56話: 蒼き龍の帰還
戦闘開始から十五分。砂漠は鉄錆と魔物の体液の臭いに塗り替えられていた。
レナードの周囲には、すでに小山をなすほどの魔物の死骸が転がっている。だが、背後の魔人は指先一つ動かさず、ただ無尽蔵に配下の獣どもを放ち続けていた。
「ハァ……ッ、ハァ……!!」
レナードの呼吸は、肺を焼くような熱を帯びている。
右肩の甲冑は砕け、鋭い爪に抉られた肉が剥き出しになっていた。脇腹からは絶え間なく鮮血が滴り、砂を赤黒く染めていく。視界は、己の額を流れる血によって赤く霞んでいた。
「しぶといな。ただの人間が、魔力の加護もなしに……」
魔人が退屈そうに呟く。
「殺せ。四肢を食いちぎり、その心臓を私の前に差し出せ」
魔人の命を受け、三体の巨大な剛魔が同時に躍り出た。丸太のような腕が、レナードの頭上から、左右から、逃げ場を断つように振り下ろされる。
「――おおおおおぉぉぉぉ!!!」
レナードは退かなかった。否、一歩でも退けば、その先には無防備なカイトとカナデがいる。
彼は大剣の腹で正面の一撃を受け流し、その勢いのまま身体を独楽のように回転させた。
【剛剣・輪転撃】。
遠心力を乗せた一撃が、左右の魔物の足を断ち切る。だが、正面の魔物の追撃がレナードの左腕を激しく打ち据えた。
――ミキッ、という嫌な音が響く。
「ぐ、あぁっ……!!」
左腕がだらりと力なく垂れ下がる。骨が砕けた激痛が脳を突き刺すが、レナードは右手の握力をさらに強めた。
「……まだだ。……あと、三十分。……あと、三十分、立っていれば……!!」
戦闘開始から二十五分。
レナードは、もはや「生きている」のが不思議な状態だった。
全身に数十箇所の傷を負い、意識の糸は今にもぷつりと切れそうに細い。それでも、彼は二人へと続く最短の直線上に立ち続けていた。
「ほう。片腕が死に、失血で意識も朦朧としながら、まだその眼は死んでいないか」
魔人が初めて、その腰を上げた。
「不快だ。羽虫の分際で、私の『絶望』に抗うな」
魔人が右手を掲げると、大気中の闇が収束し、一本の巨大な**【漆黒の槍】**へと形を変えた。それは、かつてカイトの父・ガモンを貫き、レンの精神を砕いた「断絶」の力の断片。
「死ね、三下。お前の物語はここで終わりだ」
音を置き去りにして、黒い閃光が放たれた。
回避は不可能。防ぐ盾もない。
レナードは、動かない左腕を無理やり引きずり、残された右腕で大剣を垂直に立てた。
(……ああ。……師匠。……俺は、あなたの盾に、なれましたか……?)
レナードは薄れゆく意識の中で、不遜ながらも希望そのものだったカイトの笑顔を思い浮かべた。
そして、死を覚悟し、一歩も引かずにその衝撃を迎え撃とうとした――その瞬間。
――パチィィィィィンッ!!!
耳をつんざくような、鋭く、苛烈な**【蒼い火花】**が夜の砂漠を真っ白に染め上げた。
「……おい、レナード。お前、いつまでそんなボロボロの格好で突っ立ってんだよ。……暑苦しいっての」
聞き慣れた、呆れたような、しかしどこか温かい声。
レナードの目の前、衝突するはずだった漆黒の槍は、空間に奔った「蒼い稲妻」によって跡形もなく粉砕されていた。
「し、師匠……!? まだ、時間は……三十分、あったはず……」
レナードが震える声で背後を振り返る。
そこには、カナデの紅い光に包まれながらも、力強く立ち上がったカイトの姿があった。
カイトの瞳には、以前のような迷いは一切ない。その全身からは、周囲の砂を浮き上がらせるほどの圧倒的な魔圧が立ち上っていた。
「……悪いな。お前があまりにも必死に叫ぶもんだから、寝心地が悪くてよ。……予定より三十分、前倒しで起きてやったぜ」
カイトは、倒れ込もうとするレナードの肩をそっと支え、その手に**【青龍刀】**を握り直した。
「……休んでろ、レナード。……後は俺が、こいつらを一秒で片付ける」
15歳の青龍が、真に覚醒した瞬間だった。




