第5章 シルト ・ 第3話 大腿骨をもらう ②
「お前が勝てると思うのか?」
兄鬼は信じられないと言った表情だ。
鬼の兄弟に前後を挟まれ、俺は絶体絶命だった。
潮騒が聞こえる。俺達は薄暗い岩陰で藍色の光に照らされている。
間近で見る鬼は、赤い目がギョロッとして恐ろしい。
着物は古い時代の物で、擦り切れてボロボロ。長い髪を振り乱し、一本角も黒い爪も禍々しい。
弟鬼に続き、兄鬼が俺に襲いかかってきた。
俺は斜め後ろに一歩引く。兄鬼の剣を皮膚一枚ギリギリで避けた。
「俺は脳味噌をもらう…。弟よ、こいつの目玉を刳り貫いてくれてやる」
前後を挟まれないように、相手二人を同じ方向へ持っていくように自分のポジションを取りたい。
それが思うようにいかない。この岩場の足元の悪さ。
俺は何故、飛べなくなった? 何故、退魔術が使えなくなった? 単に霊力切れ?
俺は考えながら鬼との間合いを計り、じりじりと摺り足で動く。
弟鬼が背後から斬り込んできた。
俺は振り返りざまに剣を一歩分で避けて真っ向打ち、後ろ突きで兄鬼を突く。
己の剣を引きながら足を踏み替え、兄鬼の頭に短剣を鋭く打ち込む。
力むと切れ味が落ちるから、打つ瞬間でも上腕は力まない。柔らかい豆腐を切る感覚で兄鬼の頭へ切り込んだ。
硬い角がスパッと割れた。
でも、そこまでだ。兄鬼がニヤリと嗤う。
俺は背後からの攻撃を受け流しで振り返る。弟鬼の剣を流して斬り返す。
関節技をキメられる前に関節技で返す。同じ体勢から速い方が関節技をキメる。
弟鬼の腕を巻きながら回り、兄鬼の剣を弾き返す。
弟鬼を兄鬼に向けて投げる。
こいつ、重い! 100キロあるかな。
体重が自分の1.5倍ある相手との勝負は無理だ、と言われていたことを思い出す。
こいつら、身長は180センチ以上で体重は100キロ超級だ。
弟鬼が太く強靭な腕でラリアートをかまし、俺を岩壁まで吹っ飛ばした。
俺は岩場をバウンドして落ち、いきなり大きなダメージを負った。
鎖骨か肋骨、折れたかも! 息が出来ない。
鬼達は猫が小さな獲物をいたぶるように俺を弄ぶ。
こいつらは元々、本当の兄弟では無さそう。顔が全然違う。
弟鬼が岩を素手で殴って砕いた。
俺に破片が飛んできた。なんて馬鹿力だよ。
俺はこの戦いで、子供が大人の男と戦うほどの体格差・筋力差のハンデを負っている。
弟鬼の跳躍力は凄まじく、岩から岩壁に跳び、岩壁を蹴り上がって、空中から仕掛けてきた。
俺は地面に叩き伏せられた。血だらけで岩場を転がって、兄鬼の剣を避けた。
鬼達は勝利を確信し、俺を両側から突こうとした。
俺はバク転して避けた。
その瞬間、兄鬼と弟鬼の剣がクロスして相討ちになった。
俺を刺そうとした時に俺が消え、自分達で刺し合ってしまった。
「この…小僧が!」
兄と弟がどちらもシュウシュウと白い煙を出し、傷を修復する。
弟鬼の全身から青白い光が噴き出し、ビリビリ痺れるほどの霊気がきた。
この鬼達から電気を感じる。
雷のように感電しそう。
俺は千歳兄と龍髭館でやった撃剣の稽古を思い出す。木剣で戦って、俺は師範の息子の千歳兄に勝てない。あの時、千歳兄は俺と段違いの技で捻じ伏せにきた。
途中から千歳兄の弟の千春が割り込むように参戦してきた。
千歳兄と千春の息がぴったりで、壁際まで追い詰められた。
もうダメかと思った時、俺のある作戦が閃いた…。
この鬼達は剛力と雷撃で俺を破壊する。
死人だからどこも痛くないのか、わざと関節をバキンと鳴らして、強引に俺の技を外してきた。兄鬼は脱臼した右手から、左手に剣を持ち換えた。
実戦は地味で泥臭い上、カメラ映えしない。ちっとも格好良くないし、第一、映画みたいに華やかじゃない。
