第4章 レガリア ・ 第3話 宜陽殿の戦い ①
俺は鏡の中の自分に見とれた。
これって、すごくいい女じゃない?
長い睫毛で流し目して、瞬きして微笑んだ。
俺は一髻を結って花簪を指し、後ろ髪を垂れた采女の格好で鏡に映っている。
青摺衣とか言う、真っ白に染めた生地にグリーンで若葉や鳥を型染めした着物を着て、丈短めの赤い袴を履く。
俺は初めて女の躰になった。
襟元を引っ張って七海の胸を覗き込み、再確認した。
確かに俺は女になっている。
俺は七海の躰を一時的に乗っ取った。七海は気を失い、俺が入っていた黎明の躰に交替で入って、采女の宿舎内のベッドで寝ている。
そうとなったら、七海のようにおしとやかに歩かなきゃな。
俺は腰をくねらせて、しゃなりしゃなりと歩いて、渡殿の段差につんのめった。
クソ。内股って歩き難い。違和感だらけだ。
俺は七海になりきり、すまして歩いた。
ほらほら、私って、すめらみことのお目に留まった女なの。割と綺麗でしょ。
そこをお退きなさいな。内裏のその他大勢のお姉さま方。
ツン!
…七海は少し違うかな。俺は思い出して内心笑う。
七海はすめらに気に入られても余り喜ばないような、ちょっと変わった女だった。
弥栄氏の為、我慢して最高権力者に抱かれる…、そんなクソ真面目な純情娘。
あいつは黎明を好きだったんだ。俺が黎明の躰を奪った時、号泣して恨み言を言っていた。
「私達の弟のよーちゃんは…もう居ないよ…」
とか言って。何が弟だよ。好きだったくせに。
俺は七海を憐れむ。
馬鹿だな。黎明なんか、相当鈍いのにな。
告白もせず、黎明のことを諦めて采女になったんだ。
俺は七海の気持ちを何とかしてやろうとは思わない。俺は利用するだけだ。
別にいいだろ、七海?
俺は七海になって、他の采女達と一緒に内裏へ入った。すめらの朝餉を給仕する為に。
あんな男なんてどうでもいいと思っていたんだが、朝餉はいい匂いがする。
きっと、いいもの食って贅沢してるんだと思う。
俺はあの男に不満があるわけじゃない。皇室を廃止するべきとか、そんなことは全く思わない。俺が嫌いなのは『すめらみこと』に流れる血だ。
その血の僅かな一滴が俺を邪神にした。
俺は御膳を捧げ持ち、神前にお供えを運ぶ時のように掲げて運んだ。
食器は伝統的だったが、料理は現代のものだった。
あとは知らない。俺はさっさとずらかって、まず宜陽殿に向かう。すめらの清涼殿からそれほど遠くない。
思ったより人の出入りがある。俺は沢山の人間と擦れ違う。
俺は何か喋りかけてこようとする奴を片っ端から幻覚に落とし込んで、俺という存在を奴等の記憶から消していく。
内裏ビル十二階の空中庭園だということを忘れるほど、風は穏やか。空は青く澄んで、内裏の内郭と屋根に縁取られている。
こんないい天気の朝に邪神が出没するとは陰陽寮退魔課も思うまい。
宜陽殿の周囲は近衛府の近衛舎人だらけ。近衛舎人も伝統の武官装束を着ていた。
ただし、彼等は現代の拳銃を装備している。
俺は揚々と宜陽殿に辿り着く。
八咫鏡がある賢所はこのすぐ近くだ。宜陽殿の次に行く。
俺の姿は防犯カメラに記録が残ってしまうので、途中で顔を変え、采女仲間で一番感じ悪かった女の顔に変装しておく。
俺にかかれば、認証システムの扉の鍵なんてどうってことは…。
「開いてる…」
俺は青褪めた。
宝物庫・宜陽殿の入口が開いているなんて無防備すぎる。
これは罠か。
そして、奥から冷気のように流れ出してくる気配は。
「大御巫。お前、何している?」
俺はさっと入って、後ろ手で扉を閉めた。
大御巫が振り向いた。
僅か十二歳で世代最強の巫、攝津壱子。俺の好敵。
宜陽殿は内裏十二階にある瓦屋根の建物で、言わばペントハウス型の蔵だ。
