第5章 シルト ・ 第1話 倭の國のテッペン ④
奴津の西5キロに佐原という郷があった。
異国人も沢山住んでいたし、奴國系や伊都系の人もいたが、八雲系移民もいた。
八雲系移民はそこの土で八雲系土器を焼き、玉作りして、葬儀も八雲式だった。
真具呂は俺や剣達が鬼の集団を討伐している間に、船をその佐原の津に移動させていた。
剣達は故郷に帰ったようなリラックスした環境で傷を癒し、帰途につくことになった。
出航の朝、俺達の船『滄溟の鳥』へ向かう途中、剣の側近の奥津が話しかけてきた。
「多伎さま。頭を打って、記憶が混乱してるそうですね。剣さまから聞きました…。漕手のあいつとあいつ、わかりますか? 八雲と同じような髪型と着物ですけどね…、あいつらは八雲人じゃないんです」
奥津によると、弥の東に雲があり、その東に波波岐があって、波波岐もまた八雲のように連合で、その東に伊奈葉という連合がある。
ここまでは血縁関係にある。同族に近い。
野江と来江はそこの出身。
さらにその東にも通婚関係のクニグニがある。弥の御身が現在居る多加國もその一つ。
通婚関係は北陸・古志まで続く。将来的には各地で八雲の大御身の血を引く子がクニとクニの架け橋になり、異母兄弟の大連合になる。
ここで間違えないように明確にしておきたいんだけど、これは八雲が北陸まで支配したということじゃない。勿論、北陸の首長はあくまで地元勢力だ。
八雲は地域支配に干渉しない。
同盟は外交・経済・安全保障の話なんだ。
そして、更に多加國から南に分水嶺を越えれば、長大な中海に面した潮の諸國にも、三野の異母弟が産まれていて、重要な同盟国になると言う。
「…どんだけ産ませるんだよ。ハーレムとは違うよな。現地妻だもんな…」
俺は八雲の大御身と会う日が楽しみになった。
英雄で絶倫、男として尊敬してしまうね。
「同盟婚って大事なんだなぁ…」
俺も納得しかない。
弥と筑紫を繋ぐルートを盤石にする為、俺は三野方の大身の娘と結婚することになっている。
多伎の婚約だけど、多伎と俺の中身が入れ替わって、俺はこの宿命から逃れられない。
「多伎さまは相手が一人だから、まだ気楽ですよ。三野さまや、三野さまの兄の雲の身・鷹の身は、それこそ多くの政略婚が待っている…。八雲の大御身の次世代として」
奥津は海を眺める。
佐原の津にも沢山の船が出入りしていた。
「えー、三野は平民の娘と結婚するって言ってたぞ。自分の嫁は自分で探すって…」
「そんな風に行くわけないでしょうが。あの大御身ですよ」
奥津は三野の父子関係を一言で言い表した。
三野も大変なんだと知った。
「そりゃそうと、奥津。この前もらったサンプルの鏃、あれ、良かったよ…。魔除けのオキの石の鏃にとても強力な神気が依る。なるべく急いで、また手元にほしい」
俺は邪龍を一撃で滅ぼした矢『鳴神』が気に入った。
オキの石とは、黒曜石。
黒いガラス質で出来た小ナイフみたいに鋭く尖った石鏃だった。
「効きましたか。それはそうでしょうよ。特注品です」
奥津は笑い、材料の入荷・製作を早める件、快諾した。
宇加と佐香は火國との縁談が進行中とは全く知らず、楽しく旅行していた。
病気の長兄が心配で気持ちは焦るけど、女の足で陸路だから、それほど早く辿り着かない。
宇加と佐香は一生懸命歩く。
しかし、乳母や侍女達はダラダラ歩く。足の裏が痛いとぼやく。
大勢の護衛も休憩が必要だ。
大人数の旅だから、宿泊施設の確保も食糧調達も色々と大変だった。
大変なことを楽々やってのける雲の身が率いていたから、旅行中のトラブルは何も起きなかった。山賊も人買いも出ないし、美味しい食事とおやつがあった。
宇加と佐香はいつも笑顔で護衛達に食事を配ったり、遠慮せず暖かい焚火の側に来るように誘ったりした。
護衛達も宇加と佐香に恋してしまいそうだった。
そんな中で宇加は毎日お洒落し、綺麗に髪を結い直し、心ときめく恋をしていた。
宇加の頭の大部分をその異性のことが占め、俺と剣のことは余り頭になかった。
毎日、楽しい歌を口ずさみ、今日は雲の身が笑顔で声を掛けてくれたとか、今日は宇加が作った料理を雲の身が残さず食べてくれたとか、佐香と嬉しそうに喋っていた。
宇加が好きになった相手は、兄の親友。ありきたりな恋だった。
雲の身か。
悔しいけど、多伎が宇加に片思いだったのも仕方ないと思える。
恋敵が雲の身じゃ、絶対に勝てない。
八雲の第二王子。眉目秀麗、カリスマ性のある若手リーダーの雲の身。男の俺でも惚れそうなほど格好いい。
八雲の大御身の后が剣・宇加達の姉。人物相関図を書くと、宇加は雲の身より年下なのに叔母ということになる。
ややこしいぞ!
