第43話: 蹂躙される「聖域」
それは、あまりにも無慈悲な「強制終了」だった。
夕食後の穏やかな残響。ハチミツを染み込ませたパンケーキの甘い香りが、一瞬にして鉄と焦げ茶の匂いへと塗り替えられる。
屋根が、物理的な破壊ではなく「消滅」に近い形で消失し、夜空から漆黒の翼を広げた魔族が降り立った。
「……あァ、見つけた。この辺りに『青龍』の端切れが落ちていると聞いたが……。なんだ、この反吐が出るほど安っぽい幸福は」
魔族が指先を軽く振る。それだけで、カイトが愛した実家の半分が、砂のように崩れ去った。
「――カイトォ! 伏せろぉ!!」
父ガモンが吠えた。その拳には、山を穿つほどの魔力が集束し、空間を歪ませている。
「ガハハ! ウチの息子のメシの邪魔をする奴は、地獄の底まで叩き落とすのが家訓なんだよぉ!」
ガモンが地を蹴り、空中の魔族へと肉薄する。渾身の一撃。だが、魔族は嘲笑うかのように、その拳を掌で受け流した。
「……五月蝿いな、下等生物。その無駄な肉塊、削除してやろう」
魔族の腕が閃光のように動いた。
カイトの視界が、真っ赤に染まった。
「……え?」
ガモンの巨躯が、空中で文字通り「バラバラ」に弾けた。
抵抗する間も、叫ぶ間もなかった。カイトが「雷速」を起動させるよりも速く、父という名の最強の防壁が、肉片となって食卓に降り注いだ。
「――あなたぁぁぁ!!!」
母レンの悲鳴が上がる。彼女の指先から、数万の「断糸」が魔族を包囲するように放たれた。だが、魔族はそれを避けることすらせず、その「糸」を素手で掴み取った。
「精神の伝達か。……なら、見せてやろう。本当の『絶望』の深度を」
魔族の目が怪しく光る。
レンが放っていた魔力の糸を媒介に、魔族の精神汚染が逆流した。
「あ……あ、あ、ああああああああ!!!」
レンが頭を抱えて崩れ落ちる。その瞳から光が消え、底知れない恐怖と絶望の色だけが上書きされていく。精神の深部を直接「切断」され、彼女の心は一瞬で壊れた。
「(……嘘だろ。オヤジが……お袋が……)」
カイトの脳内が、真っ赤なエラーログで埋め尽くされる。
サボりたい。寝ていたい。定時に帰りたい。
そんな甘い理想が、一瞬で粉砕された。
「……てめぇ……よくも……よくも俺の『平穏』を……!!」
カイトの瞳が、かつてないほどに蒼く、そして深く沈んだ。
青龍の力が暴走に近い形で励起する。カイトの体から蒼い稲妻が噴き出し、風が真空の道を作る。
もはや音速どころではない。因果すら超越せんとする「雷の一撃」を、魔族の喉元へ叩き込む。
「死ねよ、クソ野郎……!!」
だが。
魔族は、カイトの拳を「指一本」で受け止めた。
衝撃波で周囲の地面が数百メートルにわたって陥没するが、魔族は微動だにしない。
「……ほう。少しはマシだなだが。……所詮は、予想の域を出ないな」
魔族の拳が、カイトの腹部に沈む。
雷速の防御も、風の膜も、紙屑のように貫通した。
「ガハッ……!?」
内臓が砕け、骨が粉砕される音が脳内に響く。カイトは地面をバウンドし、瓦礫の山へと叩きつけられた。
視界が霞む。魔力が枯渇していく。
死。
前世で味わった「過労」よりも、もっと冷たく、一方的な「強制終了」が目の前に迫っていた。
「……チェックメイトだ、青龍の小僧。お前のログはここで削除される」
魔族が、とどめの黒い雷を指先に集めた。




