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【第2話】遺体安置所のネクロマンサー

僕たちが捜査を開始して数日後、ついに恐れていた事態が起きる。


新たな犠牲者が発見されたのだ。


全身の皮を綺麗に剥がされた遺体としては、これで二人目となる。


重苦しい空気に包まれたまま、僕とヒューゴ先生を含む捜査チームの六人は、街の老検死官であるモーリス先生の元を訪れた。


モーリス先生は白髪交じりの髪をボサボサにした、飄々とした変人のお爺ちゃん先生だが、医者としての腕は確かだという。


彼が管理する遺体安置所は、遺体の腐敗進行を防ぐため、部屋全体が特殊な魔法によって極低温に凍らされていた。


冷却装置ではなく魔法で制御されているのは珍しいと、ヒューゴ先生はその構造に興味を示していた。


分厚い扉を開けた途端、まるで冬の嵐の中に放り出されたかのような冷気が一気に押し寄せてくる。


部屋に入った瞬間、ランドルフ団長や他の騎士たちはあまりの寒さにガタガタと震え上がり、白い息を吐きながら身を縮こまらせていた。


「うぅ……何度来てもここは骨まで凍りそうだ」


ランドルフ団長が分厚いマントの上から腕をさすりながら呻く。


吐き出す息は真っ白で、彼の屈強な体でさえ小刻みに震えているのがわかった。


「皆さん大げさですね、僕は全然寒くないですよ。そうだ、少し足踏みしてみてはどうですか?あ、あんまり激しくしたらダメですよ。すぐにお腹がへっちゃうんで」


笑いながらそう言う僕に対し、ヒューゴ先生は軽くため息をつき、あきれたように吐き捨てた。


「はぁ、…お前はただ鈍感なだけだ」


なるほど、僕は寒さに鈍感らしい。


ヒューゴ先生に以前言われた通り、少し神経を研ぎ澄ませた方が良いのかもしれない。


モーリス先生はそんな僕たちのやり取りを見て「カッカッカッ」と笑うと、ネクロマンサーとしての技術に偏見を持つことなく、興味深げにヒューゴ先生へと向き直った。


「ヒューゴ殿のネクロマンシー(死霊術)とやらは、なかなか面白いもんじゃのう。ワシのような田舎医者には一生縁がないと思っとったわい」


「モーリス先生、犠牲者に共通点はありますか?」


ヒューゴ先生は雑談に応じることなく、白い布を被せられた遺体を観察しながら淡々と問う。


「うむ、みな若い男性じゃな。歳のころは二十歳前後じゃろう。今はまだそれだけじゃ。しかし、刃物の扱いは見事なもんじゃな。普段から剣やナイフを扱っとらんとこうはいかん。あと、身元は未だ全員わからん。指紋は皮ごと無くなっておるし、歯も抜かれておる。指紋や歯が残っておるものも、一致する記録はなしじゃ」


