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八咫烏 ―YATAGARASU― ~邪神と巫が入れ替わる~  作者: 柴犬ジョニー


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第4章 レガリア ・ 第3話 宜陽殿の戦い ②

 日が雲間に隠れるように、宜陽殿の内部が急に暗がりになった。

「そろそろ、(いまし)の手に縄を掛ける…」

 壱子がそう宣言して、青摺衣(あをずりのきぬ)の懐に手を入れ、自分の首飾りを取り出した。

 無色透明の水晶小玉の首飾り。数珠のようなもの。緒で繋いだ一括りの輪を8の字形に捻り、俺に手錠を嵌めようとするように突き出した。

 封印だ!

 即、俺は両手を背中側に引っ込め、床を滑るように退いて宜陽殿から出ようとした。

 俺の背後でガチャンと鳴って、出口の鍵が閉まった。

 当然、指紋認証の扉の鍵の方なら何とかなった。

 そうじゃなくて…、大御巫・壱子が閉じたのは、結界の鍵だ。

 俺は宜陽殿の内部が暗黒世界の水滴の一滴(ひとしずく)のように変化するのを感じ取った。

 足元を掬われるように、揺れを感じた。

「うわぁ……」

 一瞬で床がボヨンボヨンのエアークッションみたいに変化した。

 いや、床なんてもう存在しない。板間は空気入りチューブを繋ぎ合わせたようにボヨンボヨンで、凹凸もランダム、まともに歩くことが出来ない。

 俺の体重で勝手に浮き沈み、撥ね返されて壁まで飛ばされる。

 その壁も風船の集合みたいにぷよぷよしていた。

 どこも掴めない。どこにも立ち止まっていられない。

 采女のクツが両方脱げた。赤い袴が捲れ、七海の太腿が見えた。

 俺はこの空間を転がって弾み、ポヨーンと飛ぶ。

 クソッ!

 俺の頭上のずっと上だけが明るく、そこは水面のように波立ち、水飛沫が上がっていた。幾重もの同心円の輪の重なりと広がり、きらめきがある。

 俺は黒く澱んだ水底で足掻いている感じだ。

 この空間の外側に巨大な壱子が居るのが水面越しに見えた。

 この本体の壱子は未だ斎院・七の宮に居て、ヤシロの前の燈籠に火を点そうとしている。

 俺を閉じ込められた(あぶく)の表面を覆うように、溶けたロウを垂らしていく。

 垂らされた部分からロウが固まって、俺が居る小世界に射す光が半減してきた。

「待て、大御巫! お前、何をやっている⁉」

 俺は本体の壱子に呼びかけようとして、水中で息を吐くようにゴボゴボ…と音が鳴るのを聞いた。息苦しかった。

 この暗黒のポヨンポヨンの世界で、小型の壱子が笑いながら俺に近寄ってきた。

 8の字に捻った水晶玉の首飾りを手に持って、空中をスーッと漂ってきた。

 宜陽殿に居た壱子は、最初から分身だった。

 壱子が宜陽殿に居るはずなかった。

「多伎。諦めるがよい。内裏の建物は何度も焼失しておる。その度に八坂瓊曲玉が無事で済んできたわけがなかろう?」

 壱子が哄笑した。

 分身の壱子が俺の背中に取りつき、俺の左手首に水晶玉の首飾りを掛けようとした。

 両手に巻かれたら、その時が俺の最後だ。永久に囚われの身だ。

 俺は壱子を霊力で吹き飛ばした。

「多伎…。無駄だ。この結界の中で、(われ)は無限…」

 壱子はポヨンポヨーンと跳ね、すぐ戻ってきた。

「大御巫。カタシロがあるなら、原形がわかるだろう? 原形だけでも教えろ。それだけでいい…」

 俺は分身の壱子の頭部目がけ、『九雷堕(クライオツ)』をぶっ放した。

 壱子が吹っ飛び、その頭部が微塵に潰れた。

 首から上がもげ、鎖骨の上に大穴が開いて、大量の血を噴き上げた。

 そこから壱子の白い額と両目が生えてきて、無音の聲を聞かせた。

「…多伎。甘いぞ。新たなカタシロを作る伝統工芸師は、ご神体どころか、旧カタシロさえ見せてもらえぬ。カタシロが元のご神体と同じ形のわけがない。剣璽を見るがよい。すめらみことの草薙剣は美しい(こしら)えで、平安風の太刀(たち)…。皇祖(スメミオヤ)の時代のものとは異なる。誰も三種神宝(ミクサノカムタカラ)の原形など知らぬ‼」

