12.語り合いながら〜Conversando〜
蝶子姐さん✨️
澤田が事務所に戻った後、響はリビングで考えていた。
『小鳥遊みお…フロアキャスト』って接客を担当する女性?まあ、詳しくは和臣に連絡を取れば済む。
『小鳥遊』なんて随分と洒落た名前を考えたものだ。鷹がいないから小鳥が遊ぶ…閉じ込めたこの小鳥の鳴き声は、さぞ美しいだろう。
まず、『鳴けば』の話だが。
この名前、自分で付けたなら良いが、土橋みみを閉じ込める為に付けられた名前なら…響の頭の中でチリッと何かが焼ける音がする。完太が鍋を焦がした時のような音だ。不快なその音の奥に、和臣からの30件以上の被害者達の声が蘇る。あの中にあるものとこの写真…この気持ち悪さはなんだ?違和感がある。和臣に電話をしようとスマホを持った時だった。
「ただいま〜。」
「お邪魔しま〜す。」
と完太が蝶子を伴って帰ってきた。
玄関へ出迎えると、完太ではなく蝶子が口を開いた。
「退団した人に偶然会ったのよ!直接、話が聞けたの。ねえ、まず上がっていい?」
興奮で目がキラキラしている。話したくてウズウズしているのだ。もう靴をコトコトと鳴らして脱ぎかけている。
「二人ともおかえり。こちらも話があるんだ。」
響は、自分より先に進む蝶子の誇らしげな後ろ姿と、パンパンの買い物袋とお腹を弾ませてご機嫌に歩く完太を見つめた。そんな二人の後ろを、ビビがお尻を振りながらついていった。
ダイニングテーブルに座った瞬間、蝶子が話し始めた。
「あのね、昨日はちょっと遠方の仕事だったのよ。そうしたらね、そこのオーケストラのビオラ首席がなんと!…元・リアオーケストラのビオラ首席だったの!」
そこで蝶子は、完太が持ってきたアイスコーヒーを一気飲みした。
「まあ、落ち着いてよ。で、どんな話?」
響がやや前のめりになると、フゥと一息ついた蝶子は話し出した。
暫く楽屋に居たが、本番までまだ時間がある…蝶子はこのホール併設のカフェテリアに入り、コーヒーを飲むことにした。落ち着いた色合いの、柔らかな足元の絨毯と、耳障りにならない音量の音楽、カフェ独特の香ばしい香りが漂うその中で、コーヒーとケーキを堪能していると、「リアホール」と言う声が聞こえた。その声の方向を見ると、カウンター席に、共演するオーケストラのビオラ首席と店員が話をしていた。リアホールの話?そうだ、何か噂とか聞いているかもしれない。そう思った蝶子は思い切って声をかけた。
「お話中ごめんなさい。改めまして、羽鳥蝶子です。今日はよろしくお願いいたします。あの…今、リアホールって聞こえたんですけど…」
40代後半だろうか。落ち着いた物腰の男性だった。
「こちらこそ、羽鳥さんと共演できるなんて光栄です。よろしくお願いします。いや…実は1年前までリアオーケストラでビオラ首席だったんです。」
驚いた。何か知っているかもしれない。蝶子は、その男性の隣の席に座り「大変失礼なんですが…」と切り出した。
「なんでリアオーケストラを退団されたんですか?」
ほんの一瞬、首席の体が固まるのが分かった。
「それが、私自身もよく分からないんです。あまり大きな声で言えないんですが、ある日突然、倫理上の問題を起こしたと言われて…契約解除だと…いや…ショックでしたよ。確かに後輩の指導は厳しくした事がありますが、音楽的な指摘はしても人格を貶める事は絶対にしていないつもりでした。」
その時を思い出しているのか、カップの中に映る姿を見つめて苦しそうな顔をしている。蝶子も苦しくなった。確かに、指導が熱くなってしまう事もあるだろう。その後輩がパワハラを訴えたのだろうか。
「それは…ごめんなさい。」
「あなたが謝らないでください。それはもう良いんです。仕方がない。悔しくても、もう済んだことです。」
首席はコーヒーを一口飲むと、再び話始めた。
「でも、おかしな事もあるんです。私と同じ理由で契約解除された人間があと5人も居るんです。自分で言うのも変なんですが、『倫理上の問題』で契約解除ですよ?本来ならもう、この業界どころか社会的に生きていけない。ところが、今の私を見てください。こちらのオケで、また首席をやらせてもらっています。私を含めて6人全員が、再就職先がすぐに決まったんですよ。本来なら喜ばしい事です…ですが…」