八雲では甥と叔母の結婚が認められている。宇加はせっせとアピールし、摘んだ花を届けたり、手料理を届けたりしていた。
宇加と雲の身の出会いは四年前。
長兄・弥の御身の遠征が決まり、その出陣式の前に雲の身が挨拶に来た。
弥の御身に挨拶しにきた大勢の男達の中で、雲の身がダントツ華やか、人を惹き付けるカリスマがあった。
当時の宇加は十二歳。雲の身は十九歳。
雲の身はまだ髭もなく、髪をきれいな髷に結い上げて凛々しかった。
宇加は遠くから雲の身に気付き、夢中で次兄・剣に聞いた。
「ねぇ、剣兄さま。あの人は誰⁉」
「どれ?」
「ほら、あの格好いい人だよ」
剣は来客を見回し、ちょっと不満そうな表情を浮かべた。
「あれか。大御身の御子、雲と言う。異母兄の鷹とは同じ年生まれだが、どっちが跡継ぎとかじゃなく、二人とも若さま(王太子)扱いなんだ」
「そうなんだ。目立つよね」
宇加が目を輝かせているが、剣が小声で注意した。
「あいつは父親似で女たらしだからな。気を付けろよ」
「ふーん」
宇加は半分聞いてなかった。
その後で、雲の身と弥の御身が喋り始め、彼は横に居た宇加を見てこう言った。
「弥の御身。可愛らしい妹君ですね。こんなに美しくて可憐な方は…余り見たことがないな。私が独身だったら、すぐに結婚を申し込むところです」
いや、たぶん、社交辞令だった。
佐香が席を外し、兄達の横に居た妹は宇加だけ。うぶな宇加はポーッと赤く頬を染めた。
「剣兄さま、今の聞いた? 私、あの人と結婚する!」
本気で言った。
剣は慌てた。
「あいつはやめとけって! 変態だから!」
だが、宇加はもう恋に落ちていたんだ。
それから四年。雲の身と宇加はたまにしか会えずにいた。
病弱な宇加が熱を出した時に、お見舞いに来てくれたことが二回くらいあった。
その時にもらった、雲の領地の玉作り工房で作られたネックレスは、宇加の一番大事な宝物になった。
兄・剣と雲の身が会っていた日でも、後から知って悔しい思いをしたことがあった。
剣が船出して二年も帰らなくて、雲の身と会う機会が滅多になくなった。
それが政略婚の間際になって、急遽、一緒に遠方まで旅が出来ることになった。
「ねぇ、佐香! 私、この旅でもっと雲と親しくなりたいんだ!」
宇加はとても張り切っていた。
しかし、食事は別々。宿泊施設は距離があり、同席する時は護衛も一緒。雲の身と二人きりで話す機会に恵まれなかった。
「もしかして、雲は何か隠してる? 何か秘密があるんじゃない?」
宇加は気になった。
そう思わせる何かが本当にあった。
宇加は雲の身を追いかけてウロチョロしたけれど、何も掴めなかった。
そのうち、途中の伊奈葉で三泊することになった。
その初日、宇加はやっとチャンスを得た。
伊奈葉は八雲と同じ文化圏で、そこの女盟主は八雲の大御身の妃の一人。
伊奈葉の御屋で歓迎の宴が催され、宇加は雲の身の隣に座ることが出来た。
雲の身は親しみやすい人柄で、気取ったところがない。喋ると案外砕けた部分があり、見た目とイメージが違う。
「宇加、お酒は飲めるの? 無理しなくていいからね」
雲の身は宇加にも気遣いを見せる。
宇加は話に混ざりたいけど、雲の身が伊奈葉の身と政治の話をしているから、口を挟みにくい。
その話が一段落したところで、反対隣の佐香が宇加を肘で小突いて合図してきた。
「今だよ。行け! 宇加!」
「待ってよ…」
宇加は何を喋ろうか、ずっと考えてきた。
でも、全然別のことを喋ってしまった。
「雲は、うちの剣兄さまと仲がいいよね。どうして?」
雲の身はご機嫌でお酒を飲みながら、
「剣の叔父上と? 何だろうね。何でも話せる。話しやすいとこがいいのかな」
宇加にニコニコして答えた。
雲の身には妃が二人いる。結婚して何年も経つのに子供が出来ず、不仲の噂があった。
近く離婚するという噂まであった。本当だろうか?