 マジか。邪神を舐めやがって…。

 俺は滅茶苦茶に『九雷堕』を撃ちまくった。



 俺は宜陽殿で、すめらの御物(ぎょぶつ)の首飾りを全て確認するはずだった。

 だが、大御巫・壱子の結界に閉じ込められ、『九雷堕』を四方八方に撃ちまくった。

 その結界のどこにも隙がなく、破ることが出来なかった。

 俺はポヨンポヨンの暗黒空間に羽ばたいて浮遊し、壱子に向けて、一点集中の『九雷堕』を撃った。

 壱子は飛び散ったが、またその塵が集合して壱子の姿に戻った。

 この壱子は分身で、本物の壱子は今、七の宮の燈籠のロウソクの溶けたロウを垂らして、小さな水滴にこの暗黒世界を封じ込めようとしている。

 俺は衝撃を受けた。八坂瓊曲玉は宮中に無かった。

 いや、宮中にあったとしても、それは恐らくカタシロで、原形と形が違う可能性もあると。

 或いは、本物は内裏の火災で失われたかも知れない。

 即位の儀は神璽の(はこ)が揃っていればいいのだから、はっきり言って、誰が中身を盗んですり替えても、千年経ってもばれない。

 俺は酷く失望した。

 色々と調べ歩き、八坂瓊曲玉以外は殆ど形を確認出来た。

 俺の探す首飾りが八坂瓊曲玉である確率はどんどん上がっていくのに、それが今や、現存しない可能性まで出てきた。

 俺が探している首飾り……。八雲の大事な血統(リネージュ)の象徴が時を経て、人の手を渡り歩き、めぐりめぐって八坂瓊曲玉になった可能性を考えてきた。

 それを確認したかっただけなのに。

攝津(つの)壱子(いちこ)!」

 俺は大御巫の名前を呼んだ。

「お前は知らないのだ。私はその首飾りの正統な相続人の一人。だから、探し求めている。身内の形見なのだ! 頼む!」

 俺が気持ちを込めて言っても通じない。

 壱子は冷淡に微笑むだけだった。

「そのことは否定せぬ。ただ、八坂瓊曲玉は(いまし)のものではない。すめらみことの御身の一部にして、我等が日本(やまと)の象徴。形など、どうでもよいということだ!」

