第5章 シルト ・ 第1話 倭の國のテッペン ⑤
「奴の内海を抜けるぞー!」
剣が声を張り上げ、俺達はひたすら漕ぐ。
『滄溟の鳥』が志加の島の外側を迂回しながら、静かな湾から漕ぎ出ていく。
海鳥達が騒ぐ。冷たい向かい風に波が立つ。
空がどんよりして、海の色が暗い。
寒かろうが、俺達は漕ぎ続ける限り汗だくだ。
擦れ違う船に櫂を振る。もう二度と会うことはないかも知れないけど。
俺は船漕ぎ歌を怠けて、後ろの久斯と話す。
「久斯、会いたい人と会えたか?」
久斯は二十年前に生き別れた幼馴染を探している。
最後に会ったのは、奴國に属す久斯國が滅ぼされる時。今では、その相手はもう誰かと結婚して子供も産んだと思われる。
久斯は奴國に来る度に空き時間を使って、その幼馴染を探しているようだ。
その相手の女性は久斯より一つ年上で、生きていたら二十六歳。名は早依。
「…何一つ、手掛かりすら掴めないよ。多伎…」
久斯は溜息をついた。
「特徴はあるの? 俺も一緒に探す」
どこかでその人と擦れ違ったら、久斯が会いたがっていることを伝える。
俺達は波飛沫の向うに会いたい人の面影を思い浮かべる。
俺も元の世界の両親のことが気に掛かっている。
「そうだね…。多伎。もし、顎の左側に小さな痣のある綺麗な女を見かけたら…、久斯國の出身か、聞いてみてほしい…」
久斯は遠くを眺めながら呟いた。
俺は今朝の出来事を思い出す。
いつもより早起きして、淡由岐を散歩に連れ出した。
今日は出航だから、その前に狼の淡由岐を沢山歩かせてやろうと思った。淡由岐は犬みたいに散歩が大好きだった。
淡由岐は日に日に大きくなってきた。
俺が佐原の郷から奴津に続く道を歩いていたら、向うから海狭児が走ってきた。
「奴津に行ってきたのか?」
俺は不審に思った。
「ウェ~イ。朝トレっす! 俺、筋肉鍛えてるっす!」
海狭児がこの寒い朝に頬を上気させて、ハァハァ言った。
海狭児は粗末な長袖シャツ(貫頭衣)一枚に袴パンツ、草鞋だけで、俺の着物と比べたら薄着。
「よーし。じゃ、俺と武術の稽古でもしようか…」
俺が柔術の構えを見せると、
「多伎さまは変てこな体術を使うから、ヤダ」
海狭児は後ろに下がって逃げた。
海狭児が言う俺の体術…、前に海狭児が霧の中で田嶋を待ち伏せして斬りかかり、俺に背負い投げされた時のことだ。
以前、海狭児と志毘の喧嘩を見た時、海狭児は志毘のパンチを空手に似た動きで防いだ。
俺は柔術・剣術をやってきた。海狭児と手合わせしてみたくてウズウズした。
俺が間合いに踏み込み、海狭児が打ってきた。
お互いに腕試しの気持ち。
俺は相手の手を取りたい。
海狭児はそれを外し、警戒して回し蹴りしてきた。俺はその軸足を払った。
海狭児を地面に倒して寝技・関節技に持ち込む。
「ヒャ、ヒャー、やめてぇー。多伎さま…」
途中まで鋭かったくせに、海狭児は実力を隠そうとした。
ただのチンピラ船乗りが強いとまずいのか、俺との勝負を避けて降参した。
海狭児の逃げた先に淡由岐が居た。
淡由岐は海狭児になつかない。淡由岐がガウウウ…と唸った。
「多伎さま、やめてー。俺、狼怖い…」
「別にけしかけてねーし」
俺は狼語がわからないからな。
淡由岐はこう言っていた。
「ガウワウ、グルルルル…、ワウワウアウ…(俺、こいつ嫌い…。胡散臭い…)」
調子に乗った海狭児は、他に誰もいない海辺の小道で、俺から情報を探り出そうとした。
「多伎さま。どこの身の娘と同盟婚するんすか?」