その言葉にヒューゴ先生は軽く頷いた。


そしてヒューゴ先生はおもむろに黒い革手袋に包まれた右手を遺体の頭部にかざし、静かに目を閉じた。


最初の遺体は時間が経ちすぎていて術が成功しなかったと聞いているが、今回は死後間もない。


薄暗い安置所の中で、ヒューゴ先生の右手の指先から淡い紫色の魔力の光が溢れ出した。


ヒューゴ先生は冷たい遺体の額に、ゆっくりと魔力を注ぎ込んだ。



「時間だ……」



ヒューゴ先生の冷徹な声が安置所に静かに響く。


その声に応じるように、凍りついていたはずの遺体が小刻みに震え始めた。


凍った関節が軋むような、不気味な音が静寂を破る。


背後に立つ騎士たちが息を呑む音が聞こえる。


無理もない、死体が動き出す光景など、普通の人間にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。


人間は死ぬと古い記憶が、脳から抜け落ちていくとヒューゴ先生は言う。


つまりネクロマンシーは、遺体が死ぬ直前の強い記憶を呼び起こすものだ。


「あなたは林の中で裸で倒れていたところを保護されました。何か思い出せることはありますか?」


ヒューゴ先生は普段からは想像もできないほど、優しい声で語りかけた。


僕にもあんな風に、もう少し優しく話しかけてほしいものである。


しかし、遺体は損傷が激しいためか、言葉をうまく紡ぐことができないようだ。


魔力に反応して口元が微かに動くものの、ヒューヒューと音にならない空気が漏れるだけだった。


それでもヒューゴ先生がさらに魔力を強めると、遺体はカタコトで、最後に残された記憶の欠片を絞り出すように口を開いた。


「…ハ…チ……」


その単語だけを口にして、遺体の動きが再びピタリと止まる。


「数字の8ですか?」


ヒューゴ先生が再度問いかけるが、遺体は損傷が激しく、それ以上うまく言葉で答えることができない。


「合っていたら右腕を上げてください。数字の8ですか?」


遺体はピクリとも動かない。


「昆虫の蜂ですか?」


その問いかけに、遺体の右腕が「ギギ…」と鈍い音を立てながら少しだけ持ち上がった。


「どうやらここまでのようだな。……時間だ…」


ヒューゴ先生が魔法を解くと、遺体は完全にただの物言わぬ死肉へと戻った。


遺体からは昆虫の『蜂』というキーワードのみ得ることができた。


その時、若手騎士のロイが寒さに震えながら、青ざめた顔で不自然に前へ進み出てきた。


「蜂ですか……」


ロイは捜査というものに興味があるのか、少し早口で自分なりの推理を披露してくる。


「この街は多くの家庭が庭で趣味の養蜂をしているので、そうすると対象が多すぎますね。ひょっとしたら害虫駆除業者とかでしょうか?」


捜査の基本は全ての可能性を洗うことである、とヒューゴ先生は言っていた。


最初から対象を外す推理に、僕は少し違和感を感じながらも、ヒューゴ先生はただ冷たい目で彼を一瞥した。


「参考にさせてもらおう」


ヒューゴ先生は一言だけそう述べ、ブツブツと考えごとを始めた。



ーー



僕たちは遺体安置所を後にし、凍りついた空気を肺から吐き出しながら、遺体が残した『蜂』という単語を頼りに街で聞き込みを開始した。


街は相変わらず重苦しい空気に包まれており、すれ違う人々の顔には疲労と恐怖が張り付いていた。


騎士団が巡回しているとはいえ、この小さな街でいつどこで誰が狙われるかわからない状況だ。


僕たちは手分けをして、商店の店主や道行く人々に『蜂』にまつわる不審な噂がないか尋ねて回った。


最初は誰もが首を横に振るばかりで、収穫はゼロに等しかった。


しかし、街の古株だという杖をついた老人に話を聞いた時、ようやく一つの奇妙な話に行き当たった。


「蜂、じゃと……?」


老人は僕とヒューゴ先生の顔を交互に見比べ、周囲を警戒するように声を潜めた。


「もしかして、ホーネット(スズメ蜂)のことじゃろうか?」


「ホーネット?」


僕がオウム返しに尋ねると、老人は深く頷いた。


それはかつてこの地方一帯を荒らしまわった、残忍な盗賊団の名前だという。


「やつらは身の毛もよだつような略奪を繰り返しておった。だが、十年前に騎士団の大規模な討伐があってな。組織はすでに壊滅したはずなんじゃよ。ごく一部の残党が行方不明になっていると聞いたことはあるが……今更そいつらが戻ってきたとでも言うのかね?」


