第5章 シルト ・ 第3話 大腿骨をもらう ④
そこは狭い墓壙だった。
立ち上がった途端、片足からズボッとどこかに落ち込んだ。
俺はすぐわかった。甕棺の中に落ちた。
俺のすぐ前に白骨があった。骨は散らばらずに葬られた状態を保っていた。
俺は髑髏と至近距離で向かい合うことになった。
骸骨は膝を折り曲げ、朽ちた絹の着物を着て、傾いた甕棺の底に佇んでいた。下顎が外れて、耳まで裂ける口で笑っているかのよう。
俺は落ちたなり行きで骸骨の膝に乗り、その肩に両手を乗せていた。
「ウヒャァー!」
俺は目の前の髑髏を見て、女みたいに悲鳴を上げた。
骸骨が朧に光り出し、俺を見て無音の聲を発した。
「…何者だ? 吾はかれこれ数百年、静かに眠り続けておる…」
「ウワァ! 骸骨が喋ったぁ……!」
俺は甕棺の中でジタバタした。
足元に何かあって、甕棺の底が平じゃない。大量の銅鏡、銅製の長剣、飾り金具の付いた盾など。値も付けられないほどの財宝が有った。
「何者か、と聞いておる」
骸骨がまた喋った。
髑髏の黒い眼窩の奥は闇の深淵に繋がっているかのようだ。
俺は気が動転した。
「お、俺は…多伎。シケのタタリ神に遭って、死後の島に流された…。鬼の兄弟と戦って、変な老人に会って、小人に襲われて……暗闇の中を墜ちて…ここへ……」
かいつまんで話した。
骸骨は楽しそうに笑い出した。
「海の底には雷神を門番とし、その先の道には我が翁を配し、道を塞いであったはずだ。…小人とは…吾が墓域の坂に置いてきた土人形のことか…?」
剥き出しの歯がカタカタと音を立てた。
どこか威厳が漂う骸骨だった。
「…あなたは…誰?」
骸骨からは年齢も生前の顔もわからない。
「ただの年寄りだと思うがよい。多伎と申す者よ、吾の遥か後の子孫なのだろう?」
骸骨はご機嫌だった。
「ジイサン。俺は仲間のところに帰りたいんだけど、生者の世界に戻る道を知ってる?」
「…よみがえりの道か。確か、その辺に地図が…」
骸骨が足元を探ったが、財宝の山があるだけだ。
「…多伎よ。死後の島から来たと申したな。何故、吾に会いに来た?」
骸骨が尋ねる。
「俺は道に迷って来ただけで…。申し訳ないけど、ジイサンに会いに来たわけじゃねーんだよ…」
骸骨は納得しない。
「理由が無ければ、ここに来る運びにはならん。何があった?」
骸骨は理由を知りたがった。
そんなこと、こっちが知りたいくらいだよ。
骸骨はこう言った。
「無意味な出会いなんて無いぞ。どんな出会いにも必ず意味があるのだ」
俺は骸骨の言う意味がその時はわからなかった。
「…顔が見れたから、もう十分だよ。会えて嬉しかったよ、ジイサン」
俺はもう行くことにした。
「そうか。気の毒にな。地図が見つからんのだよ。代わりに何かやろう。…生前であれば、もっといい記念品を授けてやれたんだが…」
髑髏はヨイコラショと呟き、白い着物の尻の下から何かを抜き出した。
それは彼の大腿骨だった。
「…そんな気持ちの悪いもの、いらないってー!」
俺は両手を振って辞退した。
「遠慮するな。持って行け。早くしないと、生者の世界とは時間の流れがかなり違うぞ」
白く立派な大腿骨一本を無理やり押し付けられた。
俺は狭い甕棺の中で仕方なく受け取った。
「多伎よ。吾の頭の中に今、『虹の鳥』という言葉が浮かんだ。頭の片隅に留めておくがよい…」
「…ありがとう、ジイサン」
俺はその骸骨に支えられ、甕棺から這い出た。
言われたとおりに甕棺の蓋(壺)を閉め、墓壙から土の中を泳ぐように地上へ出た。
どれだけ地底深い墓壙だったのか。
俺はかなりの距離を泳いだ。
俺はボコンと音を鳴らし、突如、地上へ出た。
死後の世界を二転三転して、どこに着いたやら。
群青色の美しい海があった。透き通るような青い水の入り江。白い砂浜。
誰も居ない。
「おーい…」
