【第6話】執念の追跡。スズメ蜂の記憶
コツ、コツ、コツ……
冷たい水滴が一定の間隔で滴り落ちる薄暗い地下牢に、私の静かな足音が規則正しく響いていた。
街から遠く離れた別の領地にある牢獄は、日の光が一切届かず、空気はひんやりと湿り気を帯びて酷く淀んでいる。
石造りの壁には黒ずんだ苔が張り付き、むせ返るようなカビの匂いと錆びた鉄の匂いが鼻をついた。
私は顔色一つ変えることなく長い廊下を進み、一番奥にある冷たい鉄格子の前で足を止めた。
鉄格子の向こう側、藁が敷かれただけの冷たい石の床の上に、一人の男が横たわっていた。
彼こそが、かつてこの地方一帯を震え上がらせた残忍な盗賊団ホーネットの残党の一人だ。
逃げ延びた先で別の罪を犯して捕縛され、今ではひどい重病を患い、ただ静かに獄中死の時を待つだけの惨めな姿を晒している。
男の体は骨と皮ばかりに痩せこけ、息をするたびにヒューヒューと苦しげな音が漏れていた。
私は黒いコートの裾を翻して鉄格子の前に立ち、一切の感情を交えない冷徹な声で男に向かって尋問を始めた。
「ホーネットがらみと思われる事件が相次いでいる。お前に何か心あたりはないか?」
突然現れた黒ずくめの訪問者の問いかけに対し、男はゆっくりと重い体を起こした。
窪んだ濁った目で私を見上げると、やがて喉の奥でゴロゴロと音を立て、ひどく乾いた声で笑い声を上げた。
「けっ、今さらホーネットだぁ?はっ、ホーネットの生き残りはもう俺しかいないはずだ。他の連中はとっくに死んだか、討伐された。俺だってこのザマだ。事件なんて起こせるわけがないだろうが」
男の言葉には深い自嘲と諦めが混じっていた。
激しく咳き込みながら吐き出されたその言葉が嘘ではないことを、私はこれまでの独自の調査ですでに裏付けている。
残党の足取りはすべて調べ尽くしたのだ。
この男が最後の一人であることは間違いない。
私は表情を崩さず、淡々と次の質問を投げかけた。
「組織の人間が誰かをひどく恨んでいた、ということはないか?」
その問いを聞いた瞬間、男は馬鹿にしたように鼻を鳴らし、床に向かって黄色いタンを吐き捨てた。
「バカか、お前は?俺たちは盗賊団だったんだぜ?欲しいものは奪い、邪魔な奴は容赦なく殺す。奪われる前に奪う側だ。一方的に他人に恨まれることはあっても、俺たちが誰かを恨むなんてこと、あるわけねえだろうが」
盗賊という悪党特有の理屈だった。
男の言う通り、加害者である彼らが特定の誰かを執拗に恨み、猟奇的な連続殺人を起こす動機としては極めて不自然だ。
私は紫色の瞳をわずかに細め、静かに言葉を続けた。
「では逆に、誰かにひどく恨まれていた心当たりは?」
「誰かに、だぁ?」
男は眉をひそめ、薄汚れた壁にもたれかかりながら少し考え込んだ。
盗賊団として犯してきた罪は数え切れない。
恨みを買う相手など星の数ほどいるだろう。
やがて、男は何かを思い出したように、ぽつりと口を開いた。
「ははっ、ありすぎてわかんねーよ。村を焼いたり、商人のキャラバンを身ぐるみ剥いだり、散々やってきたからな。……あー……強いて言えば、身寄りのねえ子どもたちがいたな」
「子どもたち?」
私の短い問いに、男は首をコクンと下げ頷いた。
「ああ。俺たちのアジトで、ただの下働きとしてこき使っていたガキどもだ。元々は村を焼いたりした時の生き残りだ。飯もろくにやらず、虫ケラみたいに扱ってたからな。相当俺たちを恨んでたんじゃねえか?だが、俺たちが騎士団に討伐された後、生き残っていたガキどもは孤児院に保護されたはずだ。あれからもう十年だ。今頃は大人になって、どこかで普通に暮らしているだろうぜ」
男の口から出た『下働きの子供たち』という言葉。
連続殺人の動機と背景に繋がるかもしれない、過去の闇に埋もれていた存在だった。
「その子供たちに話を聞けるか?」
私が懐から小さな手帳を取り出しながら尋ねると、男は再び馬鹿にしたように鼻で笑った。
「はっ、無駄だね。俺も孤児院の出身だからよくわかるが、孤児院のガキは大体十代の半ばになれば、自分で働き口を見つけて勝手に出ていくんだ。あれから十年も経ってるんだぜ。当時の子どもなんざ、もう誰も残っちゃいないさ。過去を隠すために、名前を変えているやつもいるだろうさ」
男の言葉に、せっかく過去の闇から引きずり出した糸口が再び途切れそうになる。
だが、男はゴホゴホと血の混じったひどい咳を吐き出した後、ニヤリと歪んだ口角を上げた。
「ただ、一つだけ確実な手がかりがある」
「手がかり?」
「ああ。ホーネットの組織の人間はガキどもも含め全員、背中の真ん中に小さな『蜂の入れ墨』を彫らされてるんだ。裏切らないための証、一生逃げられない呪いみたいなもんだな」
男は痩せこけた腕を動かし、自分の背中の中央を指差すような仕草をした。
「普通に服を着ていれば絶対に見えない位置だ。そして何より、自分の手じゃ届きにくい場所にある。ナイフで自力で削り取ることなんて不可能だ。かといって、医者のところに行って消そうとすれば、そいつが元盗賊のホーネットだってことが一発でバレちまう。だから……おそらく今でも、あいつらの背中には入れ墨がしっかりと残ったままだろうぜ」
背中の真ん中にある、決して消すことのできない『蜂の入れ墨』。
それは、過去を隠して今も街に溶け込んでいる亡霊たちを見つけ出す、極めて決定的な証拠となる。
そしてそれは、犠牲者たちが猟奇的な手口で『全身の皮を綺麗に剥がされていた』という異常な事実の裏付けでもあった。
(『フレイヤー』は、犠牲者がホーネットの一員であることを隠そうとしていたのか……?)
点と点が線で繋がった瞬間だった。
「わかった。助かった」
私は短くそう告げると、手元のメモ帳をパタンと閉じ、黒いジャケットの内ポケットに静かにしまった。
これ以上の長居は無用だ。
用は済んだとばかりに、私は無表情のまま踵を返そうとしたが一旦その足を止めた。
「去る前に、看守に何か差し入れるように伝えておこう。何がいい?」
私の事務的な問いかけに対し、死を待つだけの男は少しだけ嬉しそうに濁った目を細めた。
「……なら、とびきり強い酒にしてくれ。この地獄みたいな寒さを少しでも誤魔化せるやつをな」
私は小さく頷き、それ以上言葉を交わすことなく、鉄格子の前から立ち去った。
コツ、コツ、コツ……
再び冷たい足音だけが地下牢の石畳に響き渡る。
背後から聞こえる重病の男のくぐもった咳払いと、やがて彼に訪れるであろう孤独な死の気配を置き去りにして、私は薄暗い廊下をまっすぐに進んでいった。
私の頭の中ではすでに、次なる一手へのピースが確かな輪郭を持ってはまりかけていた。




