第4章 レガリア ・ 第2話 脱出 ③
俺は桃井虹を朱雀門まで運んだ。燃えた応天門から少し先の、大内裏の出入り口。
ここならもう大丈夫だろう。気絶していたから、煙も殆ど吸い込んでいない。
「…あなたは八島さん……じゃないですよね?」
五百里が俺の変装を見破り、背後から話しかけてきた。
俺も変装を続けることが無意味だと知っているが、付近に防犯カメラもある。
だから父の姿のままで、父の声音で返事した。
「五百里くん。…今日は出勤日だったんだね…」
五百里が睨み返す。
五百里の黒い羽織袴も埃で白く汚れている。
眼鏡を捨て、三白眼のようにきつくなった眸が青白い炎を燃やしている。
「…僕の叔母を、あなたは……」
五百里が言葉に詰まった。彼の目に涙が湧き上がってくる。
恨み言なら千津雄に言えよ、と俺は言いたかったけど、あえて何も言わなかった。
俺と五百里は暫く睨み合った。
「……あの女の子、何なんですか?」
五百里は埃だらけの小娘を見て、黎明の大好きな桃井虹だと気付かなかった。
「逃げるついでに拾ってきただけさ。衛士に預けて、家に帰るとこ」
俺はスーツの埃を払う。
「あなたがやったんですよね? これ…全部…」
五百里は俺が爆破したと勘違いしていた。
俺は大笑いした。
「なわけないだろ。…これは俺と無関係の…テロだよ」
俺は笑いながら、地下鉄の方へ歩き出した。
「あなたは…一線を越えた…。もう後戻り出来ませんよ…」
五百里の眼からツーッと一筋、涙が垂れた。
俺の背中に憎しみの視線が突き刺さる。
「そっか。じゃ、またな」
俺はスーツの袖先のボタンが取れていることに気付いた。いや、もうボロボロだった。
俺と五百里の背後で、衛士の靫負晴彬が桃井虹を抱き起こした。
「大丈夫ですか! 桃井虹さん‼」
桃井虹はそこで目を覚まし、
「あなたが助けてくれたんですか? …私、壁の下敷きになって……」
靫負晴彬と見詰め合った。
若い靫負晴彬は生唾を飲み込み、数秒考えた。
「…そうです。この僕が…瓦礫の中から桃井虹さんを…助けたんです!」
思いきり嘘を付いた。
靫負晴彬はこういう男だ。馬鹿馬鹿しい。どうでもいい。
俺はスーツの埃を払い、早足で去った。
パトカーや救急車と擦れ違った。
爆破テロ発生直後から地下鉄が運休になってしまい、仕方なく離れたところまで歩いてバスに乗った。
黎明の自宅マンションに帰り、シャワーを浴びてすっきりした。
父が起きた後、冷めたお粥を温めてあげた。
寝室のテレビを点け、朝堂院玄関・応天門爆破事件のニュースを父と一緒に観た。応天門は木造だから黒焦げになっていた。
クソ真面目な父は映像を見て仰天した。
「これは大変だ…! 俺の休んだ日に限って、こんな事が…!」
「パパ。ギリギリ爆発に巻き込まれずに済んだよね? 運がよかったね」
俺は父に暗示を掛け、記憶をうまく調整した。
この事件は死者が七人、重軽傷者が百人以上出た。反朝廷側勢力のテロだの、貴族の勢力争いだの、さる貴族の自作自演だの、様々な憶測を呼んだ。
俺と父はニュース画面で桃井虹を見た。
全国放送の各ニュースで桃井虹がインタビューを受け、注目の的になっていた。
「…爆発に巻き込まれて。壁の下敷きになって、気絶していました。…そのまま死ぬところでした。…そこで、衛門府の方が私を救出して下さったんです…。靫負さんという方が…!」
桃井虹が興奮して喋っていた。
額に絆創膏を一つ貼っただけの軽傷だった。
「うまくやるんだな。売り出し中のアイドルさん」
俺はもう、あんな女と関わるのは御免だ。
実は、俺は黎明が多伎になってどんな状況かを大体知っている。
「黎明、またゲームなの?」
夕刻、母が帰ってきた。
「ママ。面白いんだよ、このゲーム」
俺は笑いながらスマホを弄っている。
画面に映っているのは、多伎になった黎明。
「どんなゲームなの?」
「キャラクターに自分の名前を付けて、黎明が悪戦苦闘しているのを眺めてるんだ」
俺は画面を見ながら、ソファーに寝そべった。
「そんなの、普通のゲームじゃない」
母は赤いガーデニング用エプロンを付け、ベランダの花の手入れに行った。ハーブとミニトマトを摘んで、ベランダの花を切り、花の方はリビングに飾った。
フラワーアレジメントの講師をしているだけあって、とても綺麗に活ける。
「…俺は幸せだよ、ママ。大学行って、友達と遊んで、ママが作ったご飯を食べて、ゲームして、あとは桃井虹のファンイベントに行くだけ…」
俺は褒めているようで、黎明の世界に嫉妬している。
このぬるま湯のような日々に嫉妬し、憎まずにはいられない。
「昔は大変だったのよ。ママが小さかった頃は、鬼がよく出たんだから。黎明も子供の時、貉の使いに化かされて、墓地の裏山で鬼を見たでしょう…」
「そう言えば、そうだった…」
俺はソファーで足を組み、スマホを伏せた。
「黎明。弥栄流退魔道や諸派の退魔師が頑張って、浄化しまくったんだよ。火葬も効果あった。この世は浄められて、やっと平和になったの!」
「また乱れないといいね…」
俺の言葉に驚き、母はキッチンに行きかけて戻ってきた。
「やだ、黎明。やめてよ。縁起でもない。弥栄宗家がどんなに苦労したと思う? 宗家の右手が黒く染まった理由を知ってる?」
俺は長い間を置き、溜息と共に答えた。
「………うん。邪霊や屍の鬼の血を浴びすぎたからだ」
「そうよ。だから、私達はこの世界を大切に守っていく。皆で守ってきた世界なの。…私達は不幸な霊や邪神を浄化して、襲われて死ぬ人を減らしていく。それが弥栄流退魔道の使命…」
母が微笑んだ。
そうだな。それ、兄の千津雄に言ってやりなよ。
あいつ、完全に忘れているからな。




