第4章 レガリア ・ 第1話 邪神、斎院に侵入する ④
俺は斎院の暗い廊下を歩いていた。
この突き当りに『七の宮』がある。八柱の神の祭祀が行われている。
八柱の神を祭祀しながら七の宮とは、ふざけた話だ。
数に入っていない神、それは邪神。弥のミオヤのこと。
俺は父のIDカードキーを使い、七の宮に通じるガラス扉を開いた。
ビルの屋上なのに本物みたいな竹林があって、地上の景色を再現している。
鳥居を潜り、参道を進む。吹き渡る風に前髪が乱れる。
雨が降り始めた。空が暗くて重苦しい灰色だ。
弥郡の弥のミオヤを祭る(祀るという字は使えない。天神じゃないから)ヤシロには、御神体として玉が収められている。神さまの家の代わりがヤシロ(屋代・社)で、神さまの身の代わりがカタシロ(形代)だ。
七の宮にはそのカタシロが無い。斎院のオフィスの記録で読んだ。
七の宮では榊の小枝に神が依りつく。
俺は空気から神々の気配を感じ取った。
吹き抜けの中庭に面し、ここは宮中に於いて八柱の神と向き合う場所だった。
「敵も味方も同時に崇めるとは、何を考えているのやら…」
小雨に打たれながら、俺は笑わずにいられなかった。
父が言うように、七の宮に八坂瓊曲玉があるはずもなく。
少し残念だった。
いや、俺が七の宮に寄ったのは、首飾りだけが目的じゃない。
黎明の曾祖母・トヨが宮中で弥のミオヤを祭っていたと知った時から、いつか訪れることをとても楽しみにしていた。
七の宮には、すめらのミオヤも祀られている。ここは特別だ。
「弥のミオヤを邪神と定めておいて、どうして守護を願うのか?」
そんな勝手な話、俺にはわからない。
先日、陰陽寮退魔課に勤務する五百里は、
「僕はね、すめらみことをお護りしたい。それがこの国を護ることだからだ」
と、言った。
「僕らがすめらみことを護らなくちゃ。でなきゃ、僕らのミオヤが葦原中國を皇祖に奉った意味がなくなる」
と、俺に言ったんだ。
それも理解し難い。
奇妙な笑いが込み上げ、腹がよじれそうだった。
誰もいない。俺は遠慮なく笑い続けた。
以前、トヨはこの斎院の御巫だった。鎮魂儀を奉ったと言う。先視のトヨと呼ばれ、予知の能力があった。
予知か。すごい婆さんだな。御巫の頃はまだ若かったわけだが…。
「汝、誰そ?(お前、誰だ?)」
俺の背後から突然、無音の聲が聴こえた。
驚いて振り返った。
誰も居なかったはずの七の宮に、十二歳の女の子が立っていた。
細く切れ長の眸。無表情。まるで日本人形みたいな顔立ち。白装束(青摺衣)に濃い赤袴の子供だ。
長い黒髪は束ねず、采女と同じ一髻を結い、綺麗な青葉の髪飾りを冠から左右の胸まで長々と垂らす。
俺は息が詰まった。やばいくらいの霊質。
七の宮に奉仕する巫のリーダー。
大御巫。世代最強の巫。
俺の脳内に直接響いてくるその聲一つで、ずば抜けた霊力が推し量れた。
ぴんと張り詰めた空気。
大御巫の前では俺の変装なんてピエロのように滑稽だった。俺は変装を解き、黎明の素顔を晒した。
「私は多伎。弥のミオヤの身内だ」
俺は大御巫に応えて名乗った。
「邪しき神か?」
大御巫は俺の前に右手を差し出し、指を開いた。
即断して、弥栄流退魔道の『風瀧』と似た技『玉嶋』で祓おうとした。
これにはびっくりした。
俺は咄嗟に本気を出してしまい、この子供を斎庭の最後尾まで吹っ飛ばした。
そうせざるを得ないほど、大御巫の祓も強烈だった。
「あっ…」
俺はその子供を吹っ飛ばしておいて、後から心配した。聞きたいことを聞く前に死なれては困る。
大御巫はその名を攝津壱子と言った。
壱子はひっくり返ったが、仮面みたいな無表情でムックリと起き上がった。
「憑依か? …違うな」
壱子は無音の聲で尋ねた。
「多伎。…その外見は…入れ替わったか…。ご苦労なことよ」
大人みたいな言い方をした。
俺の脳内では古語だったが、訳が面倒なので現代語にしておく。
壱子の右手がすっと持ち上がり、指が開く。
「大御巫。わからないのか? お前に私は祓えない。もう一度吹っ飛ぶぞ!」
俺が警告したが、壱子は特大の『玉嶋』をぶつけてきた。
俺の『九雷堕』に近いクラスだった。
「やめろ、大御巫!」
俺は相手の攻撃を一瞬で相殺した。雨風が舞い、、水飛沫が散った。
壱子は『玉嶋』を連打した。
俺は身を翻して避けた。七の宮を囲う朱の玉垣が砕け散った。
その向こうのコンクリートの壁も亀裂が走った。ガラス扉のガラスが振動だけで砕けた。
吹き抜けと隔てるフェンスが折れ曲がり、階下へ半分垂れ下がった。
俺は黒い翼を羽ばたかせ、宙に舞った。
「あな…恐ろし…(す…ごい…)。汝、飛べるのか…!」
大御巫の壱子が俺の翼に愕然とした。
黎明側の世界では、俺以外に翼を生やした人間が居ない。
壱子は毅然として命令してきた。
「吾は七の宮の巫なり。邪しき神は去れ!」
「そうは行かない」
俺は空中から質問した。
「大御巫。お前も鎮魂儀をやったんだろう? 鎮魂儀は玉を使うらしいな…。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、布瑠部由良由良止布瑠部…。……あんな風にお前も玉を振ったのか?」
有名な石上神宮の鎮魂祝詞を比較に出した。
壱子は黙っていた。
御巫が奉る鎮魂儀は守秘義務がある。秘儀中の秘儀だ。
「玉はどんな玉を使う? お前は八坂瓊曲玉を見たことがあるか?」
俺は重ねて質問した。
さっきの俺と大御巫の衝突の波動。それを陰陽寮退魔課が見逃すはずがない。
アクシデントが発生した。
奴等にもう見つかったんだから、俺は急いで最後の用事を済ませようとしていた。
壱子はとぼけた。
「八坂瓊曲玉とは何だ?」
「お前達が命を懸けて護ってやっている、あのすめらという男の権威の象徴だよ!」
俺が空中から吠えた。
雨が激しくなってきた。俺達はもうずぶ濡れだった。
「邪神め。そんなものは知らぬ」
壱子は心を読まれないように、固く思考を閉ざした。