見た目は美しく作られている。鉄筋コンクリート造、屋根材も防火仕様だ。
内部は入口近くに板間、検索用のパソコンデスクがあって、その奥は中央の通路が突き当りまで貫通し、左右が上下二段の棚になっている。
棚は御物を納めた櫃が山と積まれている。
その朝、照明が点いておらず、格子付き窓から入る光だけで薄暗かった。
上段の棚にかけた梯子に大御巫・壱子が昇っていた。
「何故、内裏に来た? 大御巫」
俺を出し抜いた大御巫・壱子に呆れた。
「汝か。多伎。…また、別の人間の躰を借りたか…」
壱子は壱子で、俺の行動に呆れた。
本来、壱子は神祇官・斎院所属だから内裏には立ち入れない。
壱子の前で俺は他の采女の変装を解き、七海の顔に戻った。
「大御巫、何を探している?」
俺の目頭が尖る。
「…汝の言う勾玉の首飾りが気にかかってな…。故、見に来た。どこぞの邪しき神が御物を盗み出すことがあってはならぬ。八坂瓊曲玉、そのようなものが真に有るかどうか、あるとしたら封は問題ないか、確認しに来た…」
壱子の無音の聲が脳内に響く。
壱子は成人の男と会話することが禁じられているから、こうして無音で答えている。
これも接触には違いないのに。
しかも、俺は最も禁じられた相手、邪神だぞ。
「…それで、あったのか? 八坂瓊曲玉は? 大御巫、私はどんなものか知りたいだけだ。盗み出そうとしているわけじゃない」
俺は平気で嘘を付く。
「大御巫。一度見せてくれ。見たら、満足してあの世に帰る」
俺は口から出まかせを言う。
壱子はまだ十二歳で純粋培養された巫だから、割と簡単に信じた。
こっくりと頷いた。
「うむ。…首飾りは何本か有り。…されど、汝が探す品は無し」
梯子の上段で、壱子は綺麗な組紐が巻かれた櫃を両手に抱え、カタカタと振った。
中には錦に包まれた首飾りが入っているが、八坂瓊曲玉とは別物だった。
「見せてくれ……」
俺が壱子に詰め寄っていく。
壱子はその櫃を棚に戻して、梯子を降りてきた。
「多伎。考えても見よ。宜陽殿に三種神宝があるわけがなかろう」
壱子の説明はこうだ。
三種の神器が言われるようなものであれば、聖なる鏡と剣と首飾りである。
鏡は八咫鏡。
伊勢の神宮の内宮にあって、天照大御神のご神体と言う。宮中の賢所にあるのは、そのカタシロの鏡だ。
剣は草薙剣(天叢雲剣)。
ヤマトタケルの尊が尾張氏のミヤズヒメに預けた。今は尾張國の熱田神宮にあると言う。熱田神宮のご神体とされる。
だから、すめらの側の『剣璽の間』にあるのは、カタシロの剣だ。一度、壇ノ浦の合戦で海に沈んだ。
首飾りは八坂瓊曲玉。
当然、八坂瓊曲玉も鏡と剣同様に、どこかでご神体として祀られているはずだ。
先の二つが宮中にカタシロしかないのであれば、『剣璽の間』にあると言う八尺瓊勾玉もカタシロの可能性が高い。
八坂瓊曲玉は誰も見た者がいない。すめらも璽筥を開けて覗くことは出来ない。
筥は紐で封印されている。この封印、高位の女性官僚が行う。
大御巫・壱子だって、手が出せるものではない。
壱子はこう想像した。
「八咫鏡は崇神天皇の御世にタタリをなし、宮中から遷され、後に伊勢で祀られた。草薙剣も天武天皇にタタリ、尾張の熱田神宮へ戻ることになった。……恐らく、八坂瓊曲玉もタタリ…、すめらみことのお側から離し、神璽の筥にはカタシロを納め…、いずれかで密かに祀られたのだろう……」
「…そうかも知れない」
俺もその話に納得する。
しかし、すめらの権威の象徴に当人がそんなにも祟られる理由は何だ?
壱子は進んで情報を提供してきた。
「確かに吾は鎮魂儀で玉を使った。…が、これも…汝の探す品ではない…」
これは有難い情報だった。
じゃ、八坂瓊曲玉は今、どこに?