でも、いきなりそんなことは聞けない。
「雲。いつも優しいね。私の相談、聞いてくれる?」
「剣の叔父上に話せないようなことなの? いいよ、勿論」
雲の身は快く受けた。
「私、もうすぐ結婚させられるの。そういう年だし、結婚しなきゃならないのはわかってるけど、好きな人に嫁がせてもらえない。やっぱり政略婚なんだよね……」
一夫多妻制だから、宇加の夫となる人はどの道、沢山の妻を持つ権力者。
宇加は先妻がある男を受け入れる覚悟でいる。
だが、夫をどんなに愛したところで独占は出来ない。次は若い女に夫の愛情を奪われていく。それが一夫多妻制。
「宇加、好きな人居るの? 剣にちゃんと話してみれば?」
好きな人に言われると困ってしまうようなアドバイス。
宇加は悲しそうに俯く。
「…もう言った。ダメだったよぉ…」
「へぇー」
雲の身は驚いたように、
「宇加、やるじゃないか。相手はどこで会った男なの? 宇加にそこまで思われるなんて、幸せな男だね…。俺が宇加の兄貴だったら反対しないのに。剣に言っといてあげるよ。それで、相手は誰?」
宇加は胸が一杯になる。
花を届けたり、手料理を届けたり、好意を示してきたつもりなのに雲の身は鈍いのか。
鈍い振りをされたのか。
「…雲はどんな女の人が好き? 自由に妃を選べるの?」
「俺? どうしてそんなことを聞くの? 俺は…女の子全部大好き。…だから剣に変態って言われるんだろうな。剣は一途だからなぁ…」
雲の身はずっと笑顔で楽しそうに話す。
今夜の雲の身は肩までの髪を緩く捩じり上げている。普段の髷の結い方はとてもルーズで、日によっては髷すら結わない日がある雲の身。
八雲で一番端正な顔立ちをしている。
「宇加。俺も自由に妃を選べない。全部、うちのオヤジ殿に相談しなくちゃ。俺の結婚はどうしても政治的なものになってしまうからね。でも、ある程度は希望を言っているよ。お前は我儘だ、とオヤジ殿はいつも怒っている」
雲の身はブルブルと父親を畏れて震える仕草をした。
雲の身のオヤジ殿、やり手の八雲の大御身。
どんな希望を父親に言ったんだろう。宇加はそこが知りたいのに。
「雲…、私みたいなタイプは? その…雲みたいな男の人から見て…どうなの?」
「大好きだよ」
雲の身は即答した。
こういう言い方が一番異性を悩ませる。
「宇加。そんなに悩まないで。結婚は家と家が決める。当事者にはままならないものだね…。宇加もちゃんと希望を、剣や弥の御身に伝えておくといいよ」
いや、それがダメだった。
旅立ちの日の朝、剣は宇加の希望を即、却下した。
「宇加。雲は友人として本当にいい男だよ。最高だ。でも、女性には…お勧めしない。あんな男と結婚しても幸せにはなれない。お前には諸国の身から求婚が殺到してるんだぞ。もっといい条件の相手にしろ!」
雲の身が女たらしと言われるのは、まだ本気で好きになる相手と出会ってないだけ?
伊奈葉の宴の席で、宇加が最後に聞いたこと。
「雲は父親が選んだ妃達と結婚して、幸せ?」
宇加は心に一つ、決めていることがあった。
もし、雲の身と妃達の仲がうまくいっているのなら邪魔しない、ということだ。
泥沼は望むところじゃなかった。
「…宇加も結婚してみなよ。どういうものかわかるよ。ああ、こんな感じなのか、って」
雲の身が優しく宇加の頭を撫でた。
微妙な言い方。
宇加は胸が一杯で、その日の豪華な夕食が食べられなかった。いつもご飯をお代わりする宇加。
恋をすると一喜一憂してしまう。心の中が嫉妬でドロドロになったり、不安で情緒不安定になったりした。
「宇加、大丈夫?」
姉の佐香が心配した。
「宇加。そんなに雲の身を好きなんだ。この旅が最後のチャンスだよ。政略婚させられる前に何とかしないと。何でも協力する。頑張ろう、宇加」
佐香が宇加の手を握った。
「うん。そうだね。頑張るよ!」
宇加は妄想を膨らませ、雲の身の心を捕える作戦を考えた。
あの手この手で、色仕掛けも考えた。
「酔っ払った振りをして夜這いする、というのはどうかな?」
「宇加。そんなこと、あなたに出来るの?」
佐香が笑ったが、宇加は本気で考えている。
好きになったら、その相手が本当に欲しいものだ。
雲の身がどれほど妃達を愛しているのか、自分に好意はあるのか。宇加は確かめたい。