老人の顔には、過去の恐怖を思い出したかのような深い皺が刻まれていた。


有力な線だが、十年前の亡霊を今から追うのはひどく腹が減りそう、いや骨が折れそうだ。


ヒューゴ先生は老人の話を聞き終えると無言のまま踵を返し、足早に歩き出した。


「ちょっ、ヒューゴ先生。待ってくださいよー!」


僕は慌ててその後を追った。


僕たちが向かったのは、街の中心にある騎士団の詰め所だった。


騎士団長ランドルフの元へ行き、ホーネットの残党を探すための協力を要請するためだ。


執務室の重厚な扉を開けると、そこには引き締まった体格の騎士団長ランドルフがしかめっ面で書類に目を通していた。


部屋の隅では、副団長のリックが面倒くさそうに葉巻をふかしている。


ヒューゴ先生が事の次第とホーネットの可能性を伝えると、ランドルフ団長の反応はひどく硬いものだった。


「ヒューゴ殿、十年前のホーネット討伐は前任の騎士団の輝かしい功績だ」


ランドルフは腕を組み、不機嫌そうに顔をしかめた。


その表情には、正義感よりも組織の長としての苦悩と、隠しきれない保身が色濃く表れていた。


「今では当時のメンバーの一部が騎士団本部の上層部にもいる。今さら『実は討伐漏れがありました』などと王都に報告すれば、我々は上から睨まれることにもなるんだ」


「全くだ。過ぎた昔話に首を突っ込むのは探偵の悪い癖だな」


リックが吐き出した紫煙と共に、冷笑的な言葉を投げかけてくる。


言い訳がましく語るランドルフと、それを後押しするリックに対し、僕は思わず口を挟みそうになった。


面子のために捜査を後回しにするなんて、本末転倒ではないか。


だが、ヒューゴ先生は表情一つ変えずに、無言でランドルフを見据えている。


「それに、それほど大きくないこの街では、住民同士のコミュニティが形成されていて、お互いの顔や素性をわかっていることがほとんどだ」


ランドルフはさらに言葉を継いだ。


「見慣れぬ顔があればすぐ噂になるし、あんな猟奇的な事件を起こすものが、いまさら住民の中に潜んでいるとは思えない。古い残党の噂などを探すより、まずは街に出入りしている部外者を当たるべきではないか?」


騎士団長があまり乗り気ではない上、非協力的な態度は明らかだった。


そして僕自身も、十年前に壊滅した盗賊団が今更動き出したとはやはり考えにくく感じていたのだ。


「……わかった。ここの騎士団には独自のやり方があるのだろう」


ヒューゴ先生は静かにそう告げると、僕を促して執務室を後にした。


遺体の残した言葉からようやく掴んだはずの糸口だったが、捜査は初手で振り出しに戻ってしまったのだ。



ーー



「ふあぁ……今、何時だ…?」


枕元に置いておいた懐中時計は、深夜二時を指していた。


「まだ二時か…。朝食はまだまだ遠いなー……」


僕はふと喉の渇きを覚え、とりあえず水を飲もうと一階の厨房へ向かうことにした。


深夜の宿の廊下には窓から月明かりが差し込んでおり、昼間の重苦しさとは違う、どこか幻想的な静寂が漂っている。


歩きながらふと二階の窓から裏庭を見下ろすと、暗闇の中、燻製小屋からわずかな煙が立ち上っているのが見えた。


僕はそのまま階段を下り、薄暗い厨房で手探りをしながらコップを探す。


「……テオさん?」


不意に背後から声をかけられ、僕は少しだけドキッとした。


「…あぁ、なんだ、ソフィアさんか。ちょっと驚きました。ソフィアさんもお水ですか?」


「ええ。今晩は少し蒸し暑いですもんね。……ところで、父を見かけませんでしたか?部屋の扉が少し開いていたので中を覗いたんですが、いなかったもので……」


「いいえ、見ていませんね」


僕が首を横に振ると、彼女は呆れたように小さくため息をついた。


「はぁ、そうですか……またこっそりお酒を飲みに行ったのね。今度やったら、内側から別の鍵をかけて締め出してやろうかしら、…うふふっ…」


月明かりに照らされて、いたずらっぽく笑う彼女の笑顔は、僕にはまるで月の女神のように魅力的に映った。

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