1.影を差す〜Ombrante〜
いよいよ事件に突入?
あと少しで夕食が終わるという頃、玄関のインターホンが鳴った。完太とビビが玄関に向かうと、引き戸のカラカラという心地よい音が響いた。
「蝶子ちゃん、お迎えが来たよ。」
完太達が来訪者を伴ってキッチンダイニングに戻ってきた。入ってきたのは、完太とは対照的に、細身で背の高い、縁の無い眼鏡をかけた、少し神経質そうな印象の男だった。彼は羽鳥蓮、蝶子の夫だ。数年前、何やら起業したらしく、専ら在宅ワークをしている。「何やら」とするのは、ここにいる蓮を除く3人が、誰一人として、蓮が元システムエンジニア(SE)という事以外を理解出来なかったからだ。
そんな彼は、一度帰宅した蝶子が「響の家に行く」と飛び出して行ったまま帰らなかった為、迎えに来たのだ。
「夕飯は?」
と響が尋ねながら、ダイニングテーブルの空いている席に座るように促した。
「家で食ってきたから要らないよ。いつも蝶子が悪いね。」
と、申し訳なさそうにその席に座ると同時に、完太がハーブティーを持ってきた。カップの数を見ると4つ。ちゃんと蓮の分もある。本当によくできた男だと思う。蓮はそのカップを受け取ると蝶子に尋ねた。
「で、何があったんだ?」
「何も。」
「何も?お前がああやって出かけた時は、良い事にしても、悪い事にしても、必ず何かあるんだ。」
蓮が蝶子を疑いの目で見ている。
「やだっ、今回は本当に何もないわよ。ホントに!」
慌てる蝶子の声に混じって、キッチンダイニングの先の、一段低くなったリビングのソファから、ビビの気持ち良さそうなイビキが聞こえる。
蝶子には、疑われるに値する前科がある。蓮に「響の家に行く」又は「ちょっと出かけてくる」と言って出かけると、必ず何かを拾ってきた。鳥のヒナ1回、成鳥2回、タヌキ1回、犬2回、猫4回…鳥のヒナは育ててから放鳥、成鳥はそれぞれ必要な処置をしてから放鳥、タヌキは動物病院に預けた。犬は2匹とも蝶子の実家に引き取られ、拾われた時から高齢だった為、暫くして1匹…また1匹と天に召された。2匹は幸せな最期だったと思う。猫は里子に出すつもりで、あえて名付けせず、拾った順に1号〜4号と呼んでいたが、羽鳥家の飼い猫になった。意外な事に蓮が手放せなくなったのだ。今は蓮が溺愛している。
そんな蝶子だから疑われて当たり前なのだ。
蝶子は不満気な顔をしている。
「本当に何でもなく、全く別の話だ」と前置きし、ソースだらけの口元を拭いながら、響が昼間の練習で抱いた違和感の話をした。
「ね?『違和感』ってだけの話だもの。大した事じゃないでしょ?」
蝶子は蓮に言った。しかし…
「いや…蝶子と響ちゃんが『おかしい』って感じたんだろう?その感覚は大事にした方が良い。」
眼鏡の奥の瞳が真剣だ。
「「「?」」」
カップに口をつけようとしていた響と蝶子、テーブルを拭いていた完太も、動きを止めて蓮を見つめた。
「顧客情報だから詳しくは言えないんだが、とある企業から『システムエラーが多発しているから調査をして欲しい』って依頼があったんだ。エラーの回数が並じゃない日もあって、仕事に支障が出そうなんだと。」
「…それが私達の『違和感』に関係しているの?」
と蝶子が尋ねる。
「蓮さん、私達にその話をしたって事は、『リアホール』や『リアオーケストラ』に関係している会社って事だね?」
響の言葉に蓮の口元が弧を描いた。
「グランデ・カンパニーア」
完太のその声に、寝ていたはずのビビの耳が微かに動いた。
皆様、ごきげんよう。ドーベルマンのビビリーヌこと、ビビですわ。ビビって呼ばせて差し上げても良くってよ。
あらあら、私の召使い(下僕)と煩い雑魚…失礼、お友達は何に首を突っ込むのかしら?ろくな事になりませんことよ?きな臭いとはまさにこの事。愛しいご主人様まで…心配ですわ。もし、ご主人様に何かあったら覚悟なさいませ!キッチリお仕置きいたしますわよ?