俺はスパイの海狭児に偽情報を流した方がいいんだが、嘘と事実を上手く混ぜて話さなきゃいけない。
「バーカ。三野方出身者なのに、そんなことも知らねーの? 俺は三野方の大身の娘と、生まれた時から婚約してんだよ…」
「それは…知ってた。真具呂が怒ってたっす。釣り合わないって」
「はぁ⁉」
俺は海狭児に釣られそうになった。
「海狭児! 真具呂は俺が嫌いなんだよ。いつも俺を睨んでるからな!」
「真具呂は、多伎さまより剣さまと三野方の姫が結婚してほしい、その方が三野方の将来がアンタイだって言ってた。…アンタイって何すか?」
海狭児の方が事実を上手く織り交ぜ、とぼけてきた。
クソ、真具呂のやつ…。
「じゃ、多伎さまの同盟婚じゃないんだ。三野さまに縁談が? おめでたいじゃねーすか!」
海狭児は更に掘り下げて聞いてきた。
「三野の縁談は八雲の大御身が決めるだろ。俺と剣は関係ねぇ」
俺は面倒臭くなってきた。
「そうすね。八雲が次に同盟婚を組む相手は、奴國か火國だって、真具呂が言ってた」
海狭児は何でも真具呂のせいにした。
真具呂がその場に居ないからわからないが、真具呂がそんな政治的なことを言うだろうか。
「海狭児。お前、そんなこと気にしてどうする? お前は誰と結婚すんのよ?」
と、切り返す。
海狭児は両手を振って、断固として答えた。
「俺は結婚なんかしないって! 俺に惚れてる女達が皆泣く。俺は誰のものでもない、女達皆の共有物なんで!」
おい。
お前、そこまで言うほど女に囲まれてるとこ見たことないぞ。
「多伎さま。だってね、東のヤマトと西のヤマト、どっちがテッペン取るかという話になってきてるわけだから、八雲が西のヤマトと揉めたくないなら、そりゃあ、奴國か火國と同盟婚するでしょ。鬼御子のご機嫌を取るでしょ……」
海狭児が話す途中で、俺はこめかみの血管がブチッと切れそうになった。
「八雲は鬼御子のご機嫌なんか取らねぇ!」
死者を玩具にするような鬼術師・鬼御子。
反吐が出る。
「…じゃ、火國のアンチ鬼御子派と組むんすか? それも、負け組っすよ?」
呆れるほど、海狭児がしっかりした質問を馬鹿っぽく話す。
う…、俺は…漏らすほどの情報を剣から聞かされてなかった。
俺は海狭児に言い返した。
「それは政治屋の考えることだ。俺達みたいな兵隊の考えることじゃねぇ。…ただ、俺の知る剣は、卑怯なやり方はしない。正々堂々、正面突破だけだ。逃げたり、誤魔化したり、媚びたり、…そんなのは俺達のやり方じゃない」
俺は自分でも驚くほど、八雲贔屓になっていた。
海狭児の目が点になっていた。
海狭児は話が難しすぎて頭の回線がショートしたみたいに、暫く呆然とした。
それから、急に真面目な顔をしてこう言った。
「…多伎さまぁ。俺は誰と結婚すんのか、聞いただけだよ。…じゃ、八雲は正面から火國と戦でもやるんすか? 八雲、割と平和なクニっすよね? 火國なんて、この五十年、戦ばっかりやってたクニなんで。舐めない方がいいっすよ!」
海狭児の思うことが伺える発言だった。
海狭児はハッとして唇を噛み、少し慌てたように佐原の郷へ戻っていった。
『滄溟の鳥』の乗組員達が俺と剣達の帰りを佐原の郷で待っていた頃のこと。
漕手の中で年が近い海狭児と比良と波知が、一つの焚火を囲む。
暗い夜、仲間達が寝静まった後、三人で炎をじっと見詰めていた。やがて、ぽつぽつ、互いに身の上を語り出した。
比良と波知は三野方の平凡な漁師の子供だった。
