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【第9話】思考の果て。ほどけた謎

私が仕立て屋を足早に飛び出すと、春の陽光を反射する王都の石畳が目にしみた。


「ちょっとヒューゴ先生、今度はどこにいくんですか?」


助手が慌てた声で、私の背中を追いかけてくる。


だが私は、無言で大股に足を進めた。


頭の中で様々な手がかりが、猛烈な勢いで結びついていくのを感じていたのだ。


『パスタとイカスミのリゾット』、そして『ジェシカの指紋と顔』の謎。


それらが複雑に絡み合い、一つの恐ろしい仮説を形作ろうとしている。


猟奇的な連続殺人鬼によるただの異常な趣味だと思われていた死化粧やドレス。


それすらも、もしかすると何かを隠蔽するための計算された演出だったのではないか。


しかし、私の仮説を決定づけるためには、どうしても確認しなければならない事があった。


私たちはそのまま王都騎士団の重厚な本部庁舎へと舞い戻り、アンダーソン団長の執務室へ直行した。


「おお、ヒューゴ殿。先ほどの安置所では随分と慌てて出て行かれたようですが、何か手がかりでも掴めましたかな?」


机に積まれた大量の書類から顔を上げたアンダーソン団長が、身を乗り出して尋ねてくる。


「ええ、少しばかり霧がはれました。団長、折り入って頼みがあります。二人目の犠牲者……公園で発見された最初のドール遺体のご遺族に、どうしてもお会いしたいのです」


「二人目のご遺族に、ですか?遺体はすでにご家族の元へ帰還し、これ以上証拠は出てこないと結論づけられましたぞ。今さら何を聞くというのですか?」


団長は太い眉をひそめ、怪訝そうな顔つきになった。


治安維持の長として、悲しみを乗り越えようとしている遺族の心を再びかき乱すような行為は避けたいのだろう。


「事件の核心に迫るための、最後の確認です。どうか、面会の手はずを整えていただけないでしょうか」


私の強い意思がこもった眼差しを受け、団長は深くため息をついた後、重々しく頷いてくれた。



ーー



翌日。


私と助手の二人は、王都の閑静な居住区にある二人目の犠牲者の遺族宅に向かっていた。


「ヒューゴ先生、これから遺族の方に何を訊くつもりなんですか?」


さすがの助手も、悲しみの真っ只中の遺族の元を訪れるのは多少気が引けるようだ。


私は「どうしても確認しなければならないことがある」とだけ答えて口を閉ざしていた。


各家の庭先には色鮮やかな春の花が咲き乱れ、穏やかな風が心地よく吹き抜けている。


そんな生気にあふれた外の景色とは対照的に、私たちが訪れた家の中は、未だに深い悲しみと喪失の暗い影に包まれていた。


薄暗い応接間に通されると、冷たい地下の安置所で泣き崩れていたあの時の母親と父親が、ひどくやつれた顔で私たちを迎え入れてくれた。


「この度は、本当にご愁傷さまです。娘さんの命を理不尽に奪った犯人を、私は必ず捕まえてみせます。そのためにも、どうしても今日はお聞きしたいことがあって参りました」


私は黒のシルクハットを取り、深く頭を下げてから静かな声で切り出した。


「安置所での身元確認の際、お二人は白い布から覗く娘さんのお顔しか見ていなかったと思います。ですがその後、ご帰宅された娘さんのご遺体は……本当に、確実に娘さんご本人で間違いなかったでしょうか。お身体のどこかに、少しでも違和感などは全くありませんでしたか?」


私のあまりにも不躾な質問に、隣に座っていた助手が小さく息を呑む気配がした。


遺族の悲しみを抉るような質問は、彼らの感情を大きく逆撫でする危険がある。


だが、真実を暴くためには避けては通れない道だった。


父親は少し驚いたような顔をしたが、私の真剣な眼差しを見つめると、怒ることなく、ただ悲しげに静かに首を横に振った。


「はい。葬儀の際に、妻と一緒に娘の身体を綺麗に清めました。身体にある小さな痣や、ほくろの位置、爪の形に至るまで……確実に私たちの娘でした。頭の先から指先まで、親である私たちが見間違えるはずはありません」


母親も涙ぐんだ目をハンカチで押さえながら、無言で深く頷いている。


「……そうですか。辛い記憶を掘り起こしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。しかしあなた方の証言で、犯人に一歩近づきました。ご協力に心から感謝いたします」