俺は白浜の砂を踏みしめ、片足を引き摺って歩いた。
また誰も居ねーじゃねぇか。
何か胸に込み上げてくるものがあった。ひたすら人恋しかった。
渚に死体が打ち上げられていた。
「また死体かよ。それとも、鬼か?」
俺はヤケクソになって死体を蹴った。
あ、違う。死んでない。
俺は冷たい海水へザブザブ入って、漂着者を揺さぶった。その躰が冷え切っている。
三十代後半から四十代前半くらいの男。髪が長い。口髭を生やしている。
髷が解けて、濡れた髪がワカメみたいに顔に張り付いていた。
八雲と同じような着物、これは絹織り物でとても上質だ。
「クソー。どうせなら美女と出会いたかったよォ…」
俺は一刻を争う状態で文句を垂れながら、この大柄な男を海水から引き上げた。
波打ち際から砂浜まで引っ張っていき、男を仰向けにして心臓マッサージをした。
男が水を吐き出し、息を吹き返した。
「クソ。重いな…」
意識のない人間はぐったりして、本当に体重以上に重かった。
おまけに俺は足と肋骨を負傷して、全身どこもかも痛くて、疲労で一杯だった。
急いで焚火をした。
弥栄流退魔道の『火雷呪』の応用で上手く点火出来た。
退魔術が使えるということは、もうここは死後の世界じゃないと言うことだ。
それにこの男の格好から、ここがシケのタタリ神が出た海から遠くない、北海のどこかだと推測出来た。
「あんた、運がいいぞ。こんな誰も居ない浜で、たまたま俺が通るなんてさ…」
俺はぐったりしている男の前髪を上げ、顔を見た。
どこかで見た顔だった。でも、どうしても思い出せない。
夕方になって急に冷えてきた。俺の肌感覚で言うと、季節は晩秋だ。
男が目を覚ました。
「…おい、寒くねーか? 大丈夫だ。俺があんたを助けたんだ…。わかるか?」
俺は男の横で、焚火に木をくべた。
男が鋭い眼差しで俺を眺めた。
「…それは?」
男は俺が帯に差していた大腿骨に目を留めた。
「ああ。墓地から掘り返して盗んだんじゃねーよ。あの世でもらってしまって…。俺は多伎。八雲の弥の西海の者だ。船で旅をしてたんだけど…遭難して……。あんたは?」
男は俺をまじまじと眺めた。
俺に穴が開きそうなほど凝視してきた。失礼な男だった。
男も名乗った。
「…俺は三可見。奴國の生まれだ…」
男は俺を凝視することを止めなかった。
この男、不審者としか思えないんだが…。
「そうか。三可見って言うのか。三可見、よろしくな」
俺は剣と少しでも早く合流したい。
とりあえず、剣が寄港したはずの三野方か、母国の弥を目指そうと考えている。
三可見、この男は自分の名前以外、何も語ろうとしなかった。
夜半、三可見の熱が上がった。
三可見は動ける状態じゃなかった。俺は上背のある三可見を背負って、泊めてくれる家を探して回った。
海近くの集落で、大きめの竪穴住居の戸を叩いた。
親切そうな若い男が戸を開けた。
「誰だ…?」
「俺は多伎。旅の者だ。海で遭難した男を助けたんだ。手を貸してほしい…。この人は高い熱があるんだ。一晩、泊めてもらえねぇか?」
俺は精一杯の気持ちを込めて頼んでみた。
戸口の男は残念そうな顔をした。
「…それは無理だ。シキタリだからな…」
「シキタリ?」
「そうだ。…毎年、ちょうど今頃、タタリ神が海からやってくる…。流行り病を伴って…。旅人と熱のある人は泊められない。この郷のどの家も同じだよ…」
若い男は疫神と災厄の話をして、俺の頼みを断った。
そんな迷信…と思うけど、この世界には風邪薬もワクチンも無いから、当然の予防方法かも知れない。
俺は泊めてくれる家を探して、晩秋の風が吹きすさぶ集落を回った。
「…多伎。怪我をしてるのか…?」
三可見が気付いた。
俺はずっと片足を引き摺っている。時折、痛みに顔が歪むほど。
「どうってことねぇ」
俺は強がりを言った。