 壱子は世界を閉じようとしていた。

 子供のクスクス笑う声が、言霊みたいにあちこちから響いてきた。

 俺はお上品に喋るのをやめた。

「仕方ねぇ…。俺はお前の弱点を知ってるぜ…」

 俺の中から黒い瘴気が溢れ出す。

 俺はタタリ神だ。

 黄泉の道を開くことが出来る。

「壱子。…お前、霊質が穢れたら、斎院の御巫(ミカムナギ)として使い物にならねーんだよなァ⁉」

 どこでもいい、俺は間近の壁に手を触れる。

 ポヨーンと飛ばされない程度に、ほんの軽く。

 壱子が青くなった。水晶小玉の首飾りを手にしたまま、動きが停まった。

「壱子、黄泉の入口だ…。そいつは黄泉(ヨモツ)()()(サカ)、イフヤサカと言う…。どこにあるか、知ってるかァ?」

 ヒラもサカも境のこと。坂道のことじゃない。

 俺が瘴気を噴き出しながら七海の躰を使うと、七海の目の下に邪神の隈が生じた。

 表情が魔に変わり、顔全体に影が差す。

 俺の両腕が墨で染めたようなマダラに黒い皮膚になり、爪も黒くなった。

 俺が手を触れた場所に、その空間を連結する。

「や…やめよ、多伎…」

 壱子が怯えていた。

「イフヤサカをここに開く…」

 黄泉の九雷神の眷属を呼ぶ為に、俺が霊道を開いた。



 扉は真っ黒の磐石で出来ている。

 俺がその扉を開くと、黒い血が噴出するように邪悪な魑魅魍魎が噴き出した。

 光を知らず影だけの者達。長い手足をばたつかせて蠢く。

 大小あり。醜悪にして明確な形を保たず、黒い靄のような瘴気をまとい、目から青白い燐光を発する。

 滝のように激しく流れ出し、怒涛の勢いでこの狭い暗黒世界を埋め尽くした。

 俺の躰の上を無数の魑魅魍魎が這い上がり、俺を揉みくちゃにして通過していく。

 俺は腹を捩って笑い、魑魅魍魎の好きにさせる。

 ()()()()()は出雲にあると言われている。()()立つ出雲に。

 何故、そう言われたと思う?

 何故、出雲王スサノヲが、()堅州國(カタスクニ)(地底の片隅)で大己貴神を迎える神話になっているのか。

 出雲は別に黄泉路の近所にあるわけじゃない。

 (たた)られた側は祟られる原因を知っているはずだ。身にやましいことがあるだろう。

 俺は獣のように吠えた。

 黄泉の魑魅魍魎に『九雷堕』を撃つ。

 無数の魑魅魍魎が水風船のように割れ、大量の黒い血が弾け飛んだ。

「イヤァアア…‼」

 血を(いと)う大御巫・壱子が大声に出して、結界の外で悲鳴を上げた。



 俺は素足で七の宮の参道に立っていた。ここは内裏の中じゃない。朝堂院ビルの斎院だ。

 俺の足元に壱子が尻餅をついた。

 壱子の顔に黒い血が点々と飛び散っていた。

 俺は壱子を見下ろし、魔人そのものの低い嗄れ声で囁く。

「壱子、今すぐ浄めろ。そいつは穢れだぞ…」

 俺も黒い血塗れだった。

 ふふん。壱子が泣きながら走って、七の宮の井戸に向かった。

 俺は結界を破り、壱子をこの戦いで破った。

 俺もシャワーを浴びて穢れを流すことにする。これは七海の躰だからな。



 七海は采女の宿舎のベッドで目覚めた。

 何故か、男物のワイシャツとグレーのぶかぶかのパンツ、黒い革ベルトという格好だった。

 違和感の正体に気付く前に、浴室の方で物音がしていることに気を取られた。

 七海は故郷から弥栄氏の使用人三人を連れて住み込んでいる。

 宿舎は結構広くて、七海の寝室やリビングの他、使用人達の小部屋もある。

 七海は若いメイドが浴室の掃除をしていると思った。

 それを確かめる為に洗面脱衣所に入り、何故か、自分の着物が適当に脱ぎ散らかされているのを見た。

「……ん?」

 七海は驚いて着物を拾った。

(昨夜、シャワーの前にこんな脱ぎ方したかな?)

 ふと、七海は洗面化粧台の鏡に映る自分が視界に入った。

 その顔が黎明だった。

「…よーちゃん‼」

 七海は鏡の中に黎明(よあけ)が居るのかと思って、飛びつきそうになった。

 すぐ手で自分の顔を触り、自分の魂が黎明の躰に入っていることを知った。

「どういうこと⁉ …もしかして、あの邪神が…私の躰を使って………内裏へ⁉」

 その時、ガラッと浴室の扉を開けて、俺が出てきた。

 七海の躰はシャワーで濡れていて、一糸まとわぬ状態で、水滴をポタポタ落とした。

 七海は自分の裸と向き合って、キョトンとした。

「起きたのか、七海」

 俺はチャンネルを切り替えるように簡単に、七海と躰を入れ替えた。

 七海の眸に映る映像も、目の前の自分の裸から、洗面化粧台の前に立つ黎明の姿に切り替わる。

 途端、

「キャアアア‼」

 七海が大声で叫んで、両腕で胸を隠して蹲った。

「七海。穢れはよく流しといた。心配するな」

 俺はこの世界で覚えたバイバイという仕草をして、洗面所を出た。




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