何をやられたか、わかった時には死んでいる。
敏捷なことが取り柄の俺。弟鬼の剛力は途轍もない破壊力だが、結構無駄な大振りをする。
鬼達に俺の技は殆ど効かない。装甲車を素手で殴るようなものだ。
俺は兄鬼を躱し、無謀に見えるフロントサイドから懐に入って、相手に動きを合わせて腕を絡めてゆく。
俺に肩関節をキメて投げられる寸前で、兄鬼が雷撃を発した。
感電。
俺は目から火花が出て、一瞬で膝から崩れ落ちていた。
俺が立ち上がる前に、顔面に膝蹴りが来た。
その瞬間、どう避けたかは記憶にない。
気が付いたら俺が蹴り返して兄鬼の蹴り足が折れ、その剣の柄に俺の手が届いていた。
俺は兄鬼の手首を掴み、その剣先でこいつの太腿を刺した。
「ギャッ…」
兄鬼が叫び、両足を抱えて蹲った。
弟鬼が俺の背後を取り、逆手の剣で俺の背を刺しにきた。
俺が横に一歩躱す。
弟鬼の大振りな一撃が勢い余って、兄鬼の額に突き刺さった。
刹那、兄鬼の額から銀色の精気が筋状に迸って、空中に四散した。
兄鬼が地面に片手を着いた。
「やったな…」
兄鬼がむせて血を吐いた。口から大量に銀色の精気が流れ出た。
兄鬼はシュウシュウ白煙を噴き上げながら、修復が追いつかなかった。顔の皮膚が弛み、ドロドロと溶け始めた。
兄鬼の折れ曲がった左足がトカゲの尻尾のように再生される。
少し時間をかけ、額の穴が埋まっていく。
兄鬼の顔面が溶け崩れた後、老人のように干からびて萎びていく。
俺は気持ち悪くて、思わず後退した。
「畜生! 兄よ、油断しすぎだぞ!」
また弟鬼が猛攻を繰り出した。
俺達は激しく打ち合った。
一瞬も歩を停めずに打ち合う。
弟鬼が体重を乗せて重い一撃を打ち込む。
俺は剣を横に傾けて添え手で受け、受けた状態のままで短く突き返す。
そこから突くと瞬時に喉へ入る。弟鬼の喉に穴が開いた。
それでも弟鬼は倒れない。
相手の剛力を受けた時に俺の両手が痺れた。
俺は弟鬼の隙を求め、弟鬼は自分の得意なスタイルに嵌めようと俺を誘う。
兄鬼が立ち上がって背後から来る。
そして、兄鬼と弟鬼がクロスして撃ち合うように間を抜ける…。
これは俺が千歳兄・千春の兄弟コンビに勝った方法。
兄鬼の渾身の一撃が弟鬼の脳天を割った。脳味噌が飛び散った。
弟鬼の脳天から銀色の精気が噴水のように吹き上がった。
弟鬼が岩場に倒れ、黒い血溜りの海を作った。頭部を半分失い、ピクピク痙攣していた。
俺は足が再生されたばかりの兄鬼と対峙する。
俺の体力は残りゼロ、もう何の余力も無いのだ。
「…ここがどこか、聞かせてもらおうか」
「チッ…」
老人のごとく皺々となった兄鬼が舌打ちした。
「お前、結構やるんだな。俺も年を取ったもんだ……」
兄鬼は痙攣する弟鬼を抱え、最初に居た岩場に登っていく。
弟鬼も失われた脳味噌が修復され始めた。躰は百歳以上の老人になり果てたものの、普通の屍の鬼のように滅びなかった。
俺は疑問だった。ここまでダメージを受けて、こいつらは何故終わらないのだろう?
「ここは黄泉の国か?」
俺は答えを求めた。
「海の底だ」
兄鬼が岩場全体を見張るように、自分の腰掛けと定めた岩に座った。
「海の底⁉」
俺は息を吸い込み、藍色の空を仰ぐ。どんより曇り、月も太陽も見当たらない。
空が海なのか…?
あの世は海の果てにあると聞いた。俺は今、そこに居るのか?
「ここは常世。死後の島だ」
兄鬼が認めた。
「小僧、生者の世界へ行きたいなら、その道をまっすぐ進むんだな。勇気があれば…」
兄鬼が指差した方向に、藪に覆われて崖上に続く獣道が隠れていた。
「俺は行くよ。どこだろうと」
俺はその獣道を進んだ。




