【第5話】消えた亡霊の足跡を追え
ソフィアの言葉をきっかけに捜査の基本に立ち戻ることを決めたヒューゴ先生は、すぐさま騎士団の詰め所へと向かった。
少し体力が戻っていた僕も、彼に同行して捜査会議の場に同席させてもらうことにした。
「ほら、これを飲んでおけ」
ヒューゴ先生は以前モーリス先生に預けてくれた、青く濁ったポーションの小瓶を手渡してきた。
「うぇ…これ、あんまり美味しくないんですよね……」
「贅沢をいうな。実際体の調子が良くなってきただろう?」
確かにヒューゴ先生の言う通り、ポーションを飲んで以降、明らかに体が軽くなった。
僕はしぶしぶポーションの小瓶を空け、味わうことなく一気に飲み干した。
ーー
重厚な扉を閉め切った室内には、これまでにないほど、どんよりとした重苦しい空気が澱んでいる。
ヒューゴ先生が静かに、しかし断固たる口調で「再び『ホーネット』の線を洗う」と宣言した途端、部屋の空気はさらに険悪なものへと変わった。
真っ先に口を開いたのは、捜査陣営の若手騎士であるロイだった。
「お待ちください、ヒューゴ殿。この街は小さいので、少しでも見慣れない者がいればすぐに噂が伝わります。ましてや十年前に壊滅したホーネットの残党など、もうこの街にはいないはずです」
ロイは僕と同年代の青年で、非常に真面目で一生懸命な性格だ。
額に汗を滲ませながら訴えるその姿からは、被害がこれ以上拡大することを誰よりも恐れている焦りが伝わってくる。
「過去の亡霊を追うのは、時間の無駄になりませんか?そうしている内に、次の犠牲者が出たら……」
彼の切実な声に、隣に立っていた同期のクライグも深く頷いて同調した。
「俺もロイの意見に賛成です。見えない過去を掘り返すより、今は街の警備を強化して、住民の安全を守るべきだ」
若手二人の意見に対し、騎士団長であるランドルフは腕を組んだまま、ひどく難しい顔をして黙り込んでいた。
彼の眉間には深いシワが刻まれている。
前任者たちが築いた「ホーネット討伐」という輝かしい過去の栄光を守りたい組織としてのメンツと、凄惨な連続殺人を一刻も早く止めなければならない現場の責任者としての狭間で、激しく揺れ動いているのだろう。
そして、この再捜査の提案に対して、誰よりも露骨に、そして激しく反対したのが副団長のリックだった。
「ふざけるな!十年前に終わった事件だぞ!」
リックは咥えていた葉巻を灰皿に叩きつけるように押し付け、凄まじい剣幕でヒューゴに詰め寄った。
「また記録を掘り返すなど、それこそ時間の無駄だ!こうしている間にも犠牲者が出たらどうするつもりだ!一度消えた線を探偵のくだらない思いつきで蒸し返すなど、そんなことに付き合っている暇は俺たちにはない!」
普段から誰に対しても態度が悪いリックだが、それにしても異常なほどの拒絶反応だった。
まるで、これ以上過去を調べられることを極端に恐れているかのような……彼の怒りは、僕の目には少し不自然に映った。
しかし、ヒューゴ先生はリックの怒号を至近距離で浴びても、表情一つ変えることはなかった。
冷ややかな紫色の瞳で、目の前で息巻く副団長を見据え、淡々と告げる。
「……わかった。なら、この件はしばらく私だけで追ってみる。そちらは別の線を調べてくれ。いくぞ、助手」
そう言い残すとヒューゴ先生と僕は、騎士団の協力を待つことなく踵を返し、執務室を後にしたのだった。
ーー
ヒューゴ先生は、ソフィアの「最初からやり直してみては?」という言葉をきっかけに、過去の記録を再度洗い直すことを決行した。
彼が真っ先に調べたのは、盗賊団ホーネットの総人数とメンバー構成、そして設立から十年前の壊滅に至るまでの、ありとあらゆる記録だった。
騎士団の書庫から強引に借り受けたであろう膨大な資料を宿屋の自室に積み上げ、一人で黙々と目を通していく。
古く黄ばんだ記録簿に記された、詳細な人数を一つ一つ現在の記録と照らし合わせ、確実に死亡した者の人数を計算して引いていく。
そして、未だに行方不明になっていると言われている残党を一人、また一人とリストアップし、その後の足取りを執拗に追跡していった。
「長距離を歩くから、お前はもう少し休んでいろ。しばらくは一人で調査する」
とヒューゴ先生は一人でその亡霊たちを追い続けていた。
その間の僕はというと、宿屋のベッドでソフィアの優しい看病を受けるという、幸せな日々を過ごしていた。
ヒューゴ先生の調査によって判明した事実は、実に冷酷なものだった。
残党として逃げ延びた者の殆どは、すでに別の街で新たな強盗や殺人などの罪を犯していた。
そして別の街の騎士団に捕縛されて勾留中に獄中死するか、あるいは抵抗してその場で討伐されていたのだ。
それは途方もない労力と忍耐を必要とする地道な作業だったが、ヒューゴ先生はネクロマンサー特有の冷徹さで、一切の感情を交えることなく淡々と亡霊たちの足跡を辿っていった。
同じ頃、僕はさすがに自分の不甲斐なさに打ちひしがれていた。
「僕が寝込んでいる間に、先生一人に負担をかけてしまっているな……」
ベッドの上で、僕は思わず申し訳なさに深いため息をついた。
本来足で稼ぐ助手の僕が、足手まといになっているせいで、ヒューゴ先生に孤独な捜査を強いているのだ。
だが、そんな落ち込む僕の口元に、ふわりと良い香りが漂ってきた。
「はい、あーんしてください」
ソフィアがベッドの脇に腰を下ろし、特製のスープをすくった木のスプーンを笑顔で運んできたのだ。
「えっと、手は動くので自分で食べられますよ」
僕が照れ隠しにそう言うと、彼女は少しだけ頬を膨らませた。
「だめです。モーリス先生からも数日は安静にって言われてるんですから。もうしばらく大人しくしててください。ほら、あーん」
そのひだまりのように温かくて愛らしい瞳に見つめられ、僕はすっかり観念して口を開けた。
彼女特製のスープがゆっくりと口の中に広がる。
相変わらずいつも通り少し味が薄かったが、そんなことは全く気にならなかった。
ソフィアの優しさが胸の奥までじんわりと染み渡っていくようだったからだ。
その温かいスープを最後の一滴まで飲み干しながら、僕はヒューゴ先生の孤独な捜査が少しでも早く無事に進展することを心から祈っていた。
そしてついに、ヒューゴ先生の執念とも言える徹底的な調査が実を結ぶ時が来た。
全ての残党の足取りを一つ残らず潰していった結果、たった一人だけ、まだ生きている可能性のある人物の記録に行き当たったのだ。
その男は別の罪で捕まり、この街から少し離れた別の領地の牢獄に繋がれているという。
ヒューゴ先生は唯一の最後の手がかりを掴むため、薄暗い地下牢に勾留されているその男に直接話を聞きに向かったのだった。




