7.這うように〜Strisciando〜
〜本日の朝食〜
ホットサンド(ハムと3種のチーズ・簡単手作りカスタード)・ブロッコリーのミモザサラダ・クラムチャウダー・りんごのシロップ煮
「…ちゃん?響ちゃん!」
完太の呼ぶ声で我に返る。ツタのようなものが一瞬にして解ける。澤田にコーヒーを持ってきたようだ。顔を上げると、エプロン姿の完太がのぞき込んでいた。その向こうで、相変わらずビビに脅され、ビクビクしながらコーヒーを飲む澤田が見える。
「…何でもない。」
完太が少し訝しんだ顔をする。
「今日はもう出る時間だから。朝ごはんはちゃんと食べてね、サンドイッチ。電子レンジにココアがあるから温め直して。それとスープは澤田君によそって貰って。響ちゃんがやると撒くから。ビビのご飯は済んでる。澤田君、ちゃんと澤田君の分もあるから食べていってね。あと響ちゃんをお願い。」
そう言うと完太はビビの頭を撫でてから、エプロンを外し、仕事へ行った。いつも軽く響くはずの玄関の引き戸のカラカラとした音が、今日はやけに重い。
「響さ〜ん、朝飯、食いましょっかぁ!せっかく完太さんが準備してくれたんすから〜。僕の分もあるんすよ〜。」
澤田は空のコーヒーカップを持ったまま伸びをして「よっこらせ〜」と言いながらソファから立ち上がると、さっさとキッチンへ歩いていく。それを見て我に返る。待て…あいつと食べるのか?ちょっと…いや、かなり図々しくないか?我が家に来る奴は皆こうなのか?納得いかない響だった。
朝食を食べながら、澤田がスケジュールを読み上げてくる。
「響さん、ちょ〜っとだけスケジュールの変更ありっす。13:00〜リアホールで映画音楽最終音合わせ、17:30〜映画と音楽雑誌のインタビューと撮影が20時までなんすけど、インタビューが個別だけじゃなくて座談会方式になったっす。音楽監督も来るんで。その後、コンサート用の宣材写真とかもここで撮っちゃいます。全部、手配してあるんで、衣装とか要らないっすからね。」座談会方式?聞いていない。全く聞いていない。音楽監督とか聞いていない。響は、面倒臭さをココアと一緒に飲み込んだ。
その日の午後、最終音合わせは思ったよりも早く終わった。ここで一緒だった蝶子は、次の仕事があるとかで、そちらへ向かって行った。時間を持て余した響はリアホールの中を当てもなく歩き回っていた。カツン…カツンと革靴がロビーの床を固く鳴らす。蓮のコード、和臣のメール、不明の意味…これらの不気味さが再び響を絡め取ろうと動き出した時、ふと呼び止められ、振り返る。
「宮元先生…。先生のインタビューの時間じゃないんですか?」
「いやいや、少し前に終わったところだよ。後は写真だけだ。鈴木君は?」
「私はまだですよ。ちょっと散歩です。」
「…なら、丁度いい。君に相談にのってもらいたいんだ。君のアレンジで、どうしても表現しにくいとこがあるんだ。そうだな…今ならリハーサル室が空いているはずだ。事務局で鍵を借りてくるよ。リハーサル室に来てもらえるかな?よろしく頼むよ。」
響は快諾した。楽屋から自身のチェロを持ち出し、リハーサル室へ向かう。その厚くて重い扉を開くと、古びたカーテンで隠された鏡張りの壁と、ピアノを背に、ポツンとスコア譜を持って椅子に座る宮元がいた。
「先生、お待たせしました。」
響が入口からそう声を掛けると、宮元は人の良い笑顔を浮かべ、手招きした。2人で向き合う。しばらく2人でスコア譜を眺めながら話を詰めていたが、どうもこの部屋は宮元の声が聞き辛い。なんとなく落ち着かなくなり、シャツの袖を捲くる。空調の音なのか、地鳴りのような音が響いている。耳ではなく、頭蓋骨が微かに振動しているような気持ち悪さだ。部屋から出たくなる。
「どうかしたかね?」
宮元が尋ねてきた。
「…いえ、なにも。この部屋、空調の音が響きますね。」
響が言う。
「そうかね?僕には何も聴こえないが…そう言えば、土橋君はこの部屋で練習しては、体調を崩していたね。演奏姿も確認できるからと、この部屋を好んで使っていたんだ。熱心だったから、根を詰めすぎてしまったんだろうね。館長と事務長も気にして、よく声をかけていたし、空調を調整したりと気遣っていた。つい1年程前なんだが…なんだか懐かしいな。」
宮元が、隠された鏡のさらに奥を、じっと見つめて言った。
皆様、ごきげんよう。ビビですわ。なんだか不穏ですわね…このお話が始まって以来の不穏さが漂っていますわ。見てくださいませ、私の毛並みを。少しこう、逆立ちそうな雰囲気でしょう?このエピソード、ゾワゾワしますのよ。雑魚…失礼。まあ、良いですわね。澤田の襲撃の方が、まだましですわね。この由々しき事態をご主人様にお伝えしなくてはなりませんわ。それでは失礼しますわね。