首席は何か言い淀んでいる。
「…仕組まれていたかも?と思っていらっしゃる?」
蝶子が言葉を継いだ。
「あの…思い過ごしだと思いたいんですよ。でも、自分達に代わって入団した人達は…確か、貴女の母校に関係の深い人達だと噂で聞いています。」
そこだ。そこが響と自分が感じた違和感。首席は、はっきりとは言わなかったが「関係が深い=出身である」と言う事。しかも彼自身の言ったように『倫理上の問題』だとするならば、名門で起きた事件故に噂にもなるだろう。しかし、そんな噂は今まで一度も聞いたことがない。
「あの、つまりそれは…リアオーケストラ側に、あなた達の代わりに入れたいメンバーがいたと?」
蝶子は言った。
「いえ、私は『入れたいメンバーがいた』ではなく『それで利益を得た人間がいるのでは?』と考えています。自分を含めると6人ですよ?おかしいでしょう?しかも、全員がベテラン・首席クラスなんですよ?なのに噂にもなっていないんです。自分達の音楽が、意思が汚されてしまったような気がして…今では、『倫理上の問題』さえも嘘だったのではないかと…。」
首席のカップを持つ指が少し震えていた。これ以上は聞けない。蝶子は少し別の話をすることにした。
「あの…辛いことを色々とごめんなさい。何もして差し上げられないのに…。でも、もう一つだけ良いですか?『土橋みみ』さんの件です。実は彼女とは少しご縁があって…ところが退団してから何の連絡もなくて…心配なんです。何かご存知ですか?」
蝶子は咄嗟に嘘をついた。
「ああ、土橋さん?とても良い子でしたよ。お知り合いだったんですね。残念ながら、退団してからは何も知らないんです。私たちも心配してたんですよ。結局、同じ時期に退団してしまいましたから。入団当時から風邪さえもひかないような元気な子だったんです。それが確か…退団する1年位前から、たまに酷く体調を崩すようになっていました。辞める頃にはもう…フルートを吹ける状態ではなくなってしまっていて『監視されている・見張られている』ってずっと言い続けていたんです。オケメンバーはみんな心配してましたよ。写真を撮るのが凄く上手で、オーケストラのSNS発信とかホームページとか広報担当をしてくれて、僕らベテラン勢の我儘も笑顔で聞いてくれていました。どこかで元気にやっていてくれたら良いんですが…。」
『監視されている・見張られている』そんな言葉は健康な精神状態なら発せられるものではない。どういう事だろう。蝶子はその動揺を隠して尋ねた。
「リアオーケストラみたいなオケで、広報担当が団員って珍しいですね。あなたも何か担当されてたんですか?」
「実は慣習みたいなもので、中堅以上は会計をまかせられるんですよ。まあ、備品程度なんですが。人数がいる分、動く金額もちょっと多くて。退団の少し前までは私が担当していました。」
本当に珍しい。名門なのに会計がオーケストラのメンバーなんて。たいていは運営側が担当するものだ。首席が気まずそうに、でも少し微笑みながら懐かしそうに続けた。
「それで、会計報告書で計算ミスをしてしまいまして…、本部が監査に入る大事になってしまったんですよ。いや、本当にお恥ずかしい。それからは、会計はグランデ本社の社員が担当する事になりました。こちらのポカのせいだけど、不謹慎ですが、あのバタバタはどこか楽しかったです。」
蝶子の脳裏に、蓮が取りかかっている調査の話が過った瞬間だった。
澤田「響さ〜ん!」
響「…何?」
澤田「僕、特別ボーナス出たっす!何かおごっちゃいますよ?」
響「…いらん、嫁に使え。ん?特別ボーナス?」
澤田「ほら〜響さんの手の写真、音楽雑誌と映画雑誌に渡したんすよね。そしたら売り上げが伸びたらしくって。いや〜、やっぱ響さんの手のエロ…えっ?やだ待って!いや〜〜〜〜っ!」
その後、澤田はストレス性胃炎で3日程欠勤した。
澤田「パワハラっす…。」
響「お前はセクハラだ。」




