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9.清純な〜Verginale〜

乙女澤田降臨。

ー数日後ー

響は、澤田から宣材写真をデータから選ぶから、と事務所に呼び出された。会議室の一つに入ると澤田がポスターとチラシの見本、それと膨大な量の写真に埋もれていた。しかもその山の中で泣いている。

「響さ〜ん、この写真見るだけで、こう…涙が…」

そう言っては鼻をすすっている。実はあのリアホールでの演奏の直後、澤田は声を押し殺して泣いていた。帰り道も泣きながら運転するので、車の窓が曇った。前が見えないだろう?久しぶりに命の危機を感じた。あれからずっと情緒不安定らしい。乙女か?呆れていると、会議室がノックされた。こちらの返事を待たずに入ってきたのは蝶子だ。たまたま事務所に来ていたらしい。

「凄い量の写真ね!データもあるの?え?澤田君ってば泣いてるの?まさか響に泣かされたとか?いつもだけど。」

ある意味では正解だが、ある意味では不正解だ。

「いや、蝶子。違う。おい…鼻かめ。」

響は澤田に手近にあったティッシュの箱を差し出す。澤田は何枚か手にとると、豪快に鼻をかむかと思いきや、鼻水をポンポンと押さえて、くすんくすん言っている。ダメだ、乙女モードになっている。響はやや絶望した。嫌な予感がする。

「だって響さん、あの《エストレリータ》は反則っす!…だって…うぅっ…」

涙と鼻水が溢れ出している。


「!」


しまったと思ったがもう遅い。蝶子をちらりと見る。

「…《エストレリータ》?まさか、響が弾いたの?」

澤田の鼻水をすする音以外、静まりかえる。この沈黙が逆に耳に痛い。


「私…聴かせてもらったことない!」


当たり前だ。蝶子の前で弾いた覚えはない。あれは…今後も蝶子の前では弾くつもりは無い。しかし、触れそうな距離に蝶子が迫ってくる。


「私も聴きたかった〜!ねぇ、弾いてよ、お願い〜響〜!ねぇ〜聴きた〜い〜!」


蝶子が、響の座る椅子を掴んで駄々をこね始めた。


蝶子の勢いに、椅子も自分もひっくり返されそうに揺れる。しかし弾けないものは弾けない。ギリギリまで追い詰められて蝶子の手を掴もうとした時、

「いや〜最高っす。最高の『仕事』っすね!さあ、せっかく蝶子さんもいるんすから、ちゃっちゃと写真選んでもらっちゃいましょう!」

目を腫らして、鼻水を光らせた澤田が、立ち上がりながら言った。乙女モードはやっと解除されたのか?響はこっそり深呼吸をした。


「僕の一押しはコレっす!」

少し落ち着いてきた澤田が、鼻声のまま自信満々に1枚の写真を差し出してきた。響はその写真を見つめたあと、澤田を睨んだ。その横で蝶子は息を呑んだ。響のチェロを弾く手。ライトの陰影の中、長い腕が弓を操り、節高で、少し筋張った美しい指が力強く弦を押さえている。ただそれだけの写真なのに、響の音が、息遣いまでもが聴こえてきそうだ。たとえ写真でも触れずにはいられなくなる。全身の血が沸騰しそうで、自分の鼓動が煩くて、衝動的に耳を塞ぎたくなった。

「な〜にが自信満々に『コレです!』だよ。宣材写真の意味って知ってる?」

「いや〜っ、響さんの魅力ってぇ、この手のエロいとこ…あっ、ウソッ!」

響が澤田を、鬼のように追い詰める声が遠くに聞こえる。


蝶子はそんな2人のやりとりを、そのまま遠くに聞いていた。


その日の深夜、響は和臣に電話を掛けた。電話の向こうから、店の近くの通りの喧騒が聞こえる。

「あら〜響ちゃん。『土橋』ねぇ。残念だけど、その苗字に覚えはないわね。探しているのはその子なの?」

「探している、と言うより『たどっている』が正しいかもだな。退団者の中で彼女だけ退団後がつかめていないんだ。この前のメールの中に『音大出身』って子はいないの?」

「そんな特徴的な子いたかしら?」

「和臣にいちゃんからのメール、全部読んだよ。だけど、あそこまで表立って見えていない…隠されて…ううん、閉じ込められている。そんな感じの女の子を知らない?この子だけ退団後が『不明』なんだ。普通に考えたらおかしいでしょ?」

「そうね、ちょっと臭うわよね。『この子だけ』って事は、他の人もいるんでしょ?その人達は?」

「それも変なんだよ。倫理上の問題で契約解除になっているのに、退団後は安泰。そっちは別口で当たってみる。あっ、そうだ。今、思いついた。『土橋』じゃなくて他の名前になってる可能性は?」

「偽名ってことかしら?」

「そう、それ。こんな言い方は駄目なのは分かってる。でも、そっちの世界、『訳あり』の人間も多そうだから。」

「…そうね、否定はしないわ。分かった、その線で探ってみる。ただし、あまりにも大きな事件になりそうだったら教えないわよ?分かったわね?」

「分かってるから。ありがとう、和臣にいちゃん。」

「良い子ね。あ、それと響ちゃん紹介の、うちの昼の店の常連、『澤田』ちゃん。響ちゃんのマネージャーさんね、本当によく働く良い子よ〜。貸し切り案件の準備とかで猫の手も借りたかったのよ〜。無給なのも良いわ。もう最っ高!1週間じゃなくて、うちの店の子になってくれないかしら?そしたらお給料出すわよ。」

「交渉してみなよ。今回はお仕置きだから、思いきり使い倒してやって。」

「そんな事言って…ホントはご褒美半分、お仕置き半分なんじゃないの?」

「…さあね。じゃあ頼んだよ。おやすみ、和臣にいちゃん。」

「おやすみ、響ちゃん。」

澤田が役に立っている…案外使えるやつなんだな〜と少しだけ見直した響だった。

皆様、ごきげんよう。ビビですわ。私の召使い(下僕)は澤田ざこには容赦しませんのね。『好きな子はイジメたい』ってタイプなのかも知れませんわね。まあ、どちらにしても、二人ともお子ちゃまなんですわ。仔犬のじゃれつきのよう…でも、違いますわね。仔猫ちゃんと仔犬ちゃんのじゃれ合い…あら、二人が急に可愛く見えてきましたわ。私、体調が悪いのかしら?ご主人様に撫でてもらわなくては!それでは失礼致しますわ。

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