真具呂と村が近くて、自然と船乗りになった。
海狭児も自分の生い立ちを少し曖昧にぼかしながら、二人に話し始めた。
「…俺の生まれた郷はクニ境で…、筑紫じゃ平凡すぎるくらい、年中戦をやってるとこさ…」
海狭児は踊る炎に見入り、ふっと笑った。
炎が海狭児の心を捕えて離さない。彼の生まれた郷で、火と日は全く同じ、光と熱をもたらすものだった。
ヒは魔を祓い、邪を焼き尽くし、清浄に浄める。
活火山があり、火の祭りがある、火を信仰する郷だった。
しかし、時に火は苛烈に、老若男女問わず問わず人々を焼いた。
集落の建物全てを焼いた。
「俺達の戦は全てを燃やし尽くさないと終わらないんだ…。火は好きだよ…、でも、恐ろしいな……。戦の時には、必ず襲われた集落が焼かれるんだよ。何か、互いを呪い合うみたいにさ…」
海狭児の心が記憶の中へ、幼かった頃へ返っていく。
海狭児の生まれた地域では同族が絶えず殺し合っていた。
一つのクニで北部と南部に分かれて争い、更にその周辺のクニとクニが争っていた。
理由はくだらない。領土の奪い合いと報復だった。
地域の盟主の座をかけて名門部族同士が戦い、果てしなく平民が巻き込まれていた。
八雲のように同盟婚で戦を避けようとする動きもあったが、大抵、どちらかが裏切る。
すると、血が大量に流れるような報復が行われた。
「…継母のイジメが酷くて…俺は子供のうちに家出して、実母の実家に帰った。それでさ、優しい祖父母に育てられたよ。うちの婆さまは…俺の育った郷の長でね…、両腕に何十本も貝輪(貝製腕輪)を嵌めてたんだよ……」
海狭児の祖母は、弥の辰姥みたいな村の祈祷師だった。
イモガイの白いバングルを両方の二の腕から手首まで連ねて嵌め、呪術的な赤い化粧を施していた。
「俺は十五歳でまた家出して、水門の不良仲間と遊んでいた。戦と聞いて、郷に駆け付けた時にはもう……、婆さまが死んだ後だった…。家は全部焼かれてた。…それで、十六歳で戦に出て戦って…、その戦は俺の地元がボロ負けで…、俺も捕まって殺されそうになって…逃げて、また逃げて、逃げまくって……真具呂と出会った…」
海狭児は一部省略したが、大体は事実を比良と波知に話した。
「…そうか。じゃ、三野方に来たのは最近だったんだ。道理で、見たことない顔だと思ってたよ」
比良は疑問だったことがわかって、すっきりした。
比良と波知の故郷の三野方は、海運業で有名。クニとしてはそんなに大きくないから、大抵は顔見知りだ。
比良と波知は、海狭児をよそ者なんじゃないかと疑っていた。
海狭児は出身地を筑紫と言った他、細かく限定しなかった。
比良と波知にとって、そんな細かいことはどうでもよかった。二人は海狭児を好きだったし、細かい事情なんか聞こうと思わなかった。
海狭児が思い出す故郷は、戦士の村。鍛冶屋がとても多かった。
海狭児の郷の鍛冶屋は、殆どが農工具を作るより武器作りが中心だった。鉄剣鉄刀、殺傷力の大きい鉄鏃などを沢山作っていた。
鍛冶も火を使う。鉄の溶ける色合いは最高に美しい色だった。炎と同じ色だった。
(俺がスパイになったのは…仇を討つ為だ……)
炎を見詰め、心の中で呟く。
海狭児は祖母や親戚や友達の死に顔を思い出す。あの焼け野原と血塗れの死体を。
祖母達を殺した勢力がどこの誰か、それはわかっている。
もう涙は湧いて来ない。ただ、心に誓いがある。
(…俺は同族殺し…)
ダブルスパイ。
汚名なんて怖くない。地元の仇を討つ。それだけ。




