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【第4話】パスタと雨と、リゾットと

王都の空は、今日も分厚い灰色の雲に覆われていた。


行き交う人々は皆、石畳の通りを吹き抜ける木枯らしに顔をしかめながら、コートの襟を立てて足早に歩き去っていく。


ネクロマンシーが引き出した、二人目の犠牲者の最後の記憶。


『パスタを食べたこと』と『雨が降っていたこと』。


私は黒の革手袋をはめた手でマントをしっかりと押さえながら、隣を歩く助手に声をかけた。


「王都で最後に雨が降ったのはいつだ?」


「ええと、確か五日前ですね。朝から冷たい雨が一日中降っていて、靴の中まで濡れて最悪でしたよ。あの日はずっと事務所のストーブの前にいました。靴下を乾かしながらテレビで『名犬ウィッキー』を見ていたから完璧に覚えています」


助手はコートに顔を半分埋めるようにして、白い息を吐きながら答えた。


ネクロマンシーで呼び起こされた記憶は、死の直前の強い印象である以上、彼女が殺害されたのはその五日前の雨の日である可能性が高い。


しかし遺体は屋外の公園に放置され完全に凍結していたため、ヴィンセント先生の検死をもってしても正確な死亡推定時刻は割り出せなかった。


だが、気候という自然の記録は嘘をつかない。


「まずは、五日前の雨の日に焦点を当てる。犠牲者の足取りを辿るぞ」


「パスタのお店を探すんですね。よし、任せてください。王都の美味しいお店なら、僕の胃袋がしっかり記憶していますから」


「お前の胃袋を満たすためではない。聞き込みだ」


私は懐から取り出した手帳から一枚の写真を抜き出した。


騎士団の調書に挟まれていた、犠牲者の生前の顔写真だ。


人形のように、美しく死化粧を施された遺体ではなく、まだ血の通っていた頃の、栗色の髪をしたうら若き女性の姿がそこにあった。


私たちは王都の大通りから路地裏まで、パスタを看板メニューに掲げるイタリア料理店を片っ端から当たっていくことにした。


扉を開けるたびに、トマトやニンニク、オリーブオイルの食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。


そのたびに助手が「あぁ、いい匂い……ヒューゴ先生、ちょっとだけ食べていきませんか?」と懇願してくるが、私は無言で取り合わない。


「すみません、少しお尋ねしたいのですが」


私は店主や給仕に犠牲者の写真を見せ、五日前の雨の日にこの女性が来店しなかったかを聞き込みして回った。


しかし、そう簡単に手がかりは掴めはしない。


「いやぁ、見覚えがないね。うちには来てないと思うよ」


「五日前か……雨だったから客足もまばらだったけど、こんなに綺麗な人が一人で来てたら絶対に覚えてるはずだから、来てないね」


何軒回っても、返ってくるのは似たような答えばかりだった。


冷たい風の吹く通りに出るたび、捜査は足踏み状態になる。


「先生、手当たり次第に探すのは骨が折れますね。王都にはイタリア料理店なんて星の数ほどありますよ。やっぱり、一度パスタを食べて思考をリフレッシュさせるべきでは?」


「お前の思考は常に食欲に支配されているだけだろう。次に行くぞ」


文句を言いながらも、この助手は決して足を止めようとはしない。


凄惨な死体を前にしても顔色一つ変えない精神的な鈍感さもさることながら、どんなに歩き回っても疲れた素振りを見せない底知れぬ体力は、足で稼ぐ捜査において非常に頼りになる武器だった。


そして、数軒目のこぢんまりとした大衆向けのイタリア料理店に足を踏み入れた時のことだ。


カウンターの奥でグラスを磨いていた初老の店主が、私の差し出した写真を見るなり、ピタリと手を止めた。


「ああ、見かけたよ。このお嬢さんだと思う…うん、間違いない」


私は少しだけ身を乗り出した。


「本当ですか。それはいつのことです?」


「五日前の夜だよ。外はひどい雨でね、あんな日に来る客は珍しいからよく覚えてる」


店主は磨き終えたグラスを棚にしまいながら、当時の状況を語り始めた。


「誰かと一緒でしたか?」


「いや、カウンターの隅で一人で飲んでいたよ。すごく綺麗な人だったし、好みのタイプだったからよく覚えてるんだ。普通に赤ワインと、うちの看板メニューのトマトスパゲティを食べていったよ」


