「私のように毎日何十人もの患者の治療を行っていると、自然と魔力のコントロールが洗練され、治癒魔法の練度が飛躍的に上がっていくのです。その結果として、切断された部位の接合や、内臓にまで達するような大きな傷も治せるようになるんですよ。一般の方でも、ちょっとした擦り傷や切り傷を治癒魔法で治せる人は多いですが、小さな怪我をたまに治すだけでは、決してそれ以上の重傷を治せるようにはなりません」


「なるほど、長年の修練のたまものということですね」


「ええ。ですが……」


ヴィンセント先生はそこで言葉を区切り、少しだけ影のある表情を見せた。


視線を自分の手から外し、応接室の窓の外で降り続く真っ白な粉雪へと向ける。


「何より治癒魔法では病気は治せません。それに完全に失ってしまった部位、例えば機械に巻き込まれて失ってしまった指などを新しく生やしたりすることも不可能です。万能ではないので、どうしても救えない命がある。医者としては、自分の無力さに歯がゆい思いをすることばかりですよ」


彼の言葉には、医者としての強い責任感と、魔法の限界に対する静かな葛藤が滲んでいた。


王都で名医と呼ばれる裏には、救えなかった患者たちへの深い後悔があるのだろう。


「先生は立派なお医者様ですね」


助手が静かな声で言った。


いつもの能天気なトーンが影を潜め、純粋に目の前の男を尊敬しているような響きだった。


「とんでもない。私はただ、自分にできることをやっているだけです。……おっと、私の身の上話が長くなってしまいましたね。それで今日は、現時点での捜査状況のご報告にいらっしゃったのですよね」


ヴィンセント先生が本題を切り出したことで、私も探偵の顔へと戻った。


「ええ。昨日、犠牲者の最後の記憶にあったパスタについて調べてきました。犠牲者はやはり五日前…もう六日前ですが、雨の日の夜、イタリア料理店にトマトスパゲティを食べにいっていたようです」


「ほう、見つかったのですか。それは大きな収穫ですね」


「ただ、胃の中に残っていたイカスミと麦のリゾットについては、ビストロ・コーラルへ聞き込みに行ったものの、彼女はそこには立ち寄っていませんでした。店主は彼女を見ていないと断言しています」


私の報告を聞き、ヴィンセント先生は顎に手を当てて考え込んだ。


「なるほど……。胃の中にパスタは無かった。つまり、彼女はパスタを食べた後もしばらく生きていて、完全に消化しきった後にリゾットを食べたということですね。パスタが小腸の入り口まで進んでいたことからも、ヒューゴさんの推論は間違いないでしょう」


「はい。そして別の場所でリゾットを食べた後、そう間を置かずに殺害された可能性が高いです。しかし、なぜ最後の強い記憶が死の直前のリゾットではなく、さらに前のパスタだったのかは未だに謎のままです」


「なるほど、記憶と胃の内容物のズレ、ですか。これではやはり、いつ亡くなったのかの特定は難しいですね」


ヴィンセント先生は困ったように眉を寄せた。


「ええ。遺体がこの冬の寒さで芯まで凍りついていたせいで、死亡推定時刻が曖昧になっているのが痛手です」


「ヒューゴ先生、やっぱりめっちゃ大食いだったって線はないんですかね?パスタ食べて、ちょっと散歩して小腹が空いて、すぐに別の店でリゾットをかき込んだとか」


助手がまたもや突拍子もないことを言い出す。


「お前の胃袋と一緒に考えるな。もしそうだとしたら、パスタが胃から完全に消えていることの説明がつかない。それに、直近の記憶がパスタのまま固定されている理由にもならない」


私がピシャリとはねつけると、助手は不服そうに口を尖らせた。


「まあまあ、どんな可能性も潰していくのが捜査というものでしょう」


ヴィンセント先生が苦笑いしながらフォローする。


「なんにせよ、この厳しい冬の気候が結果として犯人の有利に働くことになってしまったのは悔やまれますね。これ以上犠牲者が出ないことを祈るばかりです。私も検死官として、新しい発見があればすぐにお知らせしますよ」


「感謝します。お忙しいところお時間をいただき、ありがとうございました」


私たちは立ち上がり、深く頭を下げた。


「いえ、いつでもいらしてください。それでは、私はまた患者が待っていますので」


ヴィンセント先生はそう言うと、白衣の裾を翻して足早に診察室の方へと戻っていった。


彼の後ろ姿からは、一分一秒でも早く患者を救いたいという強い意志が感じられた。


治療院を出ると、外は雪が小降りになっていた。


冷たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、私は手帳をコートのポケットにしまう。


記憶と胃の内容物の矛盾が示す、犠牲者が公園に遺棄されるまでの消えた時間。


一体どこで、どうやって彼女の時間は奪われたのか。


私は見えない犯人に向かって静かに思考を巡らせながら、次なる手がかりを求めて雪の残る王都の石畳を踏み出した。


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