5.熱情的に〜Ardente〜
『プリンセス・マコ』の秘密。
澤田の無事を祈りつつ、蝶子が口を開いた。
「じゃあ、後は頼んだわね!私、練習してくるわ。」
立ち上がると、響の肩にポンと手を置いてから土蔵の練習室へ向かって行く。
「じゃあ、僕は読みかけの本でも読もうかな。」
と蓮がリビングのソファへ移動していく。
「響ちゃん、ビビの検査と予防接種に行ってくるから、良い子にしててね。2時間くらいで戻ってくるから。冷たいハーブティーは冷蔵庫、温かいのは保温ポットに入ってるから。カップは2段目の以外なら使って良いからね。お腹すいたら冷凍のおにぎりを『チン』して食べてね。」
完太はそう言うと、ビビを病院へ連れて行った。
響は混乱した。ちょっと待て。この家の家主は私のはず。なんでこいつら居座ってるんだ?蝶子も蓮も自分の家に帰ってやれよ。なんだよ、完太のやつ。いつかカップ全部割ってやる!あと、ビビ用の冷凍牛すじも全部食べてやるから!なぜか腹が立った響だった。
その日の夕方、書斎でアレンジの作業をしている響のスマートフォンが鳴った。画面も確認せずに電話に出る。
「もしも〜し、響ちゃん?」
聞き慣れた声だった。だが…
「『響ちゃん』なんて知らない。じゃあね。」
電話を切ろうとする響に声の主は慌てる。
「ち、ちょっと待ちなさいよ!1ヶ月に1度は電話よこせって言ってるのに無視するから、電話かけてやってんのよ!」
「和臣にいちゃんは元気で何より。血圧上がるよ?メールはしたじゃん。今日の午前中。」
「えぇえぇ、3ヶ月ぶりにねっ!ちなみに電話は半年ぶりよ。血圧上がる前にメール見て不整脈が出たわよ。『ここ1年でストーカー又はDV受けてる20代女性を探してる』なんて。にいちゃんはそんな子に育てた覚えはありません!」
電話の主は鈴木和臣、響の一回り以上年上の兄だ。元警察官で『プリンセス・マコ』の経営者。細マッチョでかなりの長身、ちょっと喋りに癖があるが…スマートなイケオジだ。しかし趣味は女装。美し過ぎる女装家として、その界隈ではかなりの有名人だ。実業家の面もあり、他にも警備会社やスポーツジムを経営している。
「はいはい。育てた結果から目を逸らさない。何を慌ててるんだよ。私がやるわけないでしょうが。和臣にいちゃんなら噂とか聞いてないかと思って。」
響はアレンジ楽譜の上に鉛筆を置くと、ブルーライトカットの眼鏡をかけ、PCの電源を入れた。20件近くある受信メールの中に、和臣からの返信があった。それを開く。
「響ちゃん、よく聞きなさい。DVもストーカーも、加害者にとっては『愛』なのよ。それも極上のね。そして被害者も『愛』だと思ってそれを享受してしまう事も多いのよ。肉体的、精神的な暴力で思考を奪われるの。洗脳ってやつよ。…いっぱい見てきたわよ。とりあえずは、何件か目星をつけた件をメールしといたわ。名前は出せないけど、どんな被害かは聞き取っといたわ。該当する子がいたら、連絡よこしなさい。何もなくても…もっと連絡よこしなさいよ。」
和臣の声が寂しそうに響く。この人は愛情が深過ぎる。だから傷つきやすいし、こちらが心配になる。
「分かってるよ。じゃあね、和臣にいちゃん。」
電話を切って、PCの画面に注目する。
「何件か」なんて量じゃない。
ざっと30件以上ある。
こんなに沢山の子達が被害を受けているのか?
警察にも、誰にも相談出来ずに?
内容を確認しながら、吐き気を覚えた。
虫酸が走る…。
声無き声が『聴こえる』。
響は眼鏡を外し、目頭を押さえる。感情が焼き切れるような感覚に手が震えた。
それを机に向け拳を振り上げた時、夕暮れ時の薄明かりに照らされた障子の向こうに、ビビが静かに横たわる影が見えた。
拳は…静かに優しく開かれた。
蝶子が土蔵練習室から出る頃には、辺りはすっかり夜になっていた。キッチンダイニングを覗くと完太と蓮が何やら談笑している。
「ごめんね、完ちゃん。すっかり長居しちゃったわね。蓮さんもごめんね、待たせちゃった。」
いかに蝶子でも、響の練習室を奪って居座った上に、夫を放置した気まずさはある。完太が微笑みながら言う。
「蝶子ちゃん、気にしないで。響ちゃんも蝶子ちゃんが来てくれるのが嬉しいんだよ。あんな感じだけどね。お夕飯は?」
「さすがに朝からずっとご馳走になるのは申し訳ない。今日は帰るよ。な?蝶子。」
と蓮が蝶子に言う。蝶子は頷きながら、
「響は書斎?ちょっと挨拶してくるね!」
と、トタトタと軽やかな足音をたてて書斎へ向かって行った。
蝶子が書斎の障子の前にくると、空気が一気に湿り気を帯び、その、何か得体のしれないものが纏わりつくような感覚に襲われた。ビビがジッとこちらを見つめている。
蝶子は心の中で呼びかける。
響?私に気がついて。
分かっているはずなのに。
いつしか閉じ込めていた衝動に抗えず、蝶子は障子にそっと手を当てていた。そして、震えるのを堪え、精一杯の明るい声を出した。
「…っもう、帰るわね!」
鋭くサリッという畳の擦れる音がした。それは障子の向こうで止まった。すると障子に触れた自分の指の辺りに、ひんやりとした響の指先が触れるのを感じた。節高の、少し筋張ったあの美しい指を想像する…今は障子越しでしか感じられない。触れているのに触れていない重さに、涙が零れそうになる。
「おやすみ、蝶子。また…明日。」
響の優しくて切ない声が空気を震わせた。
蝶子は天井を仰ぎ、大きく深呼吸をすると、目をぎゅっと閉じた。そしてゆっくり…ゆっくりと障子から手を離すと、そこに背を向けた。
蝶子が去っても、響はずっとそこで彼女の足音を聴いていた。
皆様、ごきげんよう。ビビですわ。ついに『プリンセス・マコ』の経営者が登場しましたわね。彼のキャラが…ちょっと強烈ですの。まあ、話し方からお察しですわね。それより私の召使い(下僕)が、失礼しましたわ。私が居なければ感情のコントロールもできないなんて。でも…仕方ありませんわね。今回は寄り添って差し上げましてよ!
NG編↓
プスッ…(障子が破れる音)
響「あっ…ヤバっ…障子破っちゃった。」
蝶子「〜っ雰囲気(怒)!」
ビビ「…フ〜ッ(アホね)」