私は再び深く頭を下げた。


そう、親は我が子を決して見間違えない。


遺族宅の応接間を後にし、玄関の重い扉を閉めて外の通りに出た瞬間、連続殺人鬼の描いた狂気の絵画がその全貌を現し始めた。


私はマントを翻し、手帳を取り出してこれまでの情報を頭の中で整理した。


「ただ、最後に塗りつぶすべき空白が一つだけ残っている……」


「空白って、何ですか?僕にもわかるように説明してくださいよー」


私は小さく呟き、手帳を閉じてジャケットの内ポケットにしまい込んだ。


「行くぞ、助手」


「ちょっ、また…もう少し、ゆっくり歩いてくださいよー!」


私はそれ以上の説明を省き、王都の西区へと力強く足を向けた。


私たちが向かったのは、連続殺人鬼『ドールメーカー』の狂気に満ちた芸術の裏側にある、最後の手がかりを握っているであろう人物の元だった。



ーー



春の訪れとともに寒さは和らいだが、名医である彼の治療院は相変わらず多くの患者でごった返している。


私たちが受付でヴィンセント先生にアポをとり、しばらく待つこととなった時、突然私の脳裏に、ある記憶が蘇った。


「…これは、…たしか以前に……」


「どうしたんですか?ヒューゴ先生?」


助手がきょとんとした顔で問いかけたと同時に、診察の合間を縫って白衣姿のヴィンセントが現れた。


銀髪のミディアムヘアに、知的な眼鏡。


全てがいつもと変わらず、穏やかな笑みを浮かべている。


「ああ、ヒューゴさん、昨日はお忙しそうでしたね。今日はなにか?」


ヴィンセント先生は、昨日私が遺体安置所から足早に立ち去ったことを気にかけていたようだった。


私は周囲の患者たちに会話が聞こえないよう、少しだけ声を潜めて単刀直入に切り出した。


「ええ、少し先生にお聞きしたいことがありまして、先月の第四週の水曜日の夜はどこにおられましたか?」


先月の第四週の水曜日の夜。


それは、仕立て屋のお針子であるジェシカが、無断欠勤を始めた日付の前日の夜だ。


私の問いを聞いた瞬間、ヴィンセントの穏やかな顔つきがわずかに硬直した。


「まさか、私を疑っているんですか?何を根拠におっしゃっているのかはわかりませんが、水曜日の夜ならいつもここで仕事をしていますよ。なんなら看護師たちに聞いてください」


彼は静かな、しかし毅然とした態度でそう言い切った。


私はその後、治療院で働く数名の看護師たちに個別に話を聞いて回った。


「水曜の夜ですか?先生は毎週夜遅くまで診療されていますよ。木曜が休院日なので前日は深夜まで患者対応をして、そのまま泊まられます。いつも木曜の朝にご自宅に帰られるので、間違いないですよ。夜勤の看護師も多くいますし」


結果は、ヴィンセントの言う通りだった。


看護師たちの証言によって、ヴィンセントのアリバイが完全に立証されてしまったのだ。


治療院の入り口を出たところで私は足を止め、春風が吹き抜ける通りを眺めながら思案にふけっていた。


「アリバイは完璧だ。しかしどう考えても彼でないと不可能だ……」


私は頭の中で思考を張り巡らせる。


多くの手がかりが彼を指し示しているというのに、決定的なアリバイが高い壁となって立ちふさがる。


その時だった。


通りを挟んだ向こう側から、木製の荷車を引いて治療院へと戻ってくる見覚えのある姿があった。


栗色のロングヘアをお団子に束ねた看護師のリリーだ。


私たちが声をかけようとした矢先、治療院の中から小走りで一人の青年が現れ、彼女の元へ駆け寄っていった。


「あ、お疲れ様ですリリーさん!ちょうど今、薬の納品が終わったところなんですよ」


青年は出入りしている薬屋のマーフィーだった。


彼は鼻の下を伸ばし、リリーに対してあからさまにデレデレとした態度をとって話しかけている。


どうやら彼はリリーが帰ってくるのを、待ち伏せしていたようだ。


「ご苦労様、マーフィーさん」


リリーが親しみやすい笑顔を向けると、マーフィーは嬉しそうに一枚の紙切れを差し出した。


「これ、今日の納品伝票です。確認をお願いしますね」


リリーは荷車の持ち手から手を離し、伝票を受け取って目を通した。


しかし、すぐに小さく首を傾げる。


「あれ?マーフィーさん、この薬の量……ちょっと多すぎないですか?」


「あ、やっぱり?僕も少し多い気がしたんですけど、さっきヴィンセント先生に直接確認したら、これで合ってるって言ってたんで。まあ、先生のことだから何か特別な治療に使うんじゃないですかね」


「そうですか。先生がそうおっしゃるなら間違いないですね。ありがとう、マーフィーさん」


「いえいえ!それじゃあ、また来ますね、リリーさん!」


マーフィーは名残惜しそうに何度も振り返りながら、上機嫌で通りを去っていった。


彼が見えなくなったのを見計らい、私たちはリリーの元へと近づいた。


「あ、こんにちはリリーさん、今日も買い出しですか?何を買ってきたんですか?」


助手が人懐っこい声を上げて駆け寄り、リリーが答える間もなく、荷車に被せられていた厚手の布を勝手にめくってしまった。


「あれ?空っぽだ」


助手が不思議そうに首を傾げた。


荷台の中には、以前のような薬草の束やガラス瓶などは一切なく、ただ荷車の木板が見えているだけだった。


「こら勝手に触るんじゃない」


私は助手の軽率な行動を叱りつけ、その頭を軽く小突いた。


「痛っ」


「ふふっ、こんにちは、探偵さん。助手さん。今日は配達ですよ」


リリーは助手の失礼な振る舞いを気にする様子もなく、口元に手を当てて笑った。


「申し訳ありません、リリーさん」


私が謝罪の言葉を口にしながら、めくられた荷車の布を元に戻そうと手を伸ばした、その瞬間だった。


私の思考の底に沈んでいた最後の違和感が氷解し、連続殺人鬼『ドールメーカー』の凶行を暴く全ての謎が紐解かれた。


「そうか、…そういうことだったのか……」


私は、思わず口から言葉を漏らしていた。


そして私は踵を返し、来た道を猛然と走り始めた。


「あ、ちょっとまた!すみませんリリーさん。もー、待ってくださいよー。ヒューゴ先生ー!」


背後から慌てて私を追ってくる助手の声が聞こえる。


しかし私には振り返っている暇はなく、大通りの春風を背に受けながら、一直線に事務所へと駆け戻った。


小さくなる二人の背中を、リリーは首を傾げながら不思議そうに眺めていた。


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