「トマトスパゲティ…やはり記憶は嘘をつかない……」


私は手帳を取り出し、短いペンで情報を書き留める。


「その女性が店を出た時間はわかりますか?」


「そんなに遅くない時間に退店したよ。確か、二十時くらいじゃなかったかな。雨もまだ降っていたから、気をつけて帰るように声をかけたんだ」


「店内で誰かと待ち合わせをしていたり、あるいは外で誰かが待っていたりした様子は?」


「私が見た限りでは、そんな素振りはなかったね。一人で来て、一人で静かに食べて帰っていったよ」


「わかりました。貴重な情報に感謝します」


私は店主に礼を言い、店を後にした。


外に出ると、鉛色の空から冷たい風が吹き下ろしてくる。


パンッ!


「ヒューゴ先生、ビンゴでしたね!やっぱり彼女は雨の日にパスタを食べてたんですね」


助手が嬉しそうに手を叩いたが、私の思考は別の疑問へと向かっていた。


「ああ。これで五日前の二十時までは、彼女が確実に生きていたことが証明された。だが、疑問は残る」


「疑問、ですか?」


「ヴィンセント先生の検死結果を思い出せ。彼女の胃の中からはパスタは発見されず、代わりに真っ黒な『イカスミと麦のリゾット』が見つかった。小腸に消化されかかった内容物があったことを考えれば、彼女はここでトマトスパゲティを食べた後、そう間を空けずに別の店へ向かい、リゾットを食べたということになる」


「うーん、やっぱりめっちゃ大食いだったってことじゃないですか?」


助手が能天気に言うが、私は首を横に振った。


「若い女性が、パスタを食べた直後に別の店でリゾットを平らげるなど、普通では考えにくい。誰かに誘われたか、あるいは無理やり食べさせられたか……。だが最大の謎はそこではない」


私は立ち止まり、灰色の空を見上げた。


「ネクロマンシーは死ぬ直前の強い記憶を呼び起こす。ならなぜ、彼女の最後の記憶にイカスミ料理のことが残らなかったのだ?」


「あ……」


助手が少しだけ間抜けな声を漏らした。


「確かに。最後に食べたのはリゾットのはずなのに、パスタと雨の記憶しかなかった。変ですね」


「ああ。パスタを食べた後、彼女の身に何が起きたのか。それを解き明かすためには、次に行くべき場所は決まっている」


私はマントを翻し、次の目的地へと歩き出した。


胃の中に残っていた真っ黒な内容物。


王都でその料理を出す店を、私はすでに知っていた。



ーー



冷たい風を避けながら、私たちは王都の中心部に近い通りへと足を向けた。


目指すのは犠牲者の胃に残っていた真っ黒な内容物であろう、『イカスミと麦のリゾット』を名物とする店だ。


『ビストロ・コーラル』は、海沿いの街を思わせる白塗りの壁と、青い看板が目を引く小洒落た外観の店だった。


扉を開けると、魚介の出汁とオリーブオイルが混ざり合った芳醇な香りが店内に漂っている。


夕食の営業が始まる少し前の時間帯だったが、厨房では恰幅の良い店主が忙しそうに仕込みの真っ最中だった。


「いらっしゃい。予約のお客さんかい?悪いが、夜の営業はもう少し後からなんだ」


店主がエプロンで手を拭きながら顔を出す。


私は探偵であることを名乗り、先ほどと同じように犠牲者の写真を見せた。


「五日前の雨の日の夜、この女性がここへ来ませんでしたか?」


店主は写真を受け取り、じっと見つめた後に首を横に振った。


「いや、見てないね。ウチは夜は完全予約制なんだ。ふらっとやってきた客を入れることはないよ。それに、一週間以内くらいであれば、ウチに来た客の顔は絶対に忘れないよ。こんな綺麗な人ならなおさらだ」


「間違いありませんね?」


「ああ。もし誰かの同伴で来ていたとしても、記憶にあるはずだ。それにあんなひどい雨の日だ、忘れようがない」


店主の証言には迷いがなかった。


私は手帳を閉じ、小さく息を吐いた。


「わかりました。お忙しいところ、ありがとうございました」


背を向けて店を出ようとした私のマントの裾を、助手がグイッと引っ張った。


「ヒューゴ先生、せっかくなんで食べていきましょうよ。僕、もうお腹と背中がくっつきそうです」


「お前の胃袋は底なし沼か。今は営業前だと言っていただろう」


「でも仕込みは終わってるみたいですし、ねえ、店主さん?特別にお願いできませんか?」


助手は人懐っこい笑顔で店主に擦り寄る。


店主は苦笑いしながら、「まあ、名物のリゾットくらいならすぐに出せるよ」と言ってくれた。


「はぁ、そうだな……たまにはいいだろう」


実は私も歩き回って、少し小腹が減っていたところだった。


私たちはテーブル席に座り、運ばれてきた真っ黒な『イカスミと麦のリゾット』を口に運んだ。


うん、確かに美味だ。


濃厚なイカスミの旨味と、麦のプチプチとした食感がチーズと絶妙に絡み合い、冷えた身体に染み渡る。


「んー!最高です!毎日でも食べたいくらいですよ」


助手が無邪気に舌鼓を打っていると、店の裏口のドアが勢いよく開く音がした。


「ちわーっす!氷の納品と、魔導具のメンテナンスに来ました!」


現れたのは、つなぎの作業服を着た陽気な男だった。


「おお、サイラス。待っていたぞ」


店主が厨房から声をかける。


サイラスと呼ばれたその男は、大きな木箱に入った冷却用の氷を軽々と運び込み、手際よく厨房の裏手へと回っていった。


「彼はいったい?」


私がリゾットをすくいながら尋ねると、店主はカウンター越しに答えた。


「ああ、街の氷屋さんだよ。冷却魔導具の販売もやっていてね、定期的に氷の補充と魔導具のメンテナンスを頼んでるんだ」


厨房の奥から、サイラスの明るい声が聞こえてくる。


「親父さん、今日の氷はいつもより透明度が高いですぜ!あと魔導具の調子はどうですかい?」


「それがな、最近、奥にある冷凍庫の調子が少し悪いみたいでね。氷の溶けが早いんだ。次にあんたが来る時、もう少し大きい冷凍庫に変えようかと思うんだが、どうだろう?」


「大きいヤツですか?まあ、俺に任せといてください。あとでカタログを届けさせますよ」


二人の他愛のないやり取りを、私は黙ってリゾットを口に運びながら耳に挟んでいた。


「ねぇヒューゴ先生、ウチの事務所にも冷凍庫置きましょうよ。ちっさいやつでいいですから。僕、アイスを常備したいんですよー」


「…お前はこの寒いのに、よくアイスのことなんか考えられるな」


私たちは食事を終え、店主とサイラスに軽く会釈をして店を出た。


外はすっかり日が落ち、王都の街並みはガス灯の淡い光に照らされていた。


「あー美味しかった。お腹いっぱいです。ヒューゴ先生、次はデザート食べにいきません?」


助手が満足そうにお腹をさすりながら聞いてくる。


私は歩きながら、手持ちの情報を頭の中でパズルのピースにする作業を始めた。


「犠牲者は五日前の雨の日の、二十時頃まで間違いなく生きていた。そしてパスタを食べた」


「でも、ビストロ・コーラルには来ていませんでしたね」


「ああ。もしあの店主が嘘をついていないとすれば、彼女の胃の中にあったイカスミのリゾットは、ここの料理ではないということになる。だが、あれほど特徴的な料理を出す店が王都にそういくつもあるとは思えないし、家で作ったとも考えにくい」


「じゃあ、死んだのはパスタを食べた日ではないってことですか?」


助手の言葉に、私は立ち止まった。


「そうだ。パスタを食べた後、しばらく生きていて、別の日にリゾットを食べてから殺された……そう考えれば、検死の結果とは辻褄が合う」


「でも先生、それだとおかしいですよ」


助手が首を傾げる。


「ネクロマンシーは、死ぬ直前の強い記憶を引き出すんですよね。もし別の日にリゾットを食べて死んだなら、なぜ最後の記憶に『パスタと雨』が残っていたんですか?」


「結局そこだ…」


私はマントの中で腕を組んだ。


なぜ、最後の記憶にイカスミ料理が残らなかったのか。


パスタを食べた日と、殺された日の間に横たわる、消えた空白の時間。


彼女はどこで、誰と過ごし、何をされていたのか。


ドールメーカーという狂気の芸術家の姿が、異様な気配をまとって私の前に立ちふさがり始めていた